脅迫者
まるで新しい風がするりと流れ込んできたかのように、二人の耳に届いた声。
ハッとして振り返れば広間の入り口に、戸惑ったような顔をして立つカミューを見つけた。彼はフリック達の姿を認めると、そのただならぬ様子に気付いてさっと眉根をひそめるなり足早に歩み寄ってきた。
「何をしているんだマイクロトフ。向こうの廊下まで声が聞こえてきたぞ」
まずマイクロトフに声をかけ、そして伺うようにフリックを見るその顔は、何事かと心から案ずる表情を浮かべている。
その横顔にゆるりと首を振ってマイクロトフが「大丈夫だ」と言葉を返した。
「ああ、カミュー。なんでもない。おまえの気にする事ではないんだ」
「けれどマイクロトフ……何か、揉め事じゃないのか?」
「大丈夫だ。おまえを煩わせるようなことは何もない」
きっぱりと言い切ったマイクロトフの鉄面皮は流石だった。さっきまでフリックに対してあんなにも威嚇丸出しの態度だったのに、それは今はすっかり息を潜めて素知らぬ顔をしているのだ。しかしそれでも、カミューの懸念を払うほどの力はなかったらしい。
「何があったかしらないが」
呟いてカミューはおもむろにフリックの方へ向き直ると、真摯な態度で詫びるように胸に掌を当てた。
「フリック殿、これは少々融通の利かない頑固者ではありますが、決して悪心のある男ではありません。もし行き違いがあったのならわたしが代わって詫びましょう。どうか憤りを収めてはいただけませんか」
と、当のカミューにまさかこう出られるとは思ってもいなかったフリックは面食らい言葉をなくす。
「カミュー……オレは、その」
「マイクロトフ。おまえも、少しは悪びれろよ。ここでは我らの方が新参者で、しかもフリック殿はこの同盟軍ではずっと以前から尽力しておられる方なのだから。少しは譲れ」
「分かった」
しかも、対するマイクロトフの態度が素直すぎて更に面食らう。
「申し訳なかった。フリック殿の忠告は肝に命じよう」
挙句に殊勝な態度で頭まで下げられて、一瞬自分が何に怒っていたのか忘れそうになる。
「って、違うだろう!」
あんな仕打ちを受けながらどうしてカミューがここでマイクロトフを庇うのかが分からないフリックは、誰か理由を教えてくれと言わんばかりに声を上げた。
「おまえら、今は気まずい仲なんじゃないのか!? さっきのあれはどう見たって泥沼状態だぞ?」
「フリック殿!」
マイクロトフの制止も意味なく、他人の恋愛沙汰をどうこう言う無粋を知ってなお、この時のフリックはそれを口に出してしまっていた。
途端にカミューの表情が凍りつく。
「なんの、話を……しているんだ?」
恐ろしく察しの良い青年であるのが、その一瞬で変わった顔色で分かった。同時にフリックは自分の失言を悟る。カミューはそしてゆるゆると傍らのマイクロトフに視線を移した。
その不安げな表情にマイクロトフは即座に首を振る。
「カミュー、違う。お前が気にするような事ではない」
「ならば、何の話か教えてくれても良いはずだ……な?」
カミューの声に滲む切なさにフリックが自分の迂闊さを悔いていると、ほんの一瞬だけマイクロトフの殺気の篭った視線で射抜かれる。恨むぞ、と言わんばかりの眼差しで思わず背筋を駆け上った悪寒に、そういえばこの男は何千という騎士の頂点に立つ男だった、と今更ながら思い出す。
「えっと、その、な?」
「フリック殿!」
「フリック殿?」
何か言うべきだろうとフリックが口を開いた途端、マイクロトフの目は黙れと訴え、カミューの目は説明を求めた。
「だーっ!」
思わず頭を抱えるフリックと、それを挟み込むようにして立つ二人の騎士団長。言うなれば同盟軍の美青年たちが寄り集まって、注目を浴びないわけがなかった。しかも場所は人通りのある広間。舞台上のコボルトたちはさっさとダンスを終わらせて、今は舞台の端に腰掛けて興味津々で見下ろしている。
「俺に、ややっこしい判断を求めんな! 言えば良いのか言わなければ良いのか、おまえらが決めろ!」
とてつもなく勝手な言い分だと分かっているが、元来流されるのが性に合ってふらふらと気付けばこんな場所で戦争にまた参加しているような自分だ。そもそも口出しするなとマイクロトフに言われたばかりなのだから、それなら自分たちで決断してくれと、丸投げをした。少し気分がすっとした。
だがそうやって問題をそっくりそのまま突き返された方は、たまったものではなかった。
「フリック殿、なんと卑怯なっ!」
慌てふためき、真っ直ぐに詰ってきたマイクロトフの傍ら、顔を青褪めさせたままカミューがわなわなと震え始める。
「どういうことだ、マイクロトフ。おまえフリック殿とどんな話を」
見るからに、さぁっと青褪めるカミューの様子に、フリックはこんな場面であるのにそんなカミューの秀麗な造りの顔に見惚れた。
ここへ来て初めて間近に見たこの赤騎士団長の顔である。噂には聞いていたし、ナナミたちが頬を染めて騒いでいたのは知っている。フリック自身同じように騒がれる立場でもあったので、少女たちの関心の的になる事に密かな同情心も抱いていたりもした。だがしかし。
―――こいつは、仕方ねぇな。
腐れ縁の相棒に普段から鈍い鈍いと貶されているフリックだったが、流石に分かる。
何しろ青褪めていたカミューの顔がいつの間にか、今度はほんのりと赤くなっている。マイクロトフを困惑げに睨みつけ、その眦を僅かに赤く染めている表情は、なんとも言えず色気がある。
遠めに見た、取り澄ましたような顔とはまるで違う、カミューという男の内面が見えるようだった。
「なんだよ、馬鹿みたいじゃないか」
「わたしはね、マイクロトフさえ居てくれたら、それで良いんですよ。ですが部下を率いて騎士団を出奔してきた身では、私を滅して公に徹さなければなりません。だからわたしは―――」
「俺を嫌いだと言って遠ざけようなどと、馬鹿なことを言い出したのです」
「同盟軍に、この城に身を落ち着けるなり馬鹿な真似をしているのは、おまえの方だろう。こんな時に」
「騎士としてよりも己の信念を優先することに決めたのだ。こんな時だからこそ、俺は自分に嘘はつきたくはないし、素直に生きていきたい」
end
あとがき
2006/06/18
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