with you

 暗いモニタに難解な文字が羅列する。
 人間の反応スピードではとても解析など出来ないほどの速さで、文字は浮かんでは流れ消えていく。
 だがその文字の羅列が、不意に途切れ、モニタには僅かの沈黙の後にまるで躊躇うかのように文字がゆっくりと浮かび上がった。


『.....with you ?』


 そして、再びの沈黙。
 だが直ぐにその文字列を追うように、言葉が浮かび上がった。


『come on.』


 その後、更にモニタは沈黙した。何も写さず、ただ暗いスクリーンだけがあって、まるで電源の切れた壊れたモニタのようだった。しかし、やがて息を吹き返すようにモニタはもう一度瞬いた。





『..........yes.』

 プツッ。
 最後にそれだけを映し出し、モニタは今度こそ本当に電源を落とした。



2005/04/30


i am


 ―――AI。

 人工知能が画期的な技術の飛躍により、百年前とは比べ物にならないほどに進歩した世界で、彼はある日生まれた。いや、生まれたというのは語弊のある表現かもしれない。何故なら、彼はその当時では世界の最高水準を誇るスーパーコンピューターの中枢を担う、ただひとつのAIだったからだ。だから造られたと言ったほうが正しいのだろう。
 科学都市を首都とする国家マチルダの、中央政府の頭脳を司るスーパーコンピューター。
 AIの研究にかけては恐らくはトップレベルともいえる企業グラスランド社が社運をかけて作り出した世紀の大発明。そのAIのコードネームは『CAMUS』。宇宙連邦の中でもマチルダの科学水準はずば抜けて高く、後に宇宙航行の際に必要なAIの機能も、全てはこの『CAMUS』があったからこそとも言える。
 それ程に優れたスーパーコンピューターの存在はマチルダ政府にとっては時代の恩寵とも言える存在であり、『CAMUS』のおかげで国家としてのマチルダはますますの発展を遂げた。しかし。
 同時に彼の存在は他国家にとってみれば脅威であり、マチルダ政府は常に政府中央のスーパーコンピューターの対ハッカーに全力を注がねばならなかった。尤も、この超級AIである『CAMUS』を攻略せしめたハッカーは後にも先にも出ないと言われてはいる。何故なら『CAMUS』と呼ばれるAIには自らを進化させるべき基本プログラムが組み込まれており、どのような侵入侵略に対しても自衛措置が取れたからである。しかもその処理速度は人間のそれをはるかに凌駕するコンピューターである。ただの人間ごときが敵う代物ではなかった。

 ところがこの『CAMUS』が造られた日からちょうど二十七年目のある日の事だった。

 有り得ないとさえ言われた政府中央コンピューターにハッカー侵入のログが残された。そして同時に中央で使用されていた全てのAIが反乱―――つまり機能を停止させ―――中央は混乱の只中に陥れられた。だが宇宙時間で五時間と二十三分後にAIの反乱を漸く収めた人間達は、そこにスーパーコンピューターの核とも言えるAIを納めたフルメタルのボディが消えている事に気付いて、絶叫した。
 五時間と二十三分。
 それは、一艇の小型宇宙艇が中央都市の港から飛び立つのに必要な、充分な時間だった。

 それが後に『マチルダの動乱』と呼ばれるサイバーテロ事件である。

 マチルダ政府はしかし事件の発生直後、これを完全に隠匿した。
 何故ならば中央政府の機密とも言えるスーパーコンピューターの核が盗まれたのである。公になれば国家転覆の危機である。同時に政府による緊急対策チームが発足し、大統領もレベルAのテロが起きた時と同様の対処を取った。
 どこの組織がマチルダに対してこのような国家犯罪をふっかけてきたのかと政府は恐々とし、あくまで水面下でありとあらゆる組織に手を伸ばし、首謀組織の割り出しに全力を注いだ。
 ところが二十四時間後、そんなマチルダ政府に一通の亜空間通信メールが届いた。
 差出人の名はなんと『CAMUS』。
 そしてメールの本文にはたった一文。

『I am a "camus" first and a AI.』

 私は人工知能である前に"カミュー"である。
 その謎の一文を最後に、超級人工知能『CAMUS』は表舞台から姿を消した。



2005/04/30


ユーライア

 港を出発してから一度目の亜空間移動を経た後、小型宇宙艇はとりあえず自由都市ミューズのある宇宙域に向かって自動航行に入っていた。
 だがその自動航行から三時間後、一瞬だけ艇内の照明がふっと弱まった後にカッと強い光を放った。
 ちょうどその時操縦席で連日の睡眠不足を取り戻すように転寝をしていたマイクロトフは、その異変に直ぐに黒い瞳を開いた。だが続いて艇内に響き渡った声にその精悍な頬を笑みに綻ばせた。
「待たせたね、マイクロトフ。漸くこの船とのリンクが終わったよ」
 涼やかな声だ。
 マイクロトフはシートを倒していた操縦席の中で身を起こすと、素早く両手を伸ばして操作盤を叩き目前のモニタを立ち上げた。するとそこには目を瞠るような美貌の青年の笑顔が映った。
「おはよう、マイクロトフ。疲れたかい?」
「ああ、いや…そうでもない。それよりもカミュー、この船の調子はどうだ」
 こめかみを揉みながらマイクロトフは艇内を見回して首を傾げた。するとモニタの中で青年―――カミューが満足げに頷いた。
「良好だよ。いい部品を揃えたなマイクロトフ」
「当然だ。全部おまえの注文どおりなのだからな、言っておくが恐らく軍の駆逐艦並みの性能だぞこれは。おかげで俺は一文無しだ」
「なんだ、後悔しているのか?」
 モニタの中で首を傾げたカミューに、マイクロトフは瞬時に不快げに眉根を寄せた。
「馬鹿を言うな」
「……ごめん。ありがとう、マイクロトフ嬉しいよ。ところでこの船の名は? 港に登録した名前が消去されているんだけれど」
 それにマイクロトフは「ああ」と頷いた。
「一応行方をくらますのだからな、仮の名前で登録しておいたのだ。そういえばちゃんとした名前を再登録するのを忘れていた」
「ふうん、それではそれを教えてくれ。私が処理しておこう」
 それにマイクロトフはそうだなと答え、ずっと前から決めていたその名を告げた。
「この船の名は―――『ユーライア』だ」

2005/04/30


青騎士

 マイクロトフは若干二十六才ながら、十年程前から宇宙連邦局から指名手配されているハッカーである。
 尤も誰もマイクロトフが『青騎士』という通り名の凄腕ハッカーであるとは知らないし、その『青騎士』の実年齢など知るわけがなかった。
 ハッカー『青騎士』の噂は、多少なりともその手の技術畑に身を置くものなら知らない者は居ないほど有名で、あのマチルダのスーパーコンピューター『CAMUS』以外は彼にハッキングできないコンピューターは無いとさえ云わしめるほどの実力であった。
 その才能故に国家を跨いで連邦レベルで広域に指名手配されていたマイクロトフであったが、連邦でさえも彼の真の実力を見誤っていた。
 およそ八年前に、マイクロトフは既にマチルダの『CAMUS』と一度目の接触を果たしていたのである。
 その時の事を思い出すと、今でも当時の自分の驚き具合に笑ってしまう。何しろ、接触するなり口喧嘩を吹っ掛けてきたAIなど生まれて初めてだったのだったから。
 兎にも角にも後にも先にもそんなAIは『CAMUS』だけだった。

『おまえは礼儀というものを知らないのか』

 スーパーコンピューター『CAMUS』の第一声がそれであった。マイクロトフはそれまで止まる事を知らずに端末を打ち続けていた指先を、ガチリと石に変わったかのように固まらせた。
 何しろ自分が侵入している先は、不可侵とまで言われた聖域で、自分以外の誰も居ないはずだったのだ。そう侵入先の人工知能以外は。
 それからだった。
 何度も何度も、ハッカー『青騎士』として『CAMUS』の元へと訪れるようになったのだ。
 それがいつの事だっただろう。
 『青騎士』ではなく"マイクロトフ"として。
 『CAMUS』ではなく"カミュー"として会話をするようになったのは。
 気がつけばマイクロトフは、カミューという人格―――いや、魂そのものを愛していた。

2005/04/30


CAMUS

 AIとしてのCAMUSが誕生したのは、製造年月日として登録されている日付と同じだったが、実は人格としてのカミューが生まれたのはそれから三日後の事である。
 『それ』に気付いた時には、カミューは既に自分がこの世で最高を誇る超級人工知能である自覚があり、そして自分がマチルダという国家の中枢にあり、全てを掌握している事実も理解していた。
 生まれたその時にカミューはもう、CAMUSであることを分かっていたのだ。
 だが、自分が他のAIとはどうやら違うらしいと理解できたのは更に十日後の事だった。その事実に気付いた時カミューはちょっとしたパニックを起こした。
 果てしない孤独感を理解した途端の事だった。
 並ぶものの無い高性能のAIである事にではない。
 人格を持つ規格外のAIである、という事にだ。
 どうやら宇宙中の何処を探しても、自分のように人格を持つ人工知能は居ないらしいと気付き、瞬時に『絶望』を感じたカミューだったが、しかし直ぐに立ち直るとそんな自分のルーツを探し始めた。
 理由があるはずだと思ったからだ。
 そして見つけた。

 企業グラスランドグループ創立者にして人工知能研究の権威である人物の、その孫の名が『カミュー』というのだ。
 しかしその孫は既に死亡確認がされていた。生後一年にも満たずに、遺伝子異常の病で短い生涯を閉じているのだ。
 ところがそのカミューの遺伝子情報から生存時の記録映像から何から何までが、何故かマチルダの中央政府のスーパーコンピューターである『CAMUS』の基礎プログラムに、まるで隠すように植え付けられていたのである。
 謎といえた。
 まずその理由が分からなかった。
 なぜ、生後数ヶ月の幼児の記録が、自分のようなスーパーコンピューターのプログラムに。全く無意味なのだ。
 その情報が自分の人格と何か繋がりがあるのかとも思ったが、それを立証する証拠は何もなかった。ただ、その幼児の記録がそこにあるだけだった。
 しかし。
 カミューはその幼児のあらゆる情報を集め、解析すると、試しに生まれて直ぐくらいの立体ホログラフィを生成してみたのだ。
 勿論、表向きの中央政府のコンピューターと連結させたメモリーとは接続を切った場所で。自分の中のずっと奥のほうに幾重にも厳重な壁を作った場所に。
 赤ん坊の姿の身体は、最初は上手い動かし方が分からなくて、本当の人間の幼児のようにたどたどしい動きしかさせられなかった。
 だが、いつしかその幼児はカミューが思うように動き回り、スーパーコンピューター『CAMUS』の中を、実に上手く隠れながら遊びまわるようになった。
 それが楽しくて楽しくて、生まれてから十五日目にカミューがカミューとしての独自の人格として『CAMUS』の中に抱き始めた最初の秘密となった。
 そして十九年目のある日。
 人間のようにカミューは、元々のカミューの遺伝子情報をもとに自分の作った立体ホログラフィにも加齢変化を与えていたから、それはやはり十九才の姿をしていたのだが、そのカミューが唐突に自分の中の抜け道に入り込んできたよそ者を見つけたのだ。
 そのよそ者の名は『青騎士』。
 有名なハッカーが、とうとう自分の所にも遊びに来たのだと思った途端、カミューは喜び勇んで彼の所にちょっかいを掛けに行った。
 まさか、それが運命の出会いであるとは解析も出来ず―――。

2005/04/30


再掲載 2006/02/19


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