eyes

 マイクロトフはいつも思うのだが、カミューの魅力はその瞳にあると感じていた。

「よし、セッティング出来たぞ」
 何しろ実に慌しくマチルダの中央都市から出て来たために、小型宇宙艇ユーライアの設備は不完全な箇所が多かった。
 だいいち国家の中枢コンピューターを盗み出す、というのだから他の人間の手は一切借りられなかった。だからマイクロトフはこの二十六年間にハッキングやプログラムの作成で儲けた資金を全て注ぎ込んで、このユーライアを港から出発させるまでの準備に費やしたのである。
 一応の形だけは整えて置いてくれれば、後は自分が全てやるというカミューの言葉を信じて、無謀にも宇宙へと飛び立ったわけだが、彼は言葉どおりにたった三時間でユーライアの全てを管理下に納めてしまった。
 流石は最高水準のスーパーコンピューターを統率していただけはある。しかし設備としてまだ設置もされていない装置を動かす事はカミューには出来ない。
 もちろん端末ロボットを操作して艇内の設備を取り付けて充実させる事は出来るが、この場合はマイクロトフが自分の手でやった方が早かった。それに何よりも真っ先に起動させたいシステムがあったのだ。
 それは。
「じゃあマイクロトフ。電源を入れてみてくれ」
「承知した」
 頷いてマイクロトフは端末に触れてシステムをオンにした。すると艇内のあらゆる箇所に設置した機器の光源が淡い光を点滅させたのである。そしてその一瞬後。
「どうかな?」
 マイクロトフの目の前に、首を傾げて佇む青年の姿があった。
 立体ホログラフィ。
 艇内のどの場所であってもまるで本当にそこに居るかのように映し出されるそれは、モニタの中で見たカミューの姿と全く同じだった。
 さらりと流れる金茶の髪と、そこらのモデルよりも遥かに整った顔立ちに、まるで飴細工を溶かし込んだような瞳。そして決して華奢ではないのに、どこか抱き締めて腕の中に閉じ込めてやりたくなるようなスマートな身体。
 その姿がグラスランドグループのずっと昔に死亡している孫の遺伝子情報をもとにしているものだとは、既に聞いて知っているマイクロトフだ。最初はCAMUSが合成して作り出した映像かと思っていたが、それにしては表情がありすぎたその姿に、そんな由来を聞いてひどく納得した覚えがある。
 合成されたものに違いはないのだが、そこには紛れもない個性と生々しさがあったからだ。
 まるで本当にモニタの向こう側に息衝いているかのように。そして視線を合わせれば揺れる瞳。ちょっとした表情の変化が、そこに確かにカミューという人格を存在させていた。
 そのカミューの姿を、ずっとモニタ越しにではなく目の前に実物大で見てみたいと思っていたのだ。その、最初の希望は叶った。
「ああ、思ったとおりだ。カミュー……ずっとこうして会いたかったぞ」
「うん。私もだ。こうして誰よりもマイクロトフを身近に感じたかったよ」
 そうしてはにかむカミューを、しかし今は抱き締める事は叶わない。それでもいつかは。
 いつかはカミューを抱き締めたい。その為に―――。

 こんな事を考えていると知ったら、カミューはどうするだろうか。呆れるだろうか、それとも喜ぶだろうか。今はまだ、分からない。けれど。

「とにかくまた金儲けをせねばならんな……」
「ん?」
「いや、なんでもない。愛しているぞカミュー」
「……マイクロトフ…私もだ」

 愛しく微笑むカミューの瞳。
 きっと自分はこの瞳に魅入られてしまったのだと、マイクロトフは思った。

2005/05/01



heat

 それは小型宇宙艇ユーライアが自動航行を始めて一週間目の事だった。
 マイクロトフがトイレに篭城した。

 篭城、といっても立て篭もってカミューに無理難題な要求をつきつけて来たわけではない。ただトイレの内側に鍵を閉めて出てこなくなったのだ。
 当然カミューは心配になった。
 何しろ、トイレの中だけはカミューの探知が及ばない空間なのである。内部の様子も見えないし集音機もないので音も壁越しのノイズしか拾えない。ホログラフィの映像装置もないからそこにだけはカミューは入り込めないのだ。
 だから外から何度もマイクロトフを呼んだ。しかし言葉少なく「大丈夫だ、心配するな」と繰り返されるばかりで、マイクロトフはちっとも出てきてくれなかった。
 ところがそこでふとカミューは、考えてしまった。
 もしかして―――。

 マチルダを出てたった二人で宇宙空間にはや一週間。ずっとこうして傍に居ることを願い続けたカミューであったし、勿論マイクロトフもそう願っていてくれたと信じている。
 そうでなければ何処の誰が、こんな高性能の宇宙艇を用意し、捕まれば極刑間違いなしの大犯罪を犯すだろう。
 だが、カミューは自分が紛れもなく人格があり魂と呼べるくらいのものを持っているという自覚はあるが、所詮は人造物に過ぎないという事も知っている。だからどこまでも人間に近い精神を持っていたとしても、やはり結局は生まれも育ちも全く別物の人間そのものを理解などしきれないのではないかと、別の側面から考えていた。
 一週間という時間が、人間であるマイクロトフにとってどれ程の時間感覚なのかは分からない。だが、色々と考えるに充分な長さだというのは分かる。
 そこで、もしかしたら、マイクロトフは自分と共に居る事が嫌になったのだろうか、と考えた。そう、考えてしまった。
 だから、カミューの知覚が及ばないトイレに篭ってしまったのだろうか。
 この広大な宇宙空間で、そしてこの狭い小型宇宙艇の中で、マイクロトフがカミューから逃れられるのは、僅か一立方メートルのその空間しかないのだから。
 そう考えたら、とてつもなく『哀しい』気分になった。
 もしかしたらこういうときに生身の身体があれば涙が出るのかもしれない。
 だがカミューという人格は、とても諦めの悪い人格だった。

「マイクロトフ……」
 彼の立体ホログラフィはトイレの前に悄然と立ち尽くし、何度も小声でマイクロトフの名を呼び続けていた。
 そして、実はマイクロトフに内緒にしていたとあるシステムをこれまた内密に立ち上げ始めていた。もしコレがばれたらきっと怒られるだろうと思っていたので、秘密裏にシステムを作り上げ、しかも絶対にばれないように麻酔ガスまで使ったのだ。
 だがそれもこんな状況では仕方がない。
 マイクロトフの怒りを買うのを承知でカミューはそれを起動させた。どっちみち、ここで駄目になるなら同じ事だと思ったからだ。

 ピ、と電子音が響いた。そしてカミューの持つ知覚視野の中に全く別のデータが流れ込んできた。
 脈拍。発汗。体温。
 それはマイクロトフの生体データそのものだった。
 実はユーライアの全システムを管理下においてから数時間後。マイクロトフが肉体の疲労により睡眠に入った時、カミューはその身体に簡単な外科手術を施していたのだ。
 その身体に、勝手にバイオチップを埋め込んで、自分のそれとリンクさせたのだ。こうしてさえあればどこに居てもカミューの力の及ぶ範囲内でマイクロトフの全てを把握できるのだ。
 つまり、それはこの全宇宙の人工知能のある場所ならどの惑星でもマイクロトフはカミューから逃れられない事と同義である。人権無視もいいところだ。
 しかし今はそんなことに構っている場合ではない。カミューは大急ぎでマイクロトフの生体データを解析し始めた。そして。
「あ、れ……?」
 統計学的な数値と比べたそれは、明らかに異常を示していた。脈拍は早いし体温も上昇。呼吸も乱れて発汗状況も著しく異常。カミューは混乱した。
「マイクロトフ!」
 どうしよう。
 病気だったら、すぐさま医療端末にマイクロトフの身体を預けなければならない。それなのにトイレに篭られていてはどうにも出来ない。
「マイクロトフ! 大丈夫か!」
 もしこのまま中でマイクロトフが倒れてしまったら。
「マイクロトフ! 死なないでくれ!」
 叫んだ。
 その途端、中からものすごい音がした。
 咄嗟に生体データを見ると、マイクロトフが中で蹲っているのが分かった。だが直ぐにマイクロトフは立ち上がると、ガチャリとトイレのドアを開けたのである。
「…マイクロトフ」
 その顔を見たとたんにホッとしたカミューは、しかし見詰めたマイクロトフの顔が真っ赤である事に直ぐ気付いた。そしてやっぱり病気なんだと慌てた。
 ところが。
「カミュー。俺は、病気じゃない。だから死なん」
 まるで言い含めるように区切って言うマイクロトフに、カミューは首を傾げた。
「でも」
「………悪かった。心配をかけたのは謝る」
「うん。でも、それでは中でいったいどうしていたんだ?」
 カミューは知らなかった。
 いや、知識としては知っていたが、やはり知識だけでは補えないものがあると、この後に理解した。
「カミュー。もうこの際だから言っておくが」
「なんだい?」
「俺は、これでも正常な成人男性だ」
「それは私が一番良く知っているよ」
 何しろ詳細な生体データを持っている。しかしマイクロトフはそういうことじゃないと首を振った。そして些か困ったように、呟いた。
「…恋人とずっと一緒に居て、何も感じずに居られるほど老成もしていないんだ」
「………ん?」
 マイクロトフの発言を、カミューは急いで解析した。
 そして。
「……えっと」
「カミュー、分かるか」
「………ええっと」
「言っておくが、俺はいつかおまえに生身の身体を持って欲しいと思っている」
「…え?」
「今は医療用にバイオテクノロジーも進化しているからな。高性能のサイバノイドボディにその技術を流用すれば、出来ない事ではない」
「えええ?」
「だからカミュー。俺は金儲けに全力を傾けるぞ」
「マ、マイクロトフ?」
「おまえも協力してくれ! おまえがいれば百人力だ! どこの企業の機密データでも吸い出し放題。売れば何億何兆の世界だからな!」
「ちょ、え? えええ?」

 トイレの前。
 凄腕ハッカー『青騎士』として熱っぽく野望を語るマイクロトフの決意は固かった。

2005/05/01



再掲載 2006/02/20


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