ミューズ

 国家元首が民間代表の完全な民主国家である自由都市同盟。その中央にあってリーダーシップを取っている惑星ミューズ。
 自由貿易が盛んなこの都市は、いわゆる最先端技術が集いやすい環境にある。マイクロトフがマチルダから攫ってきたカミューと共に、最初にこの場所を目指したのは至極当然のことだった。

 宇宙港に一艇の小型宇宙艇が降り立って数時間後。
 ミューズの首都を歩く一人の男がいた。
 黒い皮のジャケットを嫌味なく着こなす体躯は、もしかして軍人かと思わせるほど逞しく隙がなかった。しかし軍人にしては纏う雰囲気が少しばかり謎めいている。
 男は迷いなく大通りを歩いていたが、ふと立ち止まり手首に装着してた遠隔端末であるインターセプターからコードを引っ張り出して耳まで伸ばした。
「……どうした」
 低い声がその唇から滑り出る。
「ん? ああ、まだ時間はかかる。当たり前だ、まだ出て一時間だぞ」
 男は再び歩き出し、カツカツと靴音も高くアスファルトの道を進む。
「分かっている。仕方がないだろう、今のおまえは船から下りられないのだからな」
 男はそして少し歩調を緩めるとやはり迷わずに路地を横へと踏み込んだ。そうしてからコードの上から耳を押さえて眉根を寄せた。
「分かった。分かったからカミュー。大人しく待っていろ、それではな」
 そして男はコードを引き抜くと、さっさとインターセプターに巻き込んで、やれやれと首を振った。それから路地の奥へと顔を向け、そこにあるひとつの扉をじっと見詰めたのだった。

 扉には無用心にも防犯システムの一切がなかった。それは手首のインターセプターで既に察知していたから、マイクロトフは遠慮なくその扉を押し開く。
「いらっしゃい」
 中は以外にも清潔な空間で、柔らかなクリーム色を基調とした壁に囲まれていた。マイクロトフはそして声のした方を向いた。すると。
「診察をご希望ならこちらに身体年齢と基本的な生体データを入力してくださいね」
 子供の声だ。小さな窓を覗き込むと、まだ十才前後の少年が大きな端末の前に陣取って忙しなく小さな手指を動かしていた。だがその手がふっと動いたかと思うと小型パネルが窓から迫り出してマイクロトフの前で点滅した。
「ああ、いや。事前に連絡を入れておいたのだが―――ドクター・ホウアンはいるか」
 すると少年はぴょこんと飛び跳ねた。
「先生ですか? ちょっとお待ちください」
 端末前からひょいと飛び出すと少年はパタパタと奥へと走っていく。その背を見送ってマイクロトフはちょうどそこに待合場所のように置いてあったソファに腰掛けた。
 ややもして、奥の扉が開いた。
「マイクロトフさんですね。私がホウアンです」
 長い黒髪の医師はそういってマイクロトフに手を差し伸べてきた。そのほっそりした手を取り軽い握手をかわす。
「さっそくだがドクター」
「ええ、分かっていますよ」
 にっこりと丸眼鏡の向こうで医師の目が微笑んだ。その時だった。
『マイクロトフ、この馬鹿。覚悟は良いんだろうな!』
 突然室内に『聞き慣れた』声が響いてマイクロトフは驚いて目をむいた。
「カミュー?」
「先生!」
 同時に受付けにいた少年の悲鳴があがる。はっとして振り返れば先程まで少年が向かっていた端末のモニタに、カミューの怒った顔が全面に映し出されていた。
『ただの買い物だなどと嘘をついて、どこをどう調べても健康体のくせに、モグリの医者なんかに何の用がある!』
「カミュー! どうしてここが!」
 慌ててモニタの前に駆け寄ってマイクロトフは頭を抱えた。秘密にしていたはずなのに。しかしカミューは答えずその秀麗な顔を今にも泣き出しそうに歪めた。
『人を置いてけぼりにして嘘をつくなんて最低だ。私に不満があるなら船で言えば良いじゃないか』
「カミュー、違うぞ。そうじゃない」
『確かに船の中じゃおまえのプライバシーなんてないものな。良いよ、船を降りて好きな事をすればいいんだ。その代わり帰ってきても私が船の乗降口を開けるなんて思うな』
「カミュー。落ち着け」
『私は落ち着いているよ。そもそも世界屈指の知能を持つこの私が感情を乱したりするわけがないだろう、ふざけるな!』
 思いっきり逆上しているじゃないかとマイクロトフはモニタの前で四苦八苦する。何しろ相手は数十キロ離れた先の小型艇の中だし、そもそもがこうしてモニタ越しにでしか遣り取りができない。
 まさかこんな風にカミューが誤解して手のつけられない状態になるなど考えもしていなかったマイクロトフは、こうなった時の彼の止め方など分からなかった。
 ところが、そんなマイクロトフの横からモニタを覗き込む気配があった。
「なるほど、彼があなたの恋人ですか?」
「ドクター」
「遺伝子異常の重病患者で寝たきり、にしては元気ですねぇ」
「………いや、これは…」
 どっと全身から汗が噴き出た。
 後ろでは少年がオロオロと医師に困惑を訴えている。
「先生、これは何ですか!? 医院のシステムはこれでもハッキング防止に一番お金をかけているんですよ?」
「ああ、そうでしたねトウタくん。でもきっと彼にとってはウチに侵入するなんて簡単な事なんだと思いますよ。ねえマイクロトフさん」
「……………」
 困った。
 本当に困った。
 そんなマイクロトフの様子と、先程の医師の言葉にふとモニタのカミューの表情が変わった。
『マイクロトフ…?』
「ええと、カミューさんと仰いましたね。大丈夫ですよ、あなたがご心配なさるような用件であなたの恋人は我が医院を訪れたのではありませんから」
『マイクロトフ、本当かい?』
「ああ……」
「ええ、ところでマイクロトフさん。お見積もりで申し上げた料金を半分にしてさしあげる代わりに、少々私のご相談に乗って頂けませんか? なぁに大した事ではありませんよ、とある民間の医療団体の不正の情報をちょっと……」
「……分かった、聞こう。―――カミュー、船に戻ったら覚えておけよ」
『もしかしてわたしは不味い事をしたのかな』
「良いから、早くここのシステムの主導権を返せ」
『でも、マイクロトフ……』
「ああ不安なら俺の端末から話を聞けばいい」
『……良いのかい?』
「今更だろう。どうせ船に戻ってからちゃんとおまえにも説明をするつもりだった」
 するとカミューは不意に黙り込み、それから薄く微笑を浮かべた。
「カミュー?」
『ごめん、マイクロトフ。それなら船でおまえの帰りを待つよ』
 そしてモニタの映像が急に暗転した。
「あ、システムが回復しましたよ先生」
 少年の声に医師が笑って頷く。マイクロトフはただ「申し訳ない」と謝るしか出来なかった。



 二時間後。
 小型宇宙艇ユーライアに戻ったマイクロトフはカミューに、ミューズのドクター・ホウアンが実はバイオロイド技術の先駆者である事を告げた。同時に、所属していた大学の方針に逆らって今はあんな場所で非合法に医療行為をしている事も、彼の持つルートを使えば一体の最先端サイバノイドが入手できる事も告げたのだった。
 ただし、何も映さないモニタを前に。

「しかしカミュー。おまえがそんなにヤキモチ焼きだったとは思わなかったぞ」
「誰がヤキモチだよ。調子に乗るな」
「ああ分かっているとも、俺はおまえ以外は目に入っていないんだからな。ヤキモチなど焼く必要も無い」
「だからヤキモチなんて焼いてない」
「だったらいい加減、俺の前に姿を見せてくれないかカミュー」
「い、や、だ、ね。言っておくけど嘘をついた事はまだ許していないからな」
「済まなかったカミュー。おまえを驚かせてやろうと思っていたんだ」
「…本当に?」
「ああ。もう嘘はつかん」
「約束できるか?」
「もちろんだ」

 そうしてカミューの機嫌を取り戻すのに、マイクロトフはもう暫くの時間を要したのであった。だがそんな相手の反応を「たまらなく可愛いなぁ」と思いながらだった事は、胸の奥に留めたままで。

2005/05/02



doll

「思うんだが」
 医療端末に横たわった、自分の立体ホログラフィそっくりのボディを見下ろして、カミューは言った。マイクロトフは今そのボディから丁寧にスキンカバーを剥がしている所だ。
「なんだ?」
 指先を傷つけないように両手両足の五指それぞれに保湿スキンが覆っている。
「こうやって見ていると、ただの人形に見えないか」
「何を言うんだ、これはおまえの身体だぞカミュー」
「うん。だけどさ……」
 一応シーツを被せてもらってはいるが、その下は素っ裸である。その身体はパーツごとに骨格から丁寧に作り上げられた世界でたった一つのボディだった。つい数時間前にミューズのドクター・ホウアンが手ずから届けてくれたマイクロトフ待望のそれ。
 それらの全ては現在の医療技術の粋を究めたものだ。だが勿論AIであるカミューが動かすべき身体なので、脊椎には神経ではなくコードが通っている。
 だから勿論、血も通っていなければ末梢神経もない。筋肉を動かすために擬似神経と擬似体液は通っているが、今はその体液も凍結状態なので色も何もない。
 これがクローン培養された身体ならば末端まで血管が行き渡っていて、仮死状態になっている筈だからきっと死体に見えるだろう。しかし、これは―――この身体はそうしたものとは少し違う。
「やっぱり人形みたいだ、マイクロトフ」
 極端な事を言えば、骨と筋肉と皮で覆っただけのやはりそれはアンドロイドに過ぎないようで、それならわざわざこんな真似をする意味がないように思える。
 アンドロイドのボディならもう街中のどこにでもあるし、もっと安く―――といってもやはり高価なものではある―――手に入ったはずだ。マイクロトフがどうしてそこまでバイオテクノロジーに拘るのかが理解できないカミューだった。
「良いからカミュー。準備が出来たぞ、一度連結してみろ」
「今直ぐ?」
「ああ。慣れるのには時間がかかるだろうが、まずは試してみろ」
「分かった」

 それは例えば、端末の操作ロボットを操るのとは少し違って、知覚感覚を丸ごと移し変えるという厄介な作業だった。
 だが時間的にはほんの数分だっただろう。唐突に全く別の場所からマイクロトフの声が『聞こえた』。
「どうだ、カミュー」
「………え?」
 自分の声が喉を『震わせる』。そして『目を開く』と間近にマイクロトフの顔があった。
「わ」
 驚いて唐突に『重力』を感じてカミューは固まる。
「カミュー?」
「ひゃ」
 マイクロトフの掌が、自分の頬に『触れた』。
 だがそれらの感覚をカミューの優秀な知能は即座に処理し解析していく。数秒後にはすっかりと落ち着いていた。
 それで、どうしてマイクロトフがこのボディに拘ったのかが理解できた、と思う。
「マイクロトフ」
「うん?」
「おまえの手が温かい」
「ああ、そうだろうな」
 頬に触れたままだったマイクロトフの掌に、カミューはすり、と頬を摺り寄せた。
 それはダイレクトに『感じる』ものだった。
 この身体は視野も狭ければ集音効率も低い。しかも重力なんてものを感じるし、各関節の稼動領域も狭い。だがしかし、全てを機器で捉えていた世界とは全く違う感覚をカミューに伝えるのだ。それらは、驚くほどすんなりとカミューに馴染んだ。
「気分はどうだ?」
「良いよ、とても」
「それは良かった。ではおまえの新しい身体に祝福を」
 目の前で微笑んで、マイクロトフの顔が迫った。
「………」
 それ、がなんであるかは知っている。ただの接触ではない、特別の意味のある接触なのだ。
「なぁマイクロトフ、もしかして今のが私のファーストキスなのかな」
「その通りだカミュー。―――気分はどうだ?」
 マイクロトフは先程と同じ質問を繰り返した。
 カミューはそれに少しばかり考えてから答える。

「…良いとも。それも最高に、だ」

 ただひとつ、新しい身体で上手に笑えたかどうかは、マイクロトフの笑顔で判断するしかないのがもどかしいと思った。

2005/05/02



再掲載 2006/02/21


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