グリンヒル

 電脳の世界はありとあらゆる情報が氾濫している。
 虚実合わせたそれら情報の大海を、習い性のように漂いながらカミューは薄っすらと瞳を開いた。
 マイクロトフとカミューの宇宙艇は現在惑星グリンヒルの宇宙港に停泊中である。例によって例の如くマイクロトフはひとりで船を降りて惑星の首都へと出掛けている。
 目的はカミューのセクサノイドボディ入手のためだ。
 マイクロトフは、もう随分以前からこのグリンヒルに在住しているボディデザイナーのジュドと内密に連絡を取っていた。この惑星に到着してもう一週間。毎日のように出かけては遅くに戻ってくるマイクロトフに対して、カミューはずっと船内で留守番である。
 いい加減、飽きた。
 このグリンヒルの大抵のシステムに潜り込むのも、飽きた。
 マイクロトフは毎日機嫌良く出かけては、夜はカミューを抱きしめて眠る。一緒に出掛けたいと言わなかったわけではない。だが何故だかマイクロトフは、それは駄目だと首を振るばかりなのだ。
 確かに人間として振舞う事にはまだ全く慣れていないカミューだ。ずっとこの宇宙艇の中で過ごしてマイクロトフ以外の人間と接触を持った事もない。
 突然大勢の人間の中に放り込まれて、自然に過ごせる自信は正直なかった。しかし。

「……何事もチャレンジだな」
 呟いてカミューは、一時間後には宇宙港から街中へと出ていた。



 ジュドはアンドロイドのデザイナーとしてかなり著名な人物である。と同時に彼は医師として整形手術を行う資格も持っていた。
 事故などで欠損した身体の一部を補うために、人口パーツを彼に設計して施術してもらいたいと望む人は連邦中に多くいる。
 何故なら彼の施術したパーツはそのあまりの独創性と精巧さ故にとても人工物とは見えないのだという。生身よりもより生々しいとさえ言われる彼の腕は、連邦ではおそらくトップクラスといえた。
 しかしジュドという人物は、医師として以前にアンドロイドのボディをデザインする方に血道を上げている芸術家であり、常に最高のボディを求めていた。が為に、彼に施術を依頼できるチャンスは酷く少ない。
 それをどうにか頼み込んでマイクロトフは彼にカミューのセクサノイドボディを作らせる事を了解させたと聞く。
 いったいどれ程の報酬を約束したのか、ちょっと聞くに聞けないカミューである。
 だが、そのジュドの住まいが今カミューの目の前にあり、マイクロトフのバイオチップもこの建物の中にあるとカミューに教えている。
 カミューは人工心肺をドキドキさせながら、呼び出しのためのセンサーに手を翳した。



 案の定、マイクロトフは激しく怒った。
 しかもそれが怒鳴ってくれるのならまだしも、最初に驚いたように目を瞠ったきり、碌に口を利いてくれなくなったのだ。むっつりと黙り込み、不機嫌そうにカミューから目を逸らすばかりだ。
 怒らせるかもしれない、とまでは考えていたカミューも、こんな反応までは考えていなかったので、とても困惑した。そして、もしかして嫌われてしまったのだろうかと考えた時点で、とても哀しくなってきた。
「マイクロトフ…」
 ジュドのアトリエの隅で、カミューはひたすらしょんぼりと萎れていた。するとそこににこにこと目を細めてお茶を出してくれた男がいた。
「随分と元気がありませんね。具合でも?」
「あ、いえ―――」
 目はマイクロトフの様子をずっと追っている。せめて目を合わせてくれたなら少しは彼の気持ちが分かるかもしれないのに。
「それにしても、二次元静止画で見たよりも、実物の方がずっと魅力的なラインをしていますね」
「え?」
 すると不意に肩を撫でられた。
「ひゃあ」
「ですがアレでも充分。一目見た時から創作意欲が刺激されましたよ」
 言いながら、男の手はするするとカミューの背を撫で腰を撫でる。
「わ、わ……わあっ」
 カミューは一瞬でパニック状態になった。
「安心して任せてくださいね。最高のボディを作ってあげますから」
「なっ、なに…っ、ひ、や」
「そこまでにしてくれんかジュド。それ以上カミューに触れるな」
 突然目の前に影が射したかと思うと、カミューと男の間にマイクロトフが割って入り、身体に触れていた手をもぎ離していた。
「ああ失礼。あなたの大切なパートナーでしたね」
 男はいやはやと肩を竦めて、いとも簡単に離れた。
「マイクロトフ……」
「カミュー、この男がジュドだ。おまえのセクサノイドボディを作ってくれる」
「あ―――」
 この男が、と改めて見上げれば頭に布を巻いた妙な格好をしたその男は、何故だかカミューをしげしげと眺めて嬉しそうに笑っている。
「この一週間、駄目だ会えないばっかりで。まったく。だけど出し惜しみするのも分かりますよマイクロトフさん」
「ジュド!」
「そんなに怒らないで下さいよ。ほらカミューさんだって困っていますよ。ただ心配だっただけなんですから、彼に八つ当たりするのはお門違いですよマイクロトフさん」
 またもやカミューは、え? と今度はマイクロトフの顔を見上げた。すると彼の耳が赤くなっているのに今頃気付く。
「どういうことだ? マイクロトフ」
「いや―――すまないカミュー。ジュドの言うとおり俺はおまえが心配だっただけなのだ。一人でここまで、本当に何事も無かったのだろうな」
「もちろんだよマイクロトフ」
 カミューは心外だと言わんばかりに、マイクロトフに答えた。だがふと思い出した事に「あ、でも」と付け加える。
「そういえばここに来るまでにやたらと道を聞かれたよ。よほど私は地元の人間に見えたのだろうか」
 片手では足らない人数に声をかけられてしまった。グリンヒルは惑星全土を通して学府と言われるほど学術研究施設が多く、観光客は少ないはずだ。地理に疎い人間はそういないと思われるのだが妙な事である。
 それに、とカミューはもうひとつ首を傾げる事を思い出した。
「それにグリンヒルの人は皆、大げさにお礼をしたがるんだね。道を教えただけなのに何度も食事に誘われて困った」
 先を急いでいるから、と丁重に断ったが誰もが残念そうに何度も誘いを重ねてきたので、ここに来るまでに少し時間がかかってしまった。
 だが、ねえ、と疑問をぶつけて振り向いた先―――マイクロトフはガックリと肩を落とし、ジュドも何故だか肩を震わせて笑っていた。
「カミュー、おまえな……」
「なに?」
「う……いや」
 とそこで笑い突っ伏していたジュドが顔を上げて細めた瞳を擦った。
「中身も魅力的だなんてね、尚更創作意欲が増しましたよ。それにしても、本当に綺麗だね」
「え?」
「自分で設計したって本当かい? ラインが信じられないくらい自然なカーブだよ」
「ふあっ」
「しかもボディはあのミューズの天才医師が用意したって言うじゃないか。これは手を抜けない仕事だよね」
 ジュドの手が肩を撫で腕を摩り脇を掴み腰を抱く。
「マ、マイクロトフ…っ」
 マイクロトフ以外の手に触れられた事の無いカミューは全身をパニックで硬直させながら、泣きそうな気分で助けを求めた。
 すると差し伸べた手をガッシと掴まれて、ぐいっとばかりに引き寄せられて、あっという間にマイクロトフの腕の中に囲い込まれていた。
 途端にホッとする。
「ジュド……」
「ああごめんごめん」
「カミューのデータは全部渡しただろう……二度と触れるな」
「はいはい」
 言いながらもジュドの手は感触を思い出してかさわさわと動いている。
 その手の動きに顔を顰めたカミューだったが、数ヵ月後にジュドが送りつけてきた新しいセクサロイドのパーツは見事な仕様で、マイクロトフもあの男は天才だと呟いたのだった。

2005/06/12



再掲載 2006/02/23


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