body
カミューの身体は頑丈だ。
健康、という意味合いではない。正真正銘、言葉どおりに頑丈なのだ。
カミューのバイオロイドボディは、世界でただひとつの『カミュー』という人物のDNA情報から生成され、高速培養された生体組織から作られている。
いわずもがな一才に満たずに死亡したグラスランドグループ創始者の孫のDNAだ。何の意図があってか、AI『CAMUS』の基礎に植えつけられていたその情報は、一人の人間を構築する全ての情報が揃っており、だからこそカミューもそれを基にして擬似的に肉体をホログラフィで再現出来たのである。
カミューは最先端の技術と己の能力を駆使し、細胞から作り上げた体組織をクローニングさせたものを用いて、ミューズのホウアン医師に自分のバイオロイドボディを作らせた。
ところがそこにマイクロトフがちょっとしたオプションをつけていた。元は遺伝子異常の重病で死んだ人物のDNAなので、再生して直ぐに発病しては元も子もないためにその遺伝子情報を弄るのは当然ながら、培養の段階でその全てを強化したのである。
そう。骨格や筋肉組織が常人と比べてちょっと超人並に頑丈に強化されているのだ。
見た目は普通。しかしカミューの身体は鍛え上げられたアスリートよりも優れ、特殊金属や繊維で製造されたアンドロイド並みに頑丈な肉体であった。
もちろんセクサノイドにチューンアップした際のパーツも同じくだ。いわば無敵。それは宇宙で最高にして唯一のAIであるカミューを守るためには当然ともいえる処置なのだろうから、お互いに異論はない。ところが、成ってみてはじめて分かる弊害というものも、あるのだ。
口付けが深まるにつれてカミューの身体は徐々にマイクロトフの腕に委ねられていく。セクサノイドとしてのボディに変わって後、彼の感覚はよりいっそう鋭敏になったらしい。直ぐに蕩けるような眼差しに変わってぼうっと見上げてくる瞳はなんとも言えない艶を含むようになってきていた。
今も小型宇宙艇ユーライアの操縦席の中で、窮屈であるのにかかわらずその膝の上に乗ったカミューはマイクロトフの口付けに翻弄されるばかりだ。
それも不安定な膝の上、頼るのはマイクロトフの腕ばかりとその腕に縋って、快感に震える身を持ち堪えさせている。
「…ん……あっ」
「―――っ」
官能的な吐息を零すカミューと、その身体を何とかもっと自分の腕の中に閉じ込めようとするマイクロトフと。だがそのマイクロトフの顔色が若干青い。
引き攣っている、とでも言うのだろうか。だが口付けを止めるつもりは無いようで、カミューのこめかみを撫で後ろ首を掌で抱え込んで呼吸まで奪うように舌を絡めあう。
「…んんっ」
「くっ」
そこでとうとう苦痛のそれ以外のなにものでもない呻き声を零したマイクロトフであったが、蕩けたカミューは気付かない。どころかますますその腕に縋りつく。
マイクロトフは尚更引き攣り、ビクッと身体を強張らせてカミューの髪からその腕へと手を動かした。
「―――あっ…なに…?」
「いや…」
ふと緩んだ口付けにカミューがぼんやりと首を傾げる。マイクロトフはそれに苦笑いで応えて、さりげなくその手を自分の腕から解かせた。
―――痺れている…。
口付けの気持ち良さを感じる本能とは全く別の場所にあるマイクロトフの理性が、身の危険を感じてざわざわと鳥肌を立てさせる。
思わぬ弊害。
ひとえに全てはカミューがまだこのボディに慣れていないからだ。
マイクロトフはそう思い込むことで自分を勇気付けていた。だが、もしこれがどうしても抑制の効かないものだったとしたら。
―――骨ごと粉砕される可能性もあるのではないのだろうか……。
今のところ、マイクロトフはカミューにあらゆることを慣れさせるのに懸命だ。最初のリンク段階で、肉体そのものはある程度の筋肉が供えられていたので、動く事に支障はなかった。だが細やかな作業や微弱な力加減はやはり難しく、次第に慣れてその感覚を掴むしかない。
だがそれも数ヶ月経った今では、小さな針の穴に糸を通す事も出来るようになったし、鶏卵だってボウルに綺麗に割る事も出来るようになった。
―――ああ、だが。
テディ・ベアよろしく、その身体を抱き締めていたる所に口付けを落として指先で触れ、手で撫でて―――そんなことを繰り返して、その身体の反応を引き出す努力を繰り返してきたマイクロトフだったが、それが裏目に出たと言うのかなんと言うのか。
敏感になって反応が良くなったのは結果として満足だ。
―――ああ、だがしかし。
気持ち良くなってそれに意識を攫われたカミューの力加減といったら、骨をも砕きかねない怪力なのだ。
このままでは本気で命の危険を感じる。
まだ今は口付けだけでそれ以上には進んでいないが、それだけでも縋られた腕が痺れて青黒い痣が浮かぶのだ。これがもし本格的にベッドで事に及ぼうものならどうなる事か。
想像するだけでゾッとして背筋が凍るマイクロトフである。
マイクロトフとのスキンシップで蕩けてくれるのは幸せだ。しかし、それでこちらが重傷を負ったりましてや瀕死になるのは―――……悲劇なのか喜劇なのか。
目下のマイクロトフの悩みは、いかにしてカミューにこの事実を伝え、そして力加減を制御する術を見つけ出してもらうか、である。
2005/06/14
worry
カミューは悩んでいた。
こんな事はマイクロトフと出会う前にはなかった現象だ。それまでカミューは人格や感情を備えてはいても、あくまでその存在意義はAIとしてスーパーコンピュータを統率する立場であり、全てを演算で処理してきたのである。
だが有名なハッカーである『青騎士』のマイクロトフと出会って、最初に生まれた不可解な感情を認識して以来、カミューは全てを演算だけでは処理できない事を知ったのである。
ちなみにカミューが最初に強く認識した自分の感情は『さみしい』である。スーパーコンピューターのAI『CAMUS』にハッキングしてきた『青騎士』が、ひとしきり―――三日三晩ぶっ続けだった―――カミューと遊んでくれてそして接続を切ってしまった後―――体力の限界だったらしい―――『青騎士』がいなくなってしまってカミューは初めて寂しいと感じたのである。
以来、カミューは様々な喜怒哀楽の感情を自覚していったのである。そして『ずっとマイクロトフと一緒にいたい』と思う心を止められずにとうとうその方法を考え出してマイクロトフの協力の下に実行に移して念願叶って一緒に過ごせるようになって、もう数ヶ月。
カミューは新たに覚えた自分の感情に振り回されていた。
それはセクサロイドになってもう随分経った頃だ。それ以前にバイオロイドとして充分な機動訓練を行ってすっかり普通の人間と変わりのない動作が可能になっていたので、今更一部のパーツを変更したとして大した影響はなかった。
だから今のカミューはどう見てもAIには見えない。流れるような歩調に自然な表情と澱みのない口調。基礎的に恵まれた肉体を活かした毎日の訓練にも抜かりはないので、身体のほうだって至極健康体で丈夫だ。
それなのに。
「どうして彼はわたしに手を出してこないんだろう……」
呟いた声がそのまま文字となってカミューの目前のモニターに映し出される。すると僅かのタイムラグを置いてその下に別の発言が表示された。
ppsss_363_ran: きっと君を大切に思っているんだ。
wing-boy: いや、単に面倒だから手を出しかねているんじゃないのか?
poison58: 処女は確かに面倒。
ppsss_363_ran: 馬鹿を言うな『烈火』さんは大病を乗り越えてきたんだぞ、それを支えてきた彼が今更そのくらいの面倒で怯むものか。
wing-boy: どうだか。どんなに精巧なボディだってまがい物の身体はごめんだって言う奴はいるからな。
ppsss_363_ran: 貴様、今全宇宙の『義体者』を侮辱したも同然だぞ!
wing-boy: 俺が言ったんじゃない。言われたんだ。
poison58: そういう奴多い。
次々と発言が繰り出されては論争が交わされる。ちなみに、それらは医療関係のネットシステムにある『義体者』専門の交流所の、同性愛者用のチャット参加者たちの発言である。
ここでカミューは『烈火』と名乗って、当たり障りのない程度で自分の状況を説明して相談に乗ってもらっていたのだ。
つまり。
私は現在27才の男性です。
遺伝子異常の重病が原因で今は体の大部分を義体に頼っています。そんな私を励まし続けてくれた恋人のおかげで病気に負ける事無く完治し、今は一緒に暮らしています。ですがずっとプラトニックな関係だったのでそろそろ先に進んでも良いと思うのに彼はそんな素振りを見せてくれません。私はどうしたら良いんでしょう。皆さんどうかご意見を聞かせて下さい。(烈火)
19857045 rekka GD559/9/12/336
(笑うとこです!)
こんな感じである。
だが実のある意見は得られなかった。
カミューは話題が、世間でどれだけ義体が誤解されているか、という論争に移っていくのを何となく見遣りながら、結局当たり障りのない言葉で締めてチャットを出た。
結局誰にも本当のカミューの悩みに答えてもらう事は出来ないのだ。いったい何処の世界に恋人との関係に悩むAIがいると思うだろうか。
カミューは悩む。
どうすればこの悩みが解決されるのか、と。
宇宙で唯一恋するAIの悩みは尽きない。
2005/07/04
再掲載 2006/02/24
企画トップ