マチルダ

 連邦の中でも、その科学力の高さは群を抜いている高頭脳集団国家マチルダ。
 国家の中枢は政府ではなく実は巨大財閥ロックアックス・コンツェルンであるのは有名なことで、このコンツェルンが擁している研究機関の統合局長ともなれば、マチルダの首相よりも発言権が大きい。
 現在、この統合局長の任に就いているのがゴルドーという男である。若干三十七歳という若さでありながら研究者ばかりの白衣集団の中でその政治力を活かして異例の若さで成り上がった人物だった。
 彼がその地位に就任したのはおよそ三年前。
 その頃からマチルダがそれまでと国家の体制を変えてきていることに気付いているものは少ない。
 それ以前は連邦の中で際立つ科学力を持っていても、あくまでそれだけの存在に過ぎなかったマチルダである。ただ企業グラスランドの協力の下に作られた世界最高水準のスーパーコンピューターも、もっぱら研究の為の施設であり、決して軍用目的のものではなかった。
 ところがゴルドーが統合局長に就任して以降、これの研究目的が百八十度転換した。
 連邦にも加盟をしていない軍事政権国家とのパイプを繋いで潤沢な資金を得、それまでAI自体の性能を高めるために研究されていたスーパーコンピューター『CAMUS』は、いつしか兵器開発のための施設と成り代わっていた。
 だが、その準備におよそ三年の期間を要して漸く兵器開発の研究に本腰を入れようとなったある日、マチルダでは悪夢の五時間と呼ばれているサイバーテロが起きた。
 『マチルダの動乱』と後に呼ばれたその夜以降、スーパーコンピューターの要である主頭脳のAI『CAMUS』は本体ごと忽然と消え去り、ゴルドーの野望はその助走段階で失速することとなったのである。

2006/04/02



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 小型艇ユーライア船内。

「カミュー、何を調べている?」
 呼ばれて振り向き、カミューは端末を操作していた意識を止める。
 手首のインターセプターに繋げたコードから、小型宇宙艇に搭載されているもうひとつの自分の身体を操っていたところだった。
「うん、ちょっとね……」
 振り返った先、マイクロトフは風呂上りで首にタオルをかけて、上半身裸で突っ立っている。濡れた黒髪に「風邪を引くぞ」と嗜めて、インターセプターからコードを外す。それからゆっくりと立ち上がりマイクロトフの手を掴むと彼の黒い瞳を見上げた。
「実家がね、駆け落ちした息子を取り戻そうと動き出したよ」
 カミューの比喩にマイクロトフが一瞬だけ呆然として、それから苦笑を浮かべる。
「……マチルダ、か…」
「うん、だからマイクロトフ。暫くは動かないほうが良いかも知れない」
「ああ。だがその前に今入っている仕事は片付ける」
「何だい?」
「ハイランド皇国の貴族の、亡命の手伝いだ」
「あぁ、あそこは今、軍事クーデターで酷いんだったか」
「うむ。今度リューベという小さな星で環境会議が開かれるそうでな、そこで亡命手続きをしたいらしい」
「その貴族の名は?」
 問うカミューにマイクロトフは軽く首を傾げながら記憶を探る。
「ウィンダミア、だったか」
「調べておく」
 即座に返したカミューに、マイクロトフが僅かに目を瞠る。
「おい、そんな怪しい相手ではないぞ」
「うん。だけど一応はね」
 国家レベルで名だたるハッカーとして手配されているマイクロトフの実力であるから、不審な取引相手ではないとは思う。だが念には念を、だ。
「……マチルダがこのまま黙って引き下がっていてくれるとは、思っていなかったけどね」
「うん?」
「相手が相手だし、必要以上に警戒しても無駄じゃないはずだ」
「それは、かなり乱暴な手段でおまえを取り返しに来るかも知れない、ということか」
「それこそ、なりふり構わずにくるだろうな」
 カミューが持っている情報の重要性を考えれば、非合法な攻撃を仕掛けてくる事だって考えられる。それを考えるとやれやれと首を振るしかない。
「ハネムーンは短かったなぁ」
 呟いてマイクロトフにぎゅうっと抱きつくと、ぽんと大きな掌が背中を撫でる。
「なんだ」
 カミューは身体に響いてくるマイクロトフの低音の振動に目を細めながら、肩に頬を寄せてぐりぐりと懐いた。
「いや、マチルダの連中を相手にするのかと思ったらちょっと面倒だなぁって」
「何かあるのか」
 問い掛けてきたマイクロトフに、カミューはことさら真剣な顔をして答えた。
「……財力はあるし組織力はあるし、しかも指導者が馬鹿なんだ」
「は?」
 ぽかんとしたマイクロトフに、カミューは人差し指を立てると畳み掛けるように、深く頷いた。
「もう救いようがないほど、馬鹿で。そんな馬鹿が頂点に立ってる武装組織が相手ってどう思う」
「………最悪だな」
「だろう?」
 僅かだけ考えた後にそう呟いたマイクロトフに、カミューは微妙な笑みを浮かべた。

 その最悪な相手とこれから渡り合わなければならないのだと認識して、二人して顔を見合わせると苦笑いを浮かべた。

2006/04/08



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