16. 石の街
そして後日。
バル一味の取調べを進めて行くうちに、やはりある一人の白騎士に絡む贈収賄の事実が明るみに出た。
しかし、その事実は直ぐに内々に秘された。くだんの白騎士は密かに処分され、バル一味の罪状はあくまで毒の不正流用と殺人に留まり、騎士への贈賄はなかったことにされた。
理由はわかりきっている。醜聞だからだ。
白騎士団長ゴルドーは見苦しいものを好まない。だが流石にカミューがその耳に一連の不始末を囁いた時には烈火の如く怒った。その怒りの根は、これほどの大事件の結末が、ただの個人的矜持で内々に片付けられてしまった事だった。
しかし白騎士が一人、問答無用で追放処分になっただけでもまだマシな結果だっただろう。バル一味の始末も全て赤騎士の手に委ねられることを許されたのも良かった。
暫く白騎士団ではゴルドーの怒りを収めるために、見せ掛けだけでも綱紀粛正に努めねばならないだろう。その分、赤騎士と青騎士が少しだけ襟を緩められるのは幸いだった。
「レニーも直ぐ釈放されたしね」
まだ春には遠い寒空の下、カミューは大通りを敷き詰める石畳をゆっくりと歩きながら、横を歩くマイクロトフに語りかける。
「ああ、あれきり会っていないが息災だろうか」
「元気でやっているよ」
「知っているのか?」
驚いて立ち止まるマイクロトフの装いは青騎士団長のそれ。ついで同じく立ち止まったカミューもまた紛うことなき赤騎士団長の装いに身を包んでいた。火傷の痕はもうすっかりと癒え、以前どおりに一分の隙も見当たらない優雅で洗練された騎士がそこにいる。
「もちろん。部下を一人定期的に寄越しているから」
にこりと頷いてカミューは答える。当然その部下には騎士の身分を隠させてはいるが、レニーは全てを心得ている。それについて問題は無い。
「何のためにだ。もう二度と関わらないのではなかったのか」
「なんだ、縁を切りたかったのか? そうは見えなかったが」
カミューの切り返しにマイクロトフがうっと詰まり、答えも返せないまま再び歩き出した。その背を思わず笑って見てしまう。
実際、あの事件でレニーたちの功績は大きかった。
バル一味の居所を暴き、表立っては動けない赤騎士たちに代わって、建物に突入し、カミューと令嬢を解放するのに充分な働きをした。マイクロトフだけは堂々と動いていたのに、全く問題にならなかった事は、取り合えず置いておく。
それで『通報を受けて騒ぎの収拾のために、当事者たちを捕らえた』という表向きの理由のために、バル一味ともども縄をかけたというのに、彼らはその無礼な扱いにも文句を言うわけもなく。ただカミューの無事な姿ににやりと笑って、そして釈放された後は大人しく自分たちの住処へと戻ったのだった。
マイクロトフもまた彼らの助力に感謝し、密かに青騎士団長としてレニーに上等の酒を一本と、仲間たちのために樽酒を三つと干し肉や木の実などを麻袋でひとつ、贈った程だ。現物支給の褒美が一番喜ぶだろうとのカミューの提案の結果である。
その為に金惜しみをしなかったマイクロトフである。レニーたちへの好意は破格だったに違いない。それでもマイクロトフの方は彼らとの関係はそれっきりだった。だがカミューは違った。
「折角結んだよしみを失うには、彼の人と為りは惜しいよ。だからこれからもこっそり赤騎士団は裏通りと情報をやり取りする事にした」
追いかけたカミューが説明すると、マイクロトフは難しい顔をして唸った。
「しかしその寄越しているという赤騎士、平気なのか。レニー殿は信用に足るがあの界隈はそれで無くとも物騒だ」
純粋に赤騎士の心配をしているのだろう。それにカミューは笑って「それなら心配無用だ」と答えた。
「成り行きでレニーとは顔を合わせていたし、誰かさんに似て突っ走りがちだけど、あれで臨機応変な柔軟さもある。直ぐに馴染んで上手くやってるらしいよ」
「誰だ……?」
「さぁ、誰だろうね」
病み上がりにしては上々の仕事をこなしている部下を思い出し、くすくす笑ってカミューはマイクロトフを追い越して先を歩く。
「さあ見えてきた。おまえはあの御仁と顔を合わせるのは初めてだね。だけどおまえならきっと気に入られるよ」
そんなカミューの指差す先には、前にマイクロトフを表で待たせた覚えのある書店の古めかしい扉があった。颯爽と歩き、風になびいたマントを払ってその木戸を開けると、カミューは恭しく中へマイクロトフを招く。そしてその肩に手を乗せて店内を覗き込むと悪戯な笑みを浮かべた。
「こんにちは」
涼やかな声に、本棚と同化していた老人が僅かに身じろいで、白っぽい瞳がぎょろりと動いた。
「これは騎士殿、お久しゅう」
だがその声は、カミューがこれまでに聞いたどれよりも嬉しそうな色合いを含んでいる。そして戸惑うマイクロトフの背中を押して、カミューはそんな老人の前までやってくると、にこにこと微笑みを浮かべながら青い衣に包まれた腕を取った。
「紹介しますよ。彼が、マイクロトフです」
言いながら老人の目の前までマイクロトフの手を持って行く。と、白っぽい瞳が笑うように細められて、萎びた手がゆるゆるとその大きな手に触れた。
「おお、お噂はかねがね。お会いできて恭悦至極」
乾いた枯れ木のような指先がぎゅっとマイクロトフの手を握ったが、老人の声はかくしゃくとしている。
「さてマイクロトフ、紹介しよう。この御仁は何を隠そうこの街で最高齢の情報屋だ」
「なに!?」
さらりと告げた言葉にマイクロトフがギョッと驚く。と同時に老人がうひゃひゃと笑った。
「一言余計だな。わしは『最高』の情報屋だ」
「ああ、そうでした。これは失礼」
カミューも可笑しげに笑い声をこぼして、ただマイクロトフだけが呆気にとられるばかりだ。
「この石の街でこの御仁の知らないことはない。依頼すれば何でも教えてくれるよ、ただし情報料も最高だけどね」
肩を竦めたカミューに、マイクロトフは驚きも隠せずにうひゃうひゃと楽しげに笑う老人を見下ろしている。いったいカミューの交友関係はどうなっているのだと頭を抱えたい気分なのかもしれない。
だがカミューはこの老人をマイクロトフに紹介できたことが何よりも嬉しかった。以前からちくちくと老人にねちっこくせっつかれてはいたが、それをするには隠しておきたい自分の裏の部分をさらけ出してしまうような気がしていたのだ。しかし先日以来カミューの中で何かが変わり、今朝唐突に思いついた。マイクロトフならば受け入れてくれるだろうと思ったのだ。決断すれば早いに越した事は無い。それでさっそく連れて来たわけだ。
そして満足げに微笑んでいると、老人がふと笑い声を納めてカミューとマイクロトフを見比べ、にやりと笑った。
「今日は思わぬところで随分と楽しい気分にさせてもらった。お礼に情報をひとつ、無料で差し上げよう」
その言葉にカミューが目を剥く。無料? この老人が無料で?
これまでの付き合いの中で情報料に一切の妥協を許さなかった老人である。いったいどんな裏があるのかと身構えた。ところが。
「別に怖い事などありはせん。レニーと言う男を知っとるだろう」
「はあ…」
こっくりと頷くと老人はまたにやりと笑う。
「最近、奴めは失恋の痛手から漸く立ち直ったらしい、そのきっかけと言うのがな」
失恋? あの髭面の男が恋などいつ抱いていたのだろうか。カミューが怪訝な表情を浮かべる横で、マイクロトフは腕組みをし、深く目を閉じて口を真一文字に結んでいた。
そして老人は続ける。
「若い飲み友達が出来てな、今度はそいつが恋をしたというのでその応援に夢中になったからという」
なんだそれは。
老人の言葉は遠回しすぎて直ぐには理解が及ばない。マイクロトフはと言えば相変わらず目を閉じたっきりだ。
「まぁ聞きなさい。その若いのの恋の相手と言うのが、レニーに恩があると言ってある日訊ねて来たこれまた若い娘でな。奴の店にはとてもではないが似合わん、育ちの良さそうな美しい娘だと言う」
はっ、とカミューが目を瞠る。それを得たりと老人が頷いた。
「最新の情報では、その若いのと娘は今日二度目の逢瀬らしいな」
どうやら恋は上手く行きそうだ、と最後に締め括って老人はにやりにやりと笑った。
なんだそう言う事か、とカミューは前髪をかき上げて笑みを噛み殺す。全く知らなかった。あいつめ報告書では何も書いていなかったじゃないかと内心で罵るが、別に個人的な事まで書く義務はない。そしてまた、レディはなるほど突っ走る男が好みだったのかなと思ったらまた笑みがこみ上げてきた。
「なんとも『最高』な情報ですね」
「そうだろう」
そして老人は「また来ると良い」と言ってその白っぽい目を閉じた。そうすると入ってきた時のように老人の身体は店の空気に同化して、息遣いすら聞こえてこないような状態になる。
カミューはそんな老人を見てそっとマイクロトフの腕を取った。
「また、何か良い本があれば買いに来ますよ」
一言残して店を出た。
途端に寒さが身に染みてカミューは首を竦めた。ところがふとマイクロトフの身体がそんなカミューを寒さから庇うように立つ位置を変える。
「まだまだ寒いな」
と全然寒がっていないような口調で言うから、カミューはまた可笑しくて笑った。あの事件での傷はすっかりと癒えたと言うのに、あの夕方まで寝入ったその翌朝にまた発熱して寝込んだことが、この男には随分と衝撃的なことだったらしい。
以来、気温の変化を感じると直ぐにカミューの体調を案じる癖がついてしまった。もうすっかり復調しているというのに、心配性に拍車がかかってしまっている。
「でも、一足先に春の気配を感じたよ。幸せになってくれると良んだが……」
「さっきの話か?」
「うん。きっとレニーの若い飲み友達とは、わたしの部下の事だと思う」
そして娘とは、きっとエリス嬢の事だ。
だがこれはマイクロトフには言うまい。彼女はもう新しい出会いをした。実現しなかった見合い相手への憧れはそのうち彼女の中から消えてなくなるだろうから。
だがマイクロトフは何故か、レニーの名前に何度も唸っている。
「そうか、レニー殿が……」
「レニーがどうかしたかい」
「いや……やはり俺は……いや、よしておこう」
立ち直ったのなら今更俺が行った所で、とかなんとかぶつぶつ言って何やら自己完結をしている。
「マイクロトフ?」
「ああ、うむ。春だな」
うんと頷き、拳を握り締め寒風吹きすさぶ空を見上げる。わけがわからないままカミューもやはり空を見上げた。
そこへ一羽の鳩が飛び抜けていった。その姿は空へと舞い上がり、荘厳なロックアックス城を背後に更に更に上へと飛んで行く。白い影はそして青い彼方へ消えていった。
冬の青空。
白い石の街とく澄んだ空は、とても美しかった。
終
ながらくお待たせして、やっとの完結です。
といっても当時の原稿からさして大幅な修正はなしです。
加筆部分も地味ーに台詞を変えたり文章を少し足したり程度。
だけども、ボロ雑巾部分はちょっとだけ頑張って書き直しました。
楽しんで読んでいただけましたら幸いです。
どうもありがとうございました。
2008/06/01
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