カミューさん、自分のこと「カミュー」て呼ぼうよ企画★
独占欲と対抗意識
夜会と言うのはどうしてこうも耳慣れない騒々しさがあるのだろうか。
そんな事を考えていたマイクロトフは、ふとその原因に思いあたった。成る程、これほどの婦人が集う機会に居合わせることなど滅多に無いからなのだ。女性たちの男とは違う高い声が寄り集まったざわめきは、つまりはマイクロトフにとって非日常的なのである。
常から夜会などと言うものは面倒がって欠席してばかりいるマイクロトフだった。だが今回は何某侯爵の令嬢だかの要望で、青騎士団長が出席せねば騎士団への出資は出来かねるとの事で、たかが夜会ごときさっさと行って来いとの白騎士団長の命令で、出席せざるを得なくなったのである。
だが当の侯爵令嬢はさっきから見当たらず、出席したもののただ壁に寄りかかってぼんやりと酒など舐めるしかないマイクロトフだった。
「随分と疲れた顔をしているじゃないか」
ひょっこりと人波から顔を出したカミューが、からかうようにそんな事を言って来るのに、マイクロトフはがっくりと肩を落として応えた。
「耳鳴りがずっと止まないみたいだ」
どちらかと言えば静謐を好む性質のマイクロトフである。心得ているカミューはそうだろうね、と頷いて壁に凭れていたマイクロトフの横に滑り込んできた。今夜はこうして共に夜会に出席している赤騎士団長である。青騎士団長とは違ってそれなりに夜会には顔を出しているのだからこんなざわめきも慣れたものらしく、「そうか」などと笑っている。
だがマイクロトフはその横顔を不思議そうな目で見た。
「良いのか」
女性相手にろくな社交術も無いマイクロトフであるからして、こうして隅でぼんやりとしていても構わないものの、華やかな外見もさることながら対する女性を決して不快にさせず、好感を得て去ることが可能なカミューは、こんな場所では忙しいことこの上ない。
なので、自分の側などに来ていて良いのかと言う意味で問うたのだが、カミューもまた疲れたように俯いて肩を竦めた。
「到着するなりあちこち引っ張り回されてまともに食事も出来ていないんだ。侯爵家の料理人の腕は天下一品なんだぞ」
勿体無い、と言うカミューの片手にはちゃっかりと料理の乗った皿があった。成る程。今夜共に城を出る際に、妙に機嫌良さそうだったのはそうした理由かとマイクロトフは判断する。その目の前でカミューはにっこりと微笑んだ。
「特にこのキッシュは外せない」
パイ生地が絶品なんだ。とやたらと嬉しそうにカミューはそれを手に取ると噛り付いた。皿の上には他にも選りすぐった料理の品々が、食べられるのを待っている。
「あぁ、美味い……」
にっこりと微笑んでもぐもぐと咀嚼を繰り返していたカミューだった。しかしふと何かに思い付いたようにぱっと顔を上げた。
「そうだ。酒だ」
呟くなり手の皿をさっとマイクロトフに渡す。
「食べても良いが、必ず一種類ずつ残して置けよ。わたしのだからな」
そしてまた人波の向こうへと消えて行く。
カミューは侯爵家主催の夜会にはこれまでにもなんどか出席している。そう言えば以前にもキッシュがどうのと言っていた気がする。ついでに令嬢とも面識があるらしく、どうしてマイクロトフが来ねばならぬのかと相談したら、もしかしたらわたしのせいかもね、と曖昧な返事だけが返って来た。
あれはいったいどういう意味だったのだろう、とマイクロトフは何気なく皿の上のキッシュを一つ取って頬張った。それは確かに美味く、燻製にした豚肉がとても良い味を出していた。
だがそうしてぼんやりと皿とグラスを両手に持つマイクロトフだったが、カミューはなかなか戻ってこなかった。またどうせ誰かに捕まってしまっているのだろうと、気長に待つことに決めた時、唐突に甲高い声が直ぐ側で叫びを上げた。
「それ! それ見せて!」
「……?」
「あぁ、違った。マイクロトフ様はじめまして。わたくしメアリと申しますわ」
振り向いた先には困ったような表情の女性が佇んでおり、どう考えてもその声の主には見えなかった。だがその女性が困惑のままちらりと下を見る。つられたマイクロトフも視線を下ろせばそこにはふわりと花のように開いたドレスをまとった少女がいた。
「失礼だが………」
「マイクロトフ様ですわよね」
にっこりと笑みを浮かべ愛らしく首を傾げる少女に、マイクロトフは幾ばくかの見覚えがあった。なので必死で記憶の蓋を開けて回ったが如何せん時間がかかる。そんなところへ、その沈黙をどう思ったのか少女は更に首を傾げてきょとんとした。
「マイクロトフ様ですわよね? 先ほどカミュー様と一緒だったもの。我が家の夜会は楽しんで頂けて?」
あぁ。
くだんの侯爵令嬢その人か。
頭の中でぽんと手を打ってマイクロトフは頷いた。そう言えば最初に軽く挨拶を交わしたような気がする。改めて見ると、令嬢と言うよりまだほんの少女といった具合である。畏まった口調よりは先ほどの子供じみた口調の方が似合う。
「あぁ俺がマイクロトフだ。今夜はご招待頂いて感謝する」
「本当に感謝してくれてるのかしら? 見たところつまらなそうにしてるけど」
「そう見えたのなら申し訳ない。俺はこういう場は些か苦手なのだ」
頭を下げると、少女はくすっと笑みを漏らした。
「ええ、そう聞いているわ。でもずっと会ってみたかったから、こうして来てくれてとっても嬉しいわ、マイクロトフ様」
そして少女はにこにこと機嫌良くマイクロトフを見上げてくる。
「それにしてもお話に聞いていた通りの方なのね。ちょっと面白くないわね」
「その……いったい誰に…」
「あ! それよりもマイクロトフ様。宜しければその手のお皿に乗っているもの、メアリにちょうだい?」
「あ、いや。これは友人のものだから、お譲りはできんのだ。他のもので良ければ俺が取ってきて差し上げるが」
だが少女はカミューの皿から視線を外さずにぶんぶんと大きく首を振った。
「だめよ。そのキッシュが良いの。だってこれ美味しいのに数が無いのよ。食べないんだったらメアリにちょうだい」
「確かに俺は食わんが、だがこれはカミューのもので」
ほとほと困り果てたマイクロトフが、どうやって少女に諦めさせようかと眉を寄せた時だった。
「そう、これはカミューのだ」
すうっとマイクロトフの肩越しに赤い騎士服の袖と白手袋に包まれた手が伸びた。
「カミュー!」
気付けばいつの間にか背後に来ていたカミューがマイクロトフの首に腕を回し、その手の皿をすいっと掬い上げた。
「この皿はカミューのだよ、レディ・メアリ?」
突然現れた青年に、少女は目を丸くして、だが一瞬後にはきつい眼差しに変えて睨みあげてきた。
「ちょっとくらい分けてくれても良いじゃない。それにマイクロトフ様にずっと持たせるなんてひどいじゃない」
だがカミューは薄っすらと微笑を浮かべると、余裕の態で少女を見下ろした。
「酷くなど無いよ。だってこれもカミューのだからね」
首に回した腕に力を込めてマイクロトフの頭を抱き寄せると、指先でその鼻先を指差してそう宣言して見せた。驚いたのはメアリだけではない、マイクロトフも突然のことに頭を真っ白にさせていた。しかし少女の方が立ち直りは早かったようである。
「マッ、マイクロトフ様はモノじゃないわよ!」
「そうだね。マイクロトフはものじゃない。でもカミューのなんだよ?」
「どうしてよ!」
「マイクロトフが自分の意思でカミューのになるって言ってるからさ」
「カッ……!」
今度こそマイクロトフは唖然として真っ白になった。にもかかわらずカミューは更にとんでもない事を言う。
「それにわたしもマイクロトフのになるって言ってるから、それでいいのさ」
にっこりと勝者の笑みで微笑む青年に、少女は顔を赤くして握りこぶしをつくった。
「ずるいわ! カミュー様ばっかりアレもコレも独り占めして〜〜!!」
「だから言ってるじゃないか、その分わたしもアレもコレも差し出している」
「それでも取りすぎだわ。キッシュくらいちょうだいよ!」
「いやだよ。今夜はコレが目当てで来たのも同然なんだから」
「ちょうだいったらちょうだい!」
「いやだったら、いやだ」
そうして目の前で繰り広げられる子供の口喧嘩に漸く凍っていたマイクロトフの思考がまともに動き出した。
「ちょっと待ってくれないか」
「なんだい」
「なによ」
口を挟むと青年と少女が勢い良く揃って振り向いてくるのに、うっと仰け反る。
「いや、二人とも、知り合いなのか?」
恐る恐る問いかければ二人とも顔を見合わせてひょいと首を傾げる。
「まぁ、そうだね」
カミューが頷けばメアリが同意する。
「何度かお話してるものね。聞いてよマイクロトフ様。カミュー様ったらいつもマイクロトフ様の話ばかりするのよ」
「なんだと?」
「ちょっとレディ……」
「なによ。だから私、気になって気になって一度で良いからお会いしたくてお父様にお願いしたのよ。それなのにカミュー様ったら中々紹介して下さらない上にキッシュまで独り占めして……」
と言うことは、今日マイクロトフが来ねばならなくなった元凶はカミューだと言うのか。じろりと見れば当の青年は気まずそうに乾いた笑い声を立てている。
「だから言っただろう、わたしのせいかもしれないと」
「こう言う意味か。どうして俺の事などを……」
「いや、ちょっとね」
「私がどうせカミュー様なんてろくなお友達がいないんだわって言ったからよ。だっていつもいつもキッシュを独り占めするのよ?」
「カミュー……」
憤慨する少女に、マイクロトフは沈痛な思いで頭を抱える。
「…キッシュくらい、譲れ」
「くらいなものではないよ、マイクロトフ」
しっかりとキッシュの載った皿を抱えて非難するカミューに、マイクロトフはまるで重たくなってしまったような指先を操って命令した。
「良いから、やれ」
大人げの無いと唸るマイクロトフに、カミューは渋々皿を少女に差し出した。だが相変わらずカミューはマイクロトフにくっついたままである。常らしからぬその態度にやや怪訝に思って少しだけ身体を引き離した。
「酔っ払っているのか?」
「いいや?」
にっこり笑って首を振るカミューに、これもまた嬉しそうにキッシュを頬張る少女が一言加えた。
「ただの独占欲よね」
少女の言葉はもごもごと不明瞭だったが確かにそう聞こえた。そして更に。
「そんなに大切なら名札でも貼り付けていれば良いんだわ。こんな場所に引っ張り出したメアリが言う事じゃないけど、さっきのあの時にメアリが声をかけてなかったらマイクロトフ様は今頃あちらのお姉さま方に囲まれてたはずなんだから感謝してよね」
そこで漸くマイクロトフが周囲をそろりと見回してみると、色とりどりのドレスに身を飾った女性たちが遠巻きにこちらを見ていた。その向けられてくる視線に含まれる興味津々の色合いに思わず背筋にひやりとした冷や汗が伝った。
「カ、カミュー」
「あら、大丈夫よ。赤騎士団長様と青騎士団長様がお揃いのところに声を掛けてくるなんて、そんな度胸のある方はいないわよ」
それはどういう意味だろう。
そうマイクロトフが首を傾げるとメアリは続けて言った。
「あらら? カミュー様もしかしてマイクロトフ様って自覚がないの?」
「実はそうなんだ、困りものだろう?」
「そうね。本当に自分を知らないって怖いわね」
今度は二人揃って気の合う様子を見せてなにやら頷きあっている。いったい何だと言うのだ、とマイクロトフは少々困惑気味に、それでも背後に並ぶ女性たちの視線が気になってなんとも居心地が悪く首を竦めた。
もっともマイクロトフが、己をカミューと共にこのロックアックスで他に並ぶものがいないほど、その地位も名誉もまた容姿も兼ね備えた存在であり、凡その女性たちの憧れの存在であり、また騎士団長と言う位があるだけにとてもではないがおいそれと声などかけられない相手であると知るわけが無い。
そしてそんな己に無自覚なマイクロトフは、次第に帰りたい気持ちが強くなって行くのを止められない。
「カミュー」
その腕をぐいと引いてマイクロトフは外を促した。
「俺は、そっと裏から帰る」
「あれ? そうかい?」
カミューは驚いてマイクロトフを見、それから傍らの少女を見下ろした。
「そう言うわけですのでレディ。我々はそろそろ失礼しますよ」
「な、別にカミューは……」
うろたえるマイクロトフであったが、メアリは全て承知だとでも言うかのようにひょいひょいと手を振った。
「わかったわよ。キッシュも譲って貰ったし、お父様にはメアリから言っておくわ」
「有難うございます」
にっこりとカミューは微笑み、反対にマイクロトフの腕を引いてさっさと歩き出した。
「カミュー、良いのか」
「なにが?」
「折角の夜会だぞ」
他は良く知らないマイクロトフだが、この侯爵家の夜会は招待を受ければ、それだけで名誉なことらしい。無論、このマチルダ騎士団の団長たるカミューやマイクロトフにすれば夜会の招待状などいくらでも手に入るのだが、それでもこの侯爵家の夜会は見るからに招待客たちは優雅で洗練されており、出される食事も一流の味だ。そんなにさっさと退出してしまって果たして良いのだろうか。
だがカミューは「それが?」とにこにこと笑った顔のままマイクロトフの手を取った。
「さぁ、城へ戻ろう。こんな場所へ引っ張り出して済まなかったね、疲れたろう」
「ああ、いや…」
「でも今日は来て良かったな」
裏からそっと抜け出して馬車が控えている屋敷の正面まで歩く道すがら。カミューがぽつりと呟くのに、マイクロトフは首を傾げた。
「絶品のキッシュが食えたからか?」
「それもあるけどね、おまえとこうした場所に一緒に来れるなんて滅多に無かったから」
そしてカミューはずっと握っていたマイクロトフの手をぎゅっと握った。
「正装したおまえは、いつものおまえと少し違うから」
「ん?」
「城からその格好のおまえと一緒だったから、ドキドキしてなんだか嬉しかったよ」
「………酔ってるのか」
先ほど、メアリ嬢と何やらやり取りをしていた時もそう思った瞬間があったが、カミューはにこりと微笑んだまま首を左右に振った。
「いいや?」
再び同じように首を振って笑う。
「あぁ、でもどうかな。雰囲気には酔ったかもしれない。というよりも、レディ・メアリに影響されたかな。彼女はとても正直だから」
だからこれはわたしの正直な気持ちだよ、とカミューは儚く笑う。
「とても、嬉しかった」
「それは………良かったな」
マイクロトフは苦笑で返してカミューの手を握り返した。
「帰るか」
「うん」
カミューが喜ぶのなら、夜会に出席するのも悪くは無いかもしれないと、そう思ったマイクロトフであった。
この後、侯爵家の夜会に限り出席する青騎士団長が、レディ・メアリと談笑する姿が時折垣間見られたという話である。
end
自力で戻ってください