彼 の 真 実
彼には夢がある。
多分叶わないんだろうなと半ば諦めかけているがそれでもいつかはと思ってしまう捨て切れない夢が。
同盟軍本拠地の城。その広い会議室の片隅。今は使われていないこの広間で二人分の人影が見える。いったい誰かと言えば同盟軍主の少年と、マチルダの元赤騎士団長であった。
「はいカミューさん。これ約束の物ね」
少年が懐から隠すようにして掌に包んで取り出した物を、傍らに立つ青年の手に押し付ける。受け取った側はそれを大事そうに押し抱くとそそくさと上着の内側へと仕舞い込み、深々と頭を垂れた。
「申し訳ありません」
「ほんとだよ。これ手に入れるの苦労するんだから。しかもそれカミューさんに回すとなったら色々誤魔化さなきゃいけないし」
なにやら貴重品のようである。今はカミューの服の中へと収まっているそれを見透かすような眼差しで少年は大儀そうにぼやいた。それに対してカミューは瀟洒に礼を述べる。
「感謝は致しております」
「そう思うんだったら、お願いだよ?」
伺うように上目遣いでぴんと人差し指を立てた少年にカミューは微笑を浮かべて頷いた。
「分かっています。次の交易では必ずお供いたしましょう」
「うん、カミューさんがいるといないとじゃ儲けが全然違うからね」
「はい。心を尽くして交易のお手伝いをさせて頂きましょう。ですがその代わりといってはなんですが、またどうぞよろしくお願い致します」
「分かってる。また手に入れたら内緒で回すよ」
「有難うございます」
だが再び礼を述べて頭を下げた青年に、少年はふと口を閉じて案じるような表情を浮かべた。こうして取引をして品物を流しているのは自分なので強くは言えないが、こそこそとするのは多分に良くない事なのだとは分かっているのだ。少年はまたちらりと青年の手に渡ったものを見透かして眉根を寄せた。
「……でも、良いの? そんなのに頼ってさ……ばれたらマイクロトフさんきっとすごく怒ると思うよ?」
すると顔を上げた青年は微苦笑を浮かべてゆるりと首を振った。
「………構いません。怒られても、それでもわたしはマイクロトフと共にありたいのです」
何もかも承知の上だと訴えるその眼差しはしかし痛い。それでも少年は已まれず頷いて返した。
「まぁその気持ちは分からなくもないけど。ほどほどにね?」
「はい。お心遣い傷み入ります」
「でもほんと、その内絶対気付かれると思うよ。次第に隠せなくなるもんだし……こればっかりはさ、目に見えて分かってくるもんだから」
「ええ………」
「無茶だけは、無しだよ? カミューさんだって勿論だけどマイクロトフさんにも何かあれば困るのは大勢なんだから」
「はい。ご迷惑だけはかけないよう、注意は怠らないようにしますよ」
そしてそんな青年の断言に漸く納得したらしい少年はそれじゃあそろそろと踵を返す。その背に向かって再び深々と頭を下げた青年は、ただ独り胸元にしまったそれを服の上から包み込んで吐息を零した。
これしかないのだと、声なく零すようにその唇が動いたかどうかは定かではなかった。
元赤騎士団長の不調が噂されるようになったのはその前後の事であった。
別段顔色が悪いだとか動きに精彩がないなどではない。ただ普段の彼を知るならば首を傾げてしまうような態度をかの青年がこの数日取り続けているのがその噂の元だった。
「おい」
不躾に呼び止められても声から相手を知ってマイクロトフは気にしたふうもなく立ち止まり振り向く。そこには片手を億劫そうに持ち上げて歩いて来る傭兵の姿があった。
「ビクトール殿」
すまんなと目の前までやってきた傭兵の顔はほんのりと赤く、言葉と一緒に僅かな酒精が漂う。どうやら酒場帰りらしいが、この時刻ではそれも普通かとマイクロトフは今が真夜中なのだと思い出す。
「今まで仕事か? 真面目だな相変わらずよ」
「いえ、務めならば果たさなければ気がすまない性質ゆえ」
「そいつは難儀だなおい」
笑ってビクトールは自分には真似出来ないとばかりに手を振った。しかしふとその笑みを引っ込めて一転囁くようにして問い掛けてきた。
「カミューの方も、仕事か?」
「いえ。カミューは今日は定刻で業務を終えた筈……ですが?」
ビクトールが何故そんなことを聞いてくるのだろうかと首を傾げつつマイクロトフが答えると、傭兵はぎゅっと顔をしかめた。そこにそれまでの暢気な酔っ払いの顔はない。
「またか……」
呟きにマイクロトフも怪訝な表情を浮かべた。
「ビクトール殿、何かあるのなら教えていただきたいのだが」
「ん? いやぁ大したこっちゃねえんだけどよ」
口元を指先で掻きながらビクトールは小さく唸る。ここでマイクロトフに言っても良いものか案じているのだろうが、しかしすっかり聞く体制に入っているのを宥めるほうが大変だと思ったのだろう。
「実はよ」
とぺろりと白状し始める。
「最近カミューのやつを酒場で見ねえんだよな」
「酒場で?」
カミューは人並み以上に酒を味わうのが好きである。またビクトールら傭兵連中などと気の置けない会話も楽しむために、流石に連日ではないが定期的に酒場には通っている。それがないとはいったいどう言うわけだ。そう思って怪訝に寄せた眉を益々険しくするのにビクトールは「あちゃあ」と頭を掻いた。
「なんだ、おまえ知らなかったのか」
「初耳です」
このところカミューが忙しいなどと言う話は聞いていない。となればこれまで酒場に充てていた時間を別の事で費やしていることになるまいか。が、しかしビクトールが更に加えた言葉にマイクロトフは驚いた。
「それが酒場だけじゃねえっつうんだな。聞くところによるとだな、テラスでの恒例の茶も最近はとんとご無沙汰らしいってんで、レストランのウェイトレス連中が嘆いてるらしい」
「………」
知らなかった事実にマイクロトフはただ呆然と目を見開くばかりだった。恋人とも言うべき存在の人物が密かに日課を違えているのをこうして知らされるのはあまりに衝撃だったのだ。思わずビクトールを睨みつけるようにしてしまったのは仕方がないとも言えた。
「おいおい、んな怖い顔すんなよ」
「あっ、失礼した」
「ま、んなわけでちっとも顔を見せねえからレオナもどうかしたんじゃねえかって心配してる。良ければたまには顔だけでも出してくれねえかって伝えてといてくれ」
「……はい」
マイクロトフは答えつつ、拳をぎゅっと握った。
荒々しくも開け放たれた扉に、部屋の中で大人しく読書をしていた青年はハッとして顔を上げた。そして扉のところに立つ男の顔を認めてホッと胸を撫で下ろす。
「マイクロトフ、驚かさないでくれ」
苦笑するのにしかしマイクロトフはやけに真面目くさった顔をしてカミューを強く見つめている。どうかしたのだろうかと首を傾げる前で扉は閉じられ彼は大股に部屋の中を横断して来た。そして寝台に座り本を開くカミューを見下ろした。
「カミュー」
「なんだい?」
だがマイクロトフは真剣な顔のままカミューの顔を凝視して何も言わない。焦れて本を閉じてカミューが立ち上がろうとするとその肩を押さえられた。
「マイクロトフ…?」
「カミュー、おまえ何処か悪くしているのか」
「え?」
「だが顔色は普通だな」
暗くて分からんがとマイクロトフはカミューの顎を掴むと蝋の灯火に向けた。
「おい、なんだよ」
マイクロトフの手から逃れてカミューは戸惑いを浮かべる。だが同時に胸に動揺が広がっていく。もしやもうマイクロトフに知られてしまったのだろうかと焦るが、取り敢えずは固唾を呑んで素知らぬ振りを通した。
「おまえはまたノックもせずに入ってきたかと思えばいきなりなんだ?」
「すまん……だがカミュー。妙な話を聞いたものだから」
どきりとカミューの心臓が跳ねる。だが動揺を押し隠してカミューは先を促した。
「聞かせろ」
「ビクトール殿が最近おまえを酒場で見ないと言っておられた。テラスでの茶もしていないそうではないか。赤騎士に聞けばいつも早々と部屋に戻っていたらしいな?」
「あぁ……」
確かにとカミューは頷いた。部屋に戻って図書館で借りた本を読み続ける毎日である。だから傍らの本を手に取って持ち上げた。
「それは、まぁ最近読書にはまっているから」
だがマイクロトフはむっと眉を寄せるとその本をちらりと見やって手を振った。
「嘘をつけ」
「……マイクロトフ」
「おまえが読書程度で酒を止めるたまか」
「…人を無類の酒好きみたいに……」
きっぱりと断言するのにカミューはしょぼんと肩を落した。しかしマイクロトフは構わず詰問を続けた。
「皆が案じるほどに酒場から遠ざかっていると言うではないか。レオナ殿までも案じておられると聞く」
「なんだよ、前は酒場なんかに頻繁に出入りするのは良くないとか怒っていたくせに」
「程度の問題だ。あれほど酒を楽しむおまえがぱったりとそれをやめれば誰だって心配する。なぁカミュー、本当に何処も具合は悪くないのか?」
腰を屈めて覗き込んでくるマイクロトフにカミューはうっとつまった。心底身体を案じてくれるのは本当に嬉しいのだがここで事情を説明しては元も子もなかった。大体最初からマイクロトフには一切告げるつもりがないのだから。
「具合も何も何処も悪くはないよ。心配をかけるようなことは本当に―――」
慌てて手を振りそう言うがマイクロトフの顔からは疑いが消えない。
「カミュー?」
「それより、おまえの方はどうなんだ? ここのところ連日残業ばかりでわたしなどよりよほど疲れているだろうに」
「ん、いや俺の事は別に。まぁ……言われるほどには疲れておらんのだがな」
「へえ?」
「それが最近集中力が高くなっているのか、仕事の効率が良くてな」
にこりと笑うマイクロトフにカミューは「そうか」と嬉しそうに笑った。
「それは何よりだね」
「ああ……―――って俺の事よりも今はおまえの事だ!」
「わたしは本当に大丈夫さ。何もないから」
「しかしカミュー。それならば……っ」
何故酒場に行かず茶の時間も取らないのか。しかしカミューはつと人差し指をマイクロトフの唇に当ててそれ以上の問い掛けを制した。
「もう遅いんだ、声は落せ。それからたまには素直に人の言う事を聞けないか?」
それほどにわたしは信用ならないかなとカミューは肩を竦める。と、マイクロトフは慌てたように首を大きく左右に振った。
「そんな事はないぞカミュー。俺はおまえを信じている」
「だったらマイクロトフ……そろそろキスでもしてくれないかな。朝から久しぶりなのに」
誘うように上目遣いで見上げればマイクロトフの赤い顔が見下ろしてくる。
「カミュー……」
それでもその赤らんだ頬に手を添えてやればカミューが望むままにマイクロトフは口付けを与えてくれる。それを受け止めながらカミューはやれやれと内心で吐息を零したのだった。
そして。
それでも連日の残業続きで疲れていたらしいマイクロトフは直ぐに眠りへと落ちて行った。その傍らでカミューがパッチリと目を開けて、己を抱くその腕をそっと取り払う。そして細心の注意を払ってそうっと起き上がると壁にかけてあった制服の内を探った。
そして取り出したのは昼間、少年から譲り受けた品だった。
白い紙に包まれたそれを音を立てないように開くとそこには小さな小石があった。しかしそれはただの小石ではない。貴重なアイテム『魔の石』だった。カミューはそれを大切そうに掌に包むと再びマイクロトフの元へと戻る。
「………」
カミューはそっと微笑むと『魔の石』を眠るマイクロトフに翳す。すると石は淡い光を放ち始め、暫くするとその光がすうっとマイクロトフの身体へと吸い込まれた。それを確認し、カミューは今や普通の石となったそれを傍らに置いた。
そしてマイクロトフの額にかかる短い前髪をそっと撫でた。
「マイクロトフ……」
囁いてカミューはにっこりと微笑んだ。これでどれほど魔力が上がったろうか。苦労をして貴重な『魔の石』をこうしてマイクロトフに施すのはもう何度目だろう。集中力が上昇しているのならその効果の現われだろうと思われる。目に見えてそれが分かり始めてカミューは再び愛しげにマイクロトフの額を撫でた。
そして安心したようにマイクロトフの傍らに横たわると幸福そうに目を閉じたのだった。
後日。
少年につき従い遠くの交易所までやってきていたカミュー。その街の宿屋で食事を取りながら少年が盛大な溜息をついた。
「あー、今日は最高の取引が出来たね。カミューさんのおかげだよ」
「いえ」
「でも良いの? マイクロトフさんには相変わらず内緒なんだよね」
「仕方ありませんよ」
カミューは苦笑してグラスの水を飲んだ。その横で少年が呆れたように手を振る。
「でも酒断ちまでしてお金貯めてさ。すごいよね」
「だってですね、サウスウィンドウの紋章屋に『雷鳴の紋章』があるなんて誰が思いますか。折角紋章師と話をつけて取り置いて頂いているんです。手間賃まで合わせて二五〇〇〇ポッチ、耳を揃えてお支払いで切るまで酒もテラスでのお茶も一切遠慮します」
「でもその値段って暴利だよね……しかもそれを言い値で支払うなんてカミューさんとも思えないよ」
「取り置いて頂くだけで精一杯だったんですよ。何しろ希少品ですからね」
同盟軍内では珍しい紋章である。マチルダに生息するコカトリスが時折落すがその確率はひどく低い。
「でも無理してお金貯めて『魔の石』まで使って。そんなにマイクロトフさんの魔力あげたいんですか?」
「勿論ですよ……わたしの夢なんです」
カミューはうっとりと囁いた。そう、夢。
「いつか、わたしの『烈火』と一緒にマイクロトフが『雷鳴』か『大地』を使って、最上級魔法を唱えるんですよ」
二つの最上級魔法の連動は見事な合成魔法の発動を呼ぶ。そして繰り広げられる魔力の渦は美しい現象を引き起こすのである。
格好良いに違いない。それはもう今と比べ物にならないくらいに、高度な紋章を操るマイクロトフは素敵だろう。そんな未来の姿を想像してカミューはフォークを握り締めながら夢想の世界へと没頭する。
その傍らで少年が引きつったような笑みを浮かべた。
「来ると良いね……そのいつかの日…」
それまではせめてせっせと『魔の石』を集めてはカミューに流し、マイクロトフをパーティに入れて連れ出し経験値を増やして紋章を操れるようにせねばなるまい。素質が皆無ではないのだからいつかは可能だろう。だが近くはないだろう。何しろあの元青騎士団長の魔力は通常よりも低いのだから。
そしてそんな抜け駆けのような振る舞いを厭うであろう元青騎士団長には絶対に内密として、更には貴重な『魔の石』を横流ししていると軍師などには知られないように気を配らなければならないだろう。
その努力の日々を思い少年はさり気なくそっと溜息を零した。
END
このカミュー馬鹿です。すいません…(笑)
2002/12/09
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