心 の 痛 み
刹那の時、止まったように見えた。
何故、この騎士服はこれほどまでに鮮明な色彩なのだろうか。
特に、この青は。
目の前に広がった青い騎士服の長衣が、一瞬にして鮮血の朱に染まる。
傷付き、血を流すその姿を見て、己の内に過ぎったのは苦痛かそれとも愉悦か。
「マイクロトフ……ッ!」
叫んで駆け寄るけれども、傷の具合を見る前に両方の結末を想像してしまっていた。
助かる傷なら、安堵を。
助からない傷だったとしても、恐らく安堵を浮かべるだろう。
たぶん、もう、疲弊がかさんでいるのだと―――自覚はあるのだ。いつも傷付くのを間近で見ているのだから。
男が傷付くたびに、己の心の何処かも傷付き壊れて行く。それでも決して目をそむけないと密かに誓いを捧げていた。
自己満足に過ぎないかと、自虐かもしれないと思っても、全てを見届けてやるのだと半ば意地のように掲げた誓いは。
かつて男が己に捧げた誓いの対を成すものかもしれない。
傍にいると言ってくれた。全てを捧げて傍にあると誓った。
だから、小さな傷ひとつも、流した血の一滴すらも、己のものだから、目を逸らさずに見詰める。
だがいい加減、疲れてきて―――。
「マイクロトフ………」
切り裂かれた青い騎士服。血に染まったそこから見えた傷口は、そう酷くはなかった。
命に別状がないと、すぐに分かった。
「……良かった…」
「カミュー…?」
苦しげに閉じられていた瞼が、震えながら開かれる。漆黒の瞳が、ひたとカミューを見定めた。
「…どうした……カミュー」
受けた傷の痛みよりも、カミューを案じて眉を寄せる。そこだけは血に汚れていない右手が持ちあがった。
騎士の象徴を宿す右手が、そろりとカミューの頬に触れた。
「おまえも何処か、傷を…? 痛む、のか?」
カミューは首を振った。だが、痛みを感じたような表情は消えず、噛み締めた奥歯は固定されたように動かなかった。
言葉も出ない。
「…そんな顔をするな」
また、首を振る。
―――いつまで、繰り返すのだろう。
「カミュー……俺は、大丈夫だぞ?」
―――分かって、ない。
きっと、傷付いても、傷付かなくても、生きているだけでカミューの心は傷付いて行くのだ。
そんな男だと分かっていながら愛してしまったのだから。未だ見えぬ未来にすら不安を抱かせるような男を。
そんな男だからこそ―――ずっと傍にあると誓いながら、何処までも騎士である事をやめられないからこそ―――惹かれているのだ。
「心配しなくて良い……。見ろ、血もすぐ止まる」
それでも、カミューの傷付いた心が流す血は止まらない。まるで枯渇しない泉のように、際限なく流れつづける。
その痛みにいっそう顔を顰めてカミューは立ち上がった。
もう、良いだろうか。目を逸らしてしまっても、良いだろうか。
それでも、瞬いた瞳はやはり剣を支えに起き上がろうとする男の姿を捉えて離れない。
無意識のうちに手を差し伸べて、負傷しても立ち上がる男を助けようとする。
「すまん。止血の薬草などは持っていないか?」
持っているとも。
反射的に懐を探りあてて乾いた薬草を取り出す。
どちらかの未来を選べるのなら、迷わず共に生きる事を望むのだから。決して手遅れにならないように。後悔だけはせずに済むように。
この痛みがどれだけ長く続くのだとしても、選んでしまうのは共に生きる道に違いないのだ。
薬草を差し出せば、男の手は何の躊躇いもなく受け取ろうとする。
不意に苛立ちが起きて、その手を乱暴に払い退けた。
「った…。カミュー?」
「……手当てしてやるから」
おとなしく傷口を見せろと睨み付ければ、すまなそうに従う。
そうして晒された傷口を手荒く拭って、手当てを施す。少々の溜飲が下がるような、そうでもないような。
衝撃に鼓動を停止させそうになった己の心臓を思えば、これくらいの仕返しは許されるはずだ。
「痛いだろうカミュー」
「当たり前だ。我慢しろこのくらい」
一週間もすれば塞がりそうな傷口だ。この程度なら医師の手も必要ない。少々の痛みくらいどうという事はないはずだ。
だがマイクロトフは痛みに顔を顰めながら、カミューの瞳をじっと見つめて小さく掠れたような声で呟いた。
「……俺ではない」
一瞬カミューは手当ての手を止めた。しかし直ぐに何事もなかったように短く首を振る。
「なにが言いたいのか、分からないな」
そして手早く傷口を包帯で覆ってしまうとさっさと立ち上がった。
「カミュー」
後を追うようにマイクロトフも立ち上がったが、カミューは背を向けると他の仲間の方へと足を向けた。
「カミュー」
二度、呼ばれて仕方なく振り向く。
見遣ったマイクロトフは何か言いたげな顔をしていた。だがその口が何か重い言葉を告げる前にカミューは眉をひそめて睨み付ける。
「二度と、こんなへまはするな。持ち合わせの薬草にも限りがある」
言ってから、ひょいと肩を竦めて、皮肉な笑みを見せた。
「行くぞ。それとも、支えがなければ歩けないのか」
するとマイクロトフもそっと嘆息すると、ぎこちなく笑った。
「手厳しい」
そしてゆっくりとした動作で歩き出す。
きっと傷に響くのだろう。しかしマイクロトフの表情には、もう既にそんな怪我の影響など欠片もなかった。ただ、白い包帯だけが目に痛いばかりだ。
だが。
再び背を向けたカミューを見つめる黒い瞳が、まるで何かを飲み込むように細められたのを、見た者はいない。
「カミュー……」
小さな呟きが、吹く風に紛れて消えた。
END
戦が続いて疲れてる赤さんに、どう接すれば良いのか悩んでいる青氏な感じで。
突っ走る青も素敵ですけど、その後に反省して自分の不甲斐なさに喘ぐ青も好きだな〜。
2004/02/26