木 の 実
靴の底が何かを踏んだと感じた時にはもうカミューは体勢を崩してしまっていた。
同盟軍の本拠地。その城は一見して石造りに見えるが所々木造建築も混ざっている。ちなみに現在も増築中であるが、概ねは石造りである。そんな多様な建物の為だろうか、どうにも馴染みやすくて城というよりは大きな家のような雰囲気があった。
要所要所を番兵が立ち、見張りを努めているかと思えばその直ぐそばで、子供たちが遊ぶ傍ら母親たちが寄り集まって世間話をしている。物々しい兵士たちが厳しい訓練に明け暮れているかと思えば、料理人同士の命を賭けた料理対決が繰り広げられたり。この城は多国籍的―――或いは境界無き地帯とでも呼べば良いのだろうか。そんな空気が漂っている。
カミューはこれほど多種多様な人種が集う場所に居るのは始めてのことだった。
己もその様々な人種の織り成す集合体を作っている要素の一部分であるのだろうななどと思いながら、城内で声高くはしゃぐ子らの横を通り過ぎた。その時である。
ブーツの底が石畳では無く別の何かを踏み付けたのだ。それはとても固く丸みのあるもので、踏み付けてやや体重をかけた途端に靴底がごろりと滑った。
「うわ」
慌てて崩れた重心を安定させようと両手を広げて踏み止まろうとした。だが倒れそうになるより前に、カミューの背を確りと受け止めて支えてくれる腕があった。
「どうした」
背後から覗きこんで来る顔にカミューは首を傾げて返し、転び掛けた足を動かしてその下にあるものを見た。
「……どんぐり?」
視線の先にあるものを見て呟く。
すると背を押されて退いたところへ後ろから腕が伸びる。大きな手が小さな木の実を拾い上げた。
「どんぐりだな」
広いてのひらの中にちょんと慎ましく転がる木の実。
廊下には小窓が並んでいるがその傍には木々は見えない。紛れこんだとは思えず首を傾げているとマイクロトフがぽつりと言った。
「子供が持ちこんだのだろうか」
「あぁ、そうかもしれない」
子供と言うのは不思議と収拾癖がある。道端に落ちている石ころを集めて持ち帰るような、大人から見ればごみやガラクタのようなものを宝物の如く見詰めて大事にする。この小さな木の実がその対象になるのは珍しい事ではない。
秋の気配も深まり冬の足音も近い。城内に茂る木立はすっかり紅葉し、木々がそっと土に潜ませた木の実を守るように朝露に濡れた地面を落ち葉が覆う。こうして訪れる冬の間に木の実はひっそりと地中に眠り、春になれば根を伸ばし芽吹くのだろう。
だが木々は呆れるほど多くの固い実を地面に落とすのだ。ころころと土の上に枝から落ちた小さな実が次から次へと転がるさまは笑みを誘う。好奇心旺盛な子供がそれを見つけ、拾い集めるのはもう必然と言えよう。
「俺も小さい頃は良く拾い集めたな」
てのひらの上で木の実を転がしながらマイクロトフがそんな事を言う。
「へえ?」
なんだか意外な気がしてカミューは興味深そうに首を傾げる。マイクロトフはあまりそう言った自然と戯れる稚気など無いような雰囲気を受けるからだ。しかし男はうむと頷いててのひらの木の実を握り締め、更なる続きを言う。
「拾い集めるはしから土に穴を掘って埋めていた」
「……え?」
「道に転がり落ちていると、ほら、今のお前のように足を取られて危ないしな。そもそも木の行儀の悪さに呆れながら埋めてやっていたと言うか―――」
「…き……?」
「ものを撒き散らすのは行儀が悪いと教えられていたから……子供だったんだ」
ぼそりと付け加えられた一言にカミューはつい吹き出した。
「お前らしい。それでどうして土に埋めていたんだ?」
「ちゃんとしまうべき所にしまわなければならないとも教えられていたから、大人に聞いたら木の実は土の中に納まるものだと言われたんだ」
「なるほど」
それでせっせと転がる木の実を見つけては埋めていたと。
笑うカミューにマイクロトフはなんとも言えない気まずそうな表情を浮かべる。
「カミューは? この木の実で子供の頃何か思い出はあるか」
そうして差し出された木の実をカミューはマイクロトフのてのひらから摘み上げた。
「良く食べたよ」
あっさり答えるとマイクロトフは顔を険しくした。
「どんぐりをか?」
苦くて食えたもんじゃないだろう、などと言う。それにカミューは首を振って指先のどんぐりを撫でた。
「どんぐりと言っても種類がある。これよりももっと細くて小さい実があってね、拾い集めて煎って皮を剥いて食べたが香ばしくて美味しかった。大きい奴はあくが強くて苦いけどな」
だからこれは苦い種類だな、と笑う。
「それに、すり潰して粉にするとあく抜きもできるから、団子とか焼き菓子とかも作れる」
それは面倒でやらなかったがと思いを馳せる。
「ま、煮たり焼いたり。だから寒くなってくると木の実拾いが日課のように………」
そこでふとカミューは言葉を止めた。目前、マイクロトフが思いきり怪訝な顔をしていたからだ。なんだ、と首を傾げると。
「カミュー、おまえ子供の頃そんなに毎日餓えていたのか」
「そんな事は無いが」
「じゃあ昔から食い意地が悪かったのか?」
「昔からってどう言う意味だ。お前には言われたくないぞ。そもそもどうしてどんぐりを食べていたからと言って餓えに繋がるんだ」
「……いや、うむ」
どうやらマイクロトフは幼少時代、カミューがそうしたように自然の恵みをそのまま口にするような事が無かったようだ。
「だいたい、今頃の季節なんぞどんぐりだけではなく山に入れば沢山食材が実っているだろうに。栗だって木の実のうちだぞ」
他にも柿にあけびに柘榴にくこの実―――山は食べ物がいっぱいだ。春は山菜、少し過ぎれば山桃や桜桃。何やらうっとりと思い出にひたりそうになってカミューは慌てて首を振った。
「ともかくだな、どんぐりとて充分食材になりえるんだ」
「なるほど」
「分かったか」
「うむ、カミューとなら山で遭難しても餓えることは無いだろう」
「……それは誉めているんだろうな?」
「当然だろう」
不思議そうに頷く男にカミューは苦笑する。
「なら、いつか山に散策でも行くか。暫く山小屋なんかで過ごすのも良いかな」
「いつかな」
「うん」
カミューは指先の木の実を握りこんだ。
「さ、行くか」
移動の途中だった事を思い出しマイクロトフに先を促す。
「ああ」
頷いて歩き出したマイクロトフだったが、不意にカミューの顔を覗き込んできた。
「カミュー、そのどんぐりはどうするつもりだ」
「ん? ……どうしようか。お前が土に埋めるかい?」
「カミューが食べても良いぞ」
「うーん」
笑いながらカミューは握り込んだ小さな木の実の感触を楽しむ。ここまで話が広がってしまっては、そのきっかけとなったこのどんぐりは捨ててしまうには惜しい気がしてならない。
「埋めるのも食べるのも無しだ。そうだな、綺麗に磨いて加工しよう」
「加工……?」
「そう、何を作ろう。根付でも作って鍵に付けるか?」
「どうやって」
全くわけが分からない様子でマイクロトフは困惑も露わに眉を寄せる。その目の前にどんぐりを掲げてカミューは微笑した。
「こんなものでも丁寧に磨いてやると光沢が出てくる。この様子だと中に虫もいないし……金具を取り付けて紐を通せばそれで充分だろう」
どんぐりを振って見せてカミューは「な?」と首を傾げてみせた。するとマイクロトフはぼんやりと頷く。
「良く、分からんが―――カミューはそう言うものを良く作っていたのか」
「そうだなあ、時々。出来あがったらマイクロトフにやろう」
「俺にくれるのか」
「要らないのなら他に渡す」
「いや、もらう」
「そうか」
なら、とカミューは手袋の指先で木の実の表面を少し擦ると、そこに一瞬だけ唇を押し当てた。
「金具と紐を調達しなければな」
言って何やら嬉しそうにまた歩き出す。それを追いマイクロトフは慌ててカミューの腕を掴んだ。
「それは絶対に俺が貰うからな」
突然、必死になったようなマイクロトフの言い様にカミューはきょとんとするが、取り敢えず「うん」と頷き返す。
「じゃ、もういい加減行こうか」
「ああ。絶対俺の物だからな」
「分かってる分かってる」
呑気に答えるカミューに対し、分かっているのか本当に、というマイクロトフの呟きは小さ過ぎて聞こえなかった。そんな秋も終わりの日の事であった。
END
誰だってどんぐりの皮を剥いて中の白い実に齧り付いた記憶があるはず……
座谷だけ?(笑) ま、苦くて散々でしたが
でなくても山桃を塩水につけて食べたり
他にも色々採って食べていました…餓えていたわけじゃないですよ?(苦笑)
2001/11/24