幸福な呟き


 この季節になると夜明けの空気は柔らかいものから、やや肌寒い厳しいものになる。それでも相も変わらず定刻通りに確り目を覚ますマイクロトフである。覚醒と同時に身を起こすと、片手でこめかみを揉みながらベッドの脇に両足を下ろす。
 だが妙な抵抗を感じてふと顔を上げた。
「………」
 思い出した。そういえば昨日カミューが訊ねてきてそのまま一緒のベッドで寝たのだ。
 ゆるりと振り返ると毛布から髪だけが覗いている。すっかり芋虫と化しているそんな青年に思わず苦笑が漏れた。あれほど他では隙のない姿を見せているのに、寝床でのカミューはどうにも幼く見えて、こうして見ているだけで愛しさが込み上げてくる。
 突き動かされるように手を伸ばして白いシーツの上に散る髪に触れる。毛布を僅かにずらしてそのおさまりの良い頭を掌で撫でると、青年の身体が身じろいだ。そしてその毛布の下に潜んでいた腕がぬっと突き出るとばさりとそれを退ける。早朝の薄明るさの下、そうして露わになった青年の寝顔は実に穏やかで平和的だった。気付けば微笑を漏らしているマイクロトフだ。そして撫でていた髪から名残惜しげに手を離した。そろそろ支度を始めなければ、早朝訓練に遅れてしまう。
 だがカミューから視線を逸らそうとした刹那、青年の唇があるかなしか動いた。
 なんだろうと思い、ふと耳を澄ますとカミューの喉の奥が鳴った。そしてその口がはっきりとこういったのである。
「……リタ」
 そしてそれを呟いた青年が、ひどく幸福そうに微笑むのをマイクロトフは見たのだった。



 それから、マイクロトフは暗雲立ち込める不穏な気配を身体中に纏い、まるで傍迷惑な存在と化していた。そんな何人も寄せ付けないその元青騎士団長に、軽い調子で声をかけてきたのは同盟軍内いち野次馬根性のある傭兵のビクトールだった。
「ご機嫌じゃねえか、マイクロトフ」
 歯を見せて笑いながら、道場の壁に持たれかかって兵士達の訓練を睨み付けているマイクロトフに片手をあげる。すると空気の流れが澱んで見えるほど、陰鬱とした男の眼差しがじろりと向けられた。
「申し訳無いが、今は誰とも話す気にはなれない」
 誰に対しても一応の礼儀を払うこの騎士が、こんな風に最初から取り付くしまが無いのも驚きだが、そんな彼に重ねて笑いかける傭兵にも驚きだ。
「まあそう言うなよ。悩み事があるなら話を聞くぜ?」
「放っておいていただきたい」
「いやあ、それが放っておくわけにもいかねーんだな。良く見てみろ。おめえがそうやって睨みつけてっから兵士達がびくついてしょうがねえ」
 するとマイクロトフはすうっと瞳を眇めて道場内を一瞥した。
「なるほど……でしたらここは失礼させていただく」
 そうしてさっさと歩き出すマイクロトフを、ビクトールは慌てて追いかけた。
「なあ、おい。待てよ」
「放っておいていただきたいと、そう言ったはずだが」
 歩みを止めずに、それでも律儀に背中のビクトールに断りを入れる。だがビクトールもそれで引っ込むくらいなら端から声などかけはしない。
「どうせカミュー絡みで荒れてんだろうがよ。隠すこたあねえだろう」
 その名前は、猛進する男の足を止める魔法の呪文だった。ダン、と踏み出した足が大きく鳴って騎士の身体がぴたりと止まった。そして機械仕掛けのそれのようにマイクロトフの身体がくるりと反転したのである。
「ビクトール殿」
「お?」
「何かご存知なのですか」
 マイクロトフはかなり背が高い。上から見下ろされてビクトールは慌てて首を振ったが、がしっと両肩を強く掴まれひくりと頬を引き攣らせた。

「別に何も知っちゃあいねえがよ。大概おめえがどうこうって時はカミューが原因じゃねえか」
「………」
 いつも他人から見れば実に馬鹿馬鹿しい原因で、仲違いをしてくれるこのはた迷惑な二人組である。どうせ今回もいつの間にか仲直りしてこっちを呆れさせるのだろう。そうビクトールは考えていたが敢えて口には出さなかった。なんにしろ、人の揉め事に首を突っ込むのは悪い癖だが、やめられないのだ。どうしても。
「ほらよ。何があったか言ってみろよ」
 そして昼間は舞台も無く静かな城内の一角に、マイクロトフを誘いこんで顔を付き合わせているのだ。
「今は楽団の奴らも踊りの奴らもいねえから、誰にも聞かれる心配はねえよ。な?」
 何しろまだ昼前なのである。
「だいいち朝っぱらから辛気臭い顔してりゃ、俺でなくても何かあったと思うぜ? そのまま一日過ごすつもりかよ」
 何度もそうして促すうちに、マイクロトフの喉がごくりと鳴った。
「ビクトール殿」
「おう」
「……リタ、と言うのはやはり女性の名だと思われるか?」
「ああ、そら女の名前だろうな」
「地名とか何かの銘柄とかは考えられんだろうか」
 真剣に問うてくるマイクロトフに、ビクトールはピンと来るものがあった。
「なんだ、カミューがそう口走ったのか」
 瞬間マイクロトフの肩が震えた。
「なるほどなぁ。はー、それでおまえ………そう言うわけか」
 何度も頷くビクトールに、マイクロトフは顔を逸らせて呻き声を上げた。
「俺は、今までカミューに一番近しい者だと自負してきたつもりです。だがこれまでそんな名は一度も聞いたことが無かった」
 別に恋人だって言やあ良いのに、と考えながらも、つまりは聞き覚えの無い女性の名に対してマイクロトフは危機感を覚えているわけだ、とビクトールは結論付ける。確かにカミューの女性に対する態度はある種、行き過ぎの感がある。性分だと理解していても恋人である立場としてはどうにもならないものがあるのだろう。
「で? おまえはカミューに聞いてみたのか。リタってのが誰か」
「それは……カミューが言ったのは寝言で…」
 ははあ、それは益々穏やかじゃない。
 顎に手をかけ頷くと、ビクトールはふむと考えこんだ。
「確認しそこなったってわけだ。で、気になってしょうがねえんだろ」
 指を立てて指してやると、ぐっとマイクロトフが顎を引いた。それを見てビクトールは乗り出していた身を起こして椅子の背もたれに背中を預けると、わしわしと髪を掻き乱した。
「参ったね全く」
 分かってはいたが、やはり原因を聞いてみると他人の身にしてみれば馬鹿馬鹿しい。
「気になるんならとっとと聞いちまえ。それが一番良いぜ」
「そう、思われるか?」
 どこか不安そうな表情の騎士に、ビクトールは大仰に頷いて見せる。
「ああ」
 その返答にマイクロトフも何事か腹を括ったらしい。やや情けなく見えていたその表情が、やにわに常の生真面目な堅いものに変化すると、用は済んだとばかりに立ち上がる。
「助言感謝します」
「ああ、良いって事よ」
 ヒラヒラと手を振るビクトールに折り目正しく頭を下げて、マイクロトフは風のようにその場から姿を消したのだった。



 さて。
 ビクトールと別れたマイクロトフは、カミューを探して城内を猛然と歩き始めた。まずはその私室へ行き、そこにいないと知ると執務室へ。しかしそこにもおらず見張りの騎士に見ていないかと聞いて見れば、どうやら酒場へ行ったらしいと判明した。
 こんな明るい内から何故酒場などに行くんだ、と首を傾げながら、それでもマイクロトフはそこを目指すため、石版前の広間を通り抜け、鏡のある間仕切りの場所まで到達した。と、そこで聞き慣れた声にふと足を止める。
「ではレディ」
 聞き間違えようの無いカミューの声だった。どうやら酒場の出入り口で誰かと相対しているらしい。そっと覗き込むようにそちらを覗うと、カミューの背中が見えた。そしてその向こうには旅芸人一座に身を置くリィナの顔がある。
「とても助かりましたわカミューさん。有難うございます」
 艶のある声が、魅力的な微笑に乗せられる。するとカミューの首が左右に振れた。
「いえ。いつでもお声をかけてください。わたしで力になれる事でしたら何でもさせて頂きますよ」
「それは頼もしいですわね」
 とろりと笑むリィナに、恐らくカミューもいつもの微笑みを浮かべて返しているに違いない。しかしどうやら会話の流れを聞いていると、用件は済んだらしい。ならば待っていればその内カミューは一人になるだろう。そうマイクロトフが判断した時、リィナの小さな笑い声が聞こえてきた。
「ふふ……それにしてもカミューさん。リタの事を良くご存知ですのね」
 ハッと顔を上げてマイクロトフは壁にしがみついた。
 今リィナは確かに「リタ」と言ったか。これは一体どう言う事だ。しかし困惑するマイクロトフを他所に、二人の会話は繰り広げられていく。
「ええ、それはもう。リタは昔からわたしにとって大切な存在ですから」
「まぁ。妬けますこと」
 リィナの笑い声に、カミューの笑い声が重なる。
 その時点でマイクロトフの中で何かが焼き切れた。これ以上ここにいては自分でも何をしだすか分からないので、最後の理性で踵を返すと来た道をひき返す。だが頭の中はカミューの言葉で一杯だった。
――――大切な存在。
 どこをどう歩いて自室に帰ってきたのかすら覚えていない。ただベッドに腰掛けると頭を抱えて屈み込んだ。
 今朝始めて聞いた名前だ。この部屋のこのベッドで。幸福そうに微笑んでカミューは寝言でそれを呟いた。そして今しがたそれを「大切な存在」と言った。それらを考えるだけで鼓動が早まり、身体中が熱くなる。耐え切れずマイクロトフは食い縛った歯列から呻き声を漏らした。
 と、そこへ軽いノックの音が響いた。
「マイクロトフ、いるのか?」
 がばりと身を起こすとマイクロトフはうろたえた。
 カミューだ。何故よりにもよって今、ここに来るんだ。
「見張りの兵士からおまえがわたしを探していたと聞いたんだが。入るぞ?」
 そしてギシッと板戸が軋む音を聞いてマイクロトフは慌てて立ち上がった。
「待て!」
 気付けば叫んでいた。と、戸の向こうからカミューの戸惑う声がする。
「マイクロトフ?」
「済まん……今は、駄目だ。入ってこないでくれ」
 今顔を合わせると、自分がカミューに何を口走るか――――何をするか知れない。彼を傷付けるような真似だけは避けたかった。すると、一瞬の間を置いてトン、と戸が鳴った。
「何かあったのか?」
 マイクロトフの言葉通り、戸を開けて入ってこようとはせず、カミューは気遣うような言葉をかけてきた。その優しさと労わりが、荒れたマイクロトフの胸に刺すような痛みをもたらした。
 カミューの態度からは何の変化も後ろ暗さも感じられない。聞いてみれば恐らく何の含みも無い女性の名だと、そう思える。しかし万が一を考えるとどうしようもなく胸が焼ける。これは、身勝手な嫉妬に過ぎないのだ。
「……何も無い。カミュー……何も無いんだ」
 それはまるで自分に言い聞かせるような言葉でもあり。
「だが今は駄目なんだ。済まない」
 それでも顔を合わせられない己の身勝手さに反吐が出る。
 すると戸の向こうの床がカツンと音を立て、カミューが一歩下がったのだと聞き取れた。
「分かった…だが、昼食は一緒に摂れそうか? 出来れば今日はおまえと摂りたいのだけどね」
 昼食まではあとまだ僅かに時間がある。それまでには頭も冷えるだろうか。
「ああ」
 短く応えると、再び床が鳴った。
「なら約束だ。ハイ・ヨー殿のレストランで待っているよ」
 そう言い残してカミューの足音が遠ざかっていく。
 何時にとは言わなかった。多分、いつまででも待ってくれるつもりなのだろう。付き合いが長いだけにカミューのそうした気遣いの方法が手に取るようにわかる。だが、そんな青年の態度にマイクロトフは益々顔をしかめた。
 そして、再びベッドに腰を下ろすと深い自己嫌悪の吐息をついたのだった。



 ところで、マイクロトフと別れた後、ビクトールはぶらりぶらりと何をするでなく城内をうろついていた。そこへ、偶々カミューが通りかかったのだが、やはり一度突っ込んだ首はなかなか抜けてくれそうに無いらしい。
「よぉカミュー」
 呼び止めて当然のように歩み寄ると、気になっていた事を口にした。
「マイクロトフとはもう会ったか?」
 だが、元赤騎士団長がその言葉に微笑を失い、軽く目を見開くのを見ておやと息をひそめた。
「まさか何かあったか」
「……何か、ご存知なんですね?」
 静かに問い返されて、ビクトールは「ありゃ」と肩を竦めたのだった。

 どうせならとレストランに向かうカミューについて行って、まだ何も要らないと言う青年を前に早めの昼飯をがっつきながらビクトールは事情を聞いた。だがあらかた聞き終えて、
「そいつぁまた…」
 と言葉を濁して返すしかなかった。
 あれからまたマイクロトフにとって何かがあったに違いない。カミューの方に心当たりが無いようだから、またもや勝手に一人で悶々としているのだろう。そこでビクトールは余計な差し出口かとは思ったが、見当を当たってみようと考えた。
「ところで、リタってのはなんだ?」
 フォークの先を揺らしてあっさりとそう聞いてみた。するとカミューが小さく首を傾げた。
「あなたがリタをご存知とは驚きですね」
 そして、リィナ嬢からお聞きになったのですか? と。
 勘の良いビクトールである。そこで閃くものに「あ」と頓狂な声を出し、周囲のテーブルの客から注目を集めて気まずげに声をひそめた。
「もしかして、グラスランドがらみか?」
 カミューとリィナは同郷という共通点がある。案の定、カミューはこくりと頷いた。
「その通りですが?」
 やれやれやっぱり馬鹿馬鹿しい結末に終わりそうだ、とビクトールはフォークで荒々しく皿の上の料理を突き刺したのだった。



 いつまでも部屋で悶々としているのも、マイクロトフの性には合っていなかった。
 もう一度道場に戻ると、模擬刀を持って素振りを開始した。回数も数えずにただ黙々と振り続ける。いつしか汗が滴り落ち始め、周囲の音が一切聞こえなくなる。それは、マイクロトフ流の精神統一の方法といえた。
 無駄な考えはどこかへと消え去り、脈動が一定の拍子を刻み始める。
 そうしてどれくらい素振りを続けていたのか、道場で訓練をしていた兵士の顔ぶれががらりと入れ替わっているのに漸く気付いた頃には、すっかり気持ちが落ちついていた。
 窓から射し込む陽射しの加減を見れば、昼を大分過ぎてしまっているのだと分かる。マイクロトフは部屋に戻ると軽く汗をふき着替えると、足早にレストランへと向かったのだった。

「来たね」
 テーブルについていた両肘から伸びる両手。組まれたそこに乗せていた顎を外してカミューはにこりと微笑んだ。
「待たせて済まん」
 だがカミューは短く「気にするな」と言うと、直ぐにウェイトレスを呼び寄せた。
 そして常の通り、各々注文を告げてウェイトレスがテーブルから去ると、途端に沈黙が下りた。そろりとマイクロトフが顔を上げて覗うと、カミューは再び肘をついて組んだ両手に顎を乗せて、ぼんやりと周囲を眺めている。
 その何気ない普段の通りの態度に、マイクロトフの強張った身体から僅かに力が抜ける。別に何も気負う必要など無いのだ。ごくりと唾を飲みこむとマイクロトフは背を正した。
「カミュー」
 名を呼ぶと、ゆっくりとカミューの視線がマイクロトフに向けられ、互いのそれが絡む。
「なんだい?」
「聞きたい事があるんだが」
 だが、不意にカミューの手が伸びてマイクロトフの前でそっと止まった。その制止を意味する動作にマイクロトフが顎を引くと、カミューは微笑を浮かべたその顔で軽く首を傾げた。
「その前に」
 そして折り良く現れたウェイトレスの持つ盆に目を走らせて頷く。
「お茶でも飲もう。ああ、どうも有難う」
 ウェイトレスから盆の上のティーセットを受け取ると、にっこりと微笑んで返す。
「いや、カミュー。俺はお茶よりも…」
「ああ、だから先にお茶を淹れさせてくれないか」
 穏やかだが有無を言わさぬ口調でカミューにひたと見詰められて、マイクロトフは言葉を無くしてただ瞬く。しかし、直ぐに仄かな甘い香りが立ち上って息を飲んだ。
「カミュー。そのお茶はなんだ?」
「良い香りだろう」
 ちらりと上目遣いでマイクロトフを見ると、カミューはチンと陶器を鳴らして薄い色合いのお茶をカップに注ぎ入れた。そして、すうっとそれをマイクロトフの方へと滑らせた。
「熱いから、まずは香りだけを楽しむといい」
「……これは、なんのお茶だ?」
「蒲公英の根のお茶だ」
「た、たんぽぽ…と言うとあの黄色い花の?」
「他にあるのか?」
 くすくすと笑うカミューに、マイクロトフは戸惑いを隠せない。
「その根をお茶に出来るのか」
「あぁ。蒲公英の根は実はとても長くて、地中深くまで真っ直ぐ伸びている。薬効があって、こうして薄く削いだものを煎じて飲むと甘くて美味しい」
 そしてカミューは目の前で一口飲んで、にこりと笑みを浮かべた。
「知らなかったな」
 感心して呟くと、カミューがもう冷めたんじゃないか? と飲むように促す。そして促されるままにカップを持ち上げてそれを口に含むと、じわりと舌の上に甘味が広がった。飲み込んでもまだ口の中に引っかかるような甘さが残る。
「甘いんだな」
「うん」
 そしてなんだか平和で呑気な空気が一帯に広がった。
「………」
 マイクロトフがハッとして蒲公英の根のお茶をごくりと飲み下した。慌ててカップをテーブルに置くと小さく咳払いする。そしてこんなぼんやりしている場合ではないのだと口を開こうとした時。
「リタのお茶」
 カミューの明瞭な声がそう言った。
「え?」
「グラスランドでは別名『リタのお茶』とも言う。旅芸人が語って聞かせたりする演義にも登場する女傑リタが好んだお茶として有名だから」
 呆然としてマイクロトフが見るとカミューはふわりと顔を笑みに綻ばせ「それが聞きたかったんだろう?」と言った。
「今日はそのリタ生誕の日なんだよ。グラスランドでは今日、こうして彼女の叡智と勇気を称えてこのお茶を飲む習慣が無くも無い」
「な……」
 何を言えば良いのか分からず、閉口するマイクロトフにカミューは苦笑を漏らした。
「ビクトール殿に聞いた。寝言で言ったらしいじゃないか」
「う…」
「昨日、苦労してこの根を掘り返していたんだ。だからかもしれない。それにね――――」
 俯きカミューは優しく口許を綻ばせた。
「リタはとある部族を救った伝説の女性で、誰よりも美しく賢く、何よりも果敢だった。だから後世のグラスランドの人々は、こう言う――――リタのように」
 おまじないみたいなものだよ、とカミューは続ける。
「お茶を飲みながらね。そう言う」
 そしてカミューは再びカップを唇に寄せた。マイクロトフはと言えば、ポカンとして言葉も無い。しかし、確かカミューはリィナに大切な存在と言わなかったか? ぼんやりとしながらそんな事を問うていた。すると青年の瞳が大きく見開く。
「聞いていたのか?」
 そして困ったような苦笑を浮かべた。
「それはマイクロトフ。勘違いだよ」
「………」
「リタの名はわたしにとっての幸運をもたらす言葉なんだよ」
「どう言う、意味だ」
「縁起かつぎの言葉だ。不思議と何かの折に呟くと巡り合わせが良くなるんだ」
「しかし、始めて聞いたぞ」
 するとカミューは視線を逸らして、少し照れたように言った。
「小さい頃から続けているんだ。なんだか堂々と言うのも憚られてね」
 密かに呟いていたんだよ。そんなカミューの言葉に、どっとマイクロトフの肩から力が抜けたのだった。

 そして、更に聞けばリィナにはその演義とやらの内容を詳しく教えていたらしい。どうやら今度見世物に取り入れると言う。
「今から観るのが楽しみだと思わないか?」
 そうこうしている内に運ばれた昼食と一緒に、そう言って嬉しそうにお茶を飲むカミューに、マイクロトフは「そうだな」と頷いて返したものの、今朝からの自分のあれこれを思えば実に複雑な思いだったのは、否定できない事実だった。しかし。

「このお茶は美味しいな」
「だろう?」

 胸のわだかまりもすっかり消えて、いつものようにカミューと穏やかに食事するこの時を、とても幸福に思えるマイクロトフだった。
「リタ、か」
 まぁ、結果幸福をもたらした呟きと言えるのかもしれないな、とマイクロトフはひとりごちたのだった。


END



タンポポの根のお茶だけ事実で、あとは全て仮想です
そしてリタのお名前は、キリリクをいただいたリタさんからお借りしました
当サイトのみにとどまらず方々でキリ番をゲットされた幸運な方です
しかしグラスランドは女性が強い、と言うイメージがあります
ルシアさんの影響でしょうか

それにしても、またもやリクエストの内容からとてつもなく逸れているような…
誘い受けにもならず……不甲斐無くて申し訳無いなぁ(笑)

2000/09/30