癖
自室でレオナから差し入れられたグラスランド産のワインを二人で飲んでいる時、マイクロトフはふとカミューの、ある癖に気が付いた。
「カミュー、手を見せてみろ」
くつろいだ格好で宵を過ごしているので、当然騎士服を着用する際の手袋も今は脱いでいる。カミューは小首を傾げて利き手をマイクロトフに差し出した。
「なんだ?」
「……やっぱり」
恋人の白い指先。やや伸びた爪が歯噛みでいびつな形になっていた。
酒を水のように飲む酒豪のカミューだが、アルコールが入ると時々出る癖があるのをマイクロトフだけが知っていた。こんな風にくだけた雰囲気の時に、杯を交わしながら見せるその幼い癖。
「爪が伸びているぞ。全く……こんなに噛んでは痛んでしまう」
マイクロトフはカミューのその繊細な手が好きだ。痛ましく思ってその指先を親指の腹で撫でた。案の定ざらざらとした感触で、所々引っかかってしまうほどだった。
「切ろう」
そして爪切りを探そうとするが、カミューの手がそれをやんわりと押し止めた。
「夜に爪を切ると親の死に目に会えなくなると聞く」
「親の?」
マイクロトフは眉をしかめた。前にカミューの親はもう他界していると聞いていたのだ。
「あぁ、つまり縁起が悪い」
わたしは縁起を担ぐ方なんだ、とカミューは神妙な面持ちで頷いた。
「だがこれでは危ない。割れでもしたら剣が握りにくいぞ」
「もう噛まないから」
そしてさっさと手を引っ込められると、マイクロトフにはもう何も言えない。
しかしその後ワインボトルが空になり、最後のひとくちをカミューがくちづけで飲ませてくれて、そしてベッドでその身体を抱き締めるに到るまで、その爪は噛まれはしなかった。
「どうしてこれで目が覚めないんだ」
朝の光が射し込むベッドの上。マイクロトフは眠るカミューの足元で胡座をかいていた。明け方、従来通り目覚めたマイクロトフは傍で眠る恋人を気遣いつつベッドから抜け出ると、爪切りを手にもう一度ベッドに上がったのだ。
昨夜は縁起を気にするカミューの意志を尊重したが、おかげで背中がぴりぴりと痛い。
夜が明ければ構わないだろうと、マイクロトフは最初はそうっと恋人の白い指先を手にしたのだった。朝の静寂の中でパチンパチンと乾いた音を立てたが、カミューの伏せられた長い睫が動く事は無かった。
既に爪切りはカミューの両手と左足の爪を切り終えている。残る右足を胡座の上に乗せても、ぴくりともしないカミューの寝顔を、マイクロトフは首を伸ばして窺った。
毛布にくるまれた幸せそうな表情で、いったいどんな夢を見ているのだろうか。
「全部切り終えても目が覚めないようでは少し問題があるぞ?」
だが恋人の爪を切るその動作は、丁寧且つ慎重なものだ。元々不器用な質である。間違って深爪をしたり指を傷付けてはいけない。そしてパチンと切り始めた。
と、不意に身じろいだカミューの右手がその口許に寄せられた。
―――カリ。
白い歯が僅かに残された爪を軽く噛んだ。
「カミュー……」
マイクロトフは苦笑をもらすと、身体を捩ってその手をやんわりと掴みあげた。
「噛むなと言っているのに」
眠っている相手を小声で叱ると、伏せられていた睫が震えた。ゆっくりと開かれた琥珀の瞳が、あれ? と言いたげに眇められる。
「……な……に……?」
右足を胡座の上に乗せられ、右手を掴まれた状態である。流石のカミューも目覚めて直ぐに違和感を覚えても無理はない。
「爪を切っている。動くなよカミュー」
「つ……?」
「そう、爪だ。―――あぁ、動くんじゃない」
マイクロトフは、緩慢な動作で身体を丸めようとする恋人の足を掴んで引き戻した。
これなら眠ったままの方が良かったと、内心で呟いた時、再びカミューが爪を噛む。今度は左手だ。切ってしまった短い爪をどうやって噛むというのか、良く見ると指先そのものを噛んでいる。
「カミュー、カミュー」
「ん…………?」
酔いの冷めた朝になって、この癖が出たことはこれまで無かったはずだ。マイクロトフは左手も掴みあげるとそれを右手とまとめた。
「寝惚けているのか」
そして深いくちづけを落とした。
最初は無反応だったカミューだったが、徐々に覚醒してくるのか、次第に熱い吐息が漏れ始める。
存分に唇を味わい尽くして身を離すと、やや潤んだ琥珀の瞳に出会った。一瞬その色気と美しさに目を奪われたマイクロトフだったが、直ぐに我に返る。
「起きたか?」
「……あぁ」
起き上がったカミューは、掠れた声で頷きつつも、転がる爪切りを目敏く発見した。
「何を、しているんだ?」
「爪を切っているんだ」
「わたしのか?」
「あとは右足だけだ。動くなよ?」
そしてマイクロトフはもう一度胡座を組み直すと、カミューの右足を膝に持ち上げた。
―――パチン。
ゆっくりとだが確実に伸びた爪を切って行く。その間カミューはぴくりともせずにそのマイクロトフの手が動く様を見ていた。
「済んだぞ」
マイクロトフはカミューの右足を解放した。するとカミューは漸く動き出して、自分の手を見た。
その指先を自ら撫でている。そしてぽつりと呟いた。
「……やすりまでかけたのか?」
「ああ。もう噛むなよ」
うん、と頷いてカミューはふわりと鮮やかに微笑んだ。そして、瞳にどこか懐かしげな色を浮かべた。
「夢を、見ていたよマイクロトフ」
「夢か?」
「そう……もう覚えていないほど幼い頃、母がわたしの手を取って爪を切ってくれた時の夢だ」
そしてカミューは苦笑を漏らした。
「幼いわたしは、指をしゃぶる癖があったらしいからね。危険だからと母が良く切ってくれていたのを思い出したよ」
おまえのせいだったのだな、とカミューは一層綺麗な笑みを浮かべた。
「ありがとう、マイクロトフ」
夜に切ると縁起が悪いが、朝に切ると親の思い出に出会えるらしいな、とカミューは囁く。そう言えば昨夜飲んだワインはグラスランドのものだ。様々な要因がカミューに幼児期の記憶を蘇らせたのかもしれない。
その、幼い癖と共に―――。
そして、あどけない子供のように汚れの無い笑顔で抱きつかれたマイクロトフが、父性愛だか恋愛だか友愛だか分からぬ感情にしばらく混乱していたわけだが、それをカミューが気付いたかどうかは定かではない。
END
最初はただ―――
カミューの足の爪を切るマイクロトフが書きたかったんだぁ!!(バカ)
でも赤ん坊のカミューって……カミューって……
すっっっごく可愛かったんだろうなぁ
そんで小さい頃の夢を見ながら指をくわえるカミューさん……
だめだ……自分妄想入り過ぎだ(笑)
2000/03/03