年にどのくらい
「雨かぁ」
ポツリと聞こえた呟きにマイクロトフは読んでいた本から顔をあげた。
くるりと室内に視線をめぐらせば、窓際に縋りつくように立っているカミューがいる。風呂上りのその姿は濡れた髪がどこか幼さを感じさせて心許ない。
思わず本を傍らに置いて立ち上がったマイクロトフは、手を差し伸べて背中からそんなカミューに抱き付いた。途端に香る石鹸の香りが好ましかったが、衣服越しに感じた思いのほか冷たい肌に眉をひそめる。
だが口煩く言う前にカミューがくふふと笑う。
「あったかい」
途端に何も言う気が失せてマイクロトフは黙ってその冷えた身体を抱きしめた。するとカミューはまた窓の外を見やり、硝子を叩く雨雫を凝視する。
「何を見ている」
「うん? あぁ…空を見ようと思ったんだけど」
「雨だ」
「そう、残念」
目の前の頭がかくんと項垂れる。濡れた髪がひやりとマイクロトフの頬を撫でていった。
「空に何かあるのか」
「天の川がいちばん良く見える日なのに」
「うん?」
「星くずの川」
人差し指で天を指してカミューは言う。
「銀河か」
「そう」
「今日はあれが良く見えるのか」
「うん、一晩中夜空にあるはず、なのにこれじゃあ星見酒も出来ない」
酒か。
笑ってマイクロトフはカミューのうなじに鼻先をうずめる。
「では雨音を聞きながら酒はどうだ」
「おや随分と風流じゃないか」
「なに、星は晴れた夜に見れば良い。雨音は静かな雨の夜にしか味わえんのだぞ」
それに。
石鹸の香りのする濡れたカミューは、風呂上りにしか堪能できない。思ってマイクロトフはうなじに顔を埋めたまま笑った。
「わ、こら」
途端にカミューが声を震わせて肩を竦める。
「くすぐったいマイクロトフ」
膝を崩して腕の中でずるずると滑り落ちていく身体を支えながらマイクロトフも笑う。しまいには床に座り込んでしまったカミューの濡れた髪を、くしゃりと掻き回した。
「待っていろ、拭いてやる」
「マイクロトフ?」
直ぐに乾いたタオルを取って戻って来ると、窓辺に手をついて立ち上がろうとした身体を横抱きにさらって寝台に押し付ける。
「った、おい乱暴だぞ」
「風邪を引くよりマシだろう」
そしてしっとりと濡れた髪にタオルを押し当ててがしがしと拭く。
「風呂上りにしか、出来んよな」
「なに?」
「いや……」
文句を言う割には寝台の上に座り込んで大人しく髪を拭かれるままでいるカミューが可愛らしい。
「数日に一度、か」
「マイクロトフ?」
「銀河の見える夜と、どちらが多いのだろう」
「全く唐突で意味不明な奴だな。銀河がいちばん美しく見えるのは夏だから、冬は当然夏ほどじゃない」
「…ならばおまえが髪を濡らしたままぼんやりする機会の方が多いか」
「どういう意味だよ」
別に。こそりと笑ってマイクロトフは髪を拭う指先に力を込めた。
「次に晴れた夜は、星見酒を飲もうカミュー」
「おいこら誤魔化す気かい」
「その時はきちんと髪を拭けよ。暖かくても冷えれば身体に悪い」
「マイクロトフ」
「ああ、だいたい乾いたか。さ、次は酒だ。雨がいつまで降ってくれるか分からんぞ」
しっとりと重みを含んだタオルを退けて、乱れた髪をおざなりに指先で撫で梳きながらそんな事を言うと、きらりと琥珀の瞳が瞬く。
「あ、そうだよ。確かとっときの酒が棚に……」
するりと腕の中から抜け出して、キャビネットを探り出すカミューの背中を見て思わず吹き出す。
「現金な奴め」
「おまえも飲むだろう?」
「無論だ」
さて、上手い酒に舌鼓を打つカミューを見られるのは、年にどのくらいあるだろう。
その数え切れないくらいの幸福な機会を思って、マイクロトフも寝台から立ち上がったのだった。
END
七夕にちなんだ話を書こうとしたのに……。
どんどんズレていきました。あう。
でも赤さんの濡れた髪を拭う青は超萌えポイント! 大好き!
2003/07/07