年輪を重ねて


 バウムクーヘン。
 砂糖や牛乳、卵やたっぷりのバターで溶いた小麦粉を、木の棒に繰り返し薄く塗りつけながら炎であぶって作る、焼菓子。輪切りにすると木の年輪に似た切り口が特徴。



 卓上に置かれた皿には、大きな丸い円形のケーキのようなものが載っていた。だが、それはマイクロトフの知るケーキとは少し形も様子も違っているものだった。
 だがこれもきっとケーキのひとつに違いないのだろう。
 マイクロトフは少しも覚えられないのだが、世の中のケーキはそれぞれ種類があって、やたらと沢山の名前があるらしいのだ。
 しかしマイクロトフにとっては、ケーキは全てひと括りにしてケーキなのである。だから。
「なんだこのケーキは」
「バウムクーヘン」
 カミューの返答にガックリと来た。
「そうではなくてだな」
「部下の結婚式の引き出物なんだ。食べようと思って出したんだが、ちょっと書類の訂正を思い出してね。マイクロトフ切り分けてくれないか」
 カミューは今壁際の棚の前で腰を屈めて何事か書類に書き込みをしているところだった。
「切り分けるって……どう切れば良いんだ」
「好きに切ってくれ」
 カミューは振り向きもしない。
「ようは、口に出来たら良いんだ」
「それはそうだろうが―――」
 以前に丸いデコレーションケーキを、飾り付けのフルーツを無視して切って、さんざんケーキとはね、と説教を食らった覚えがあるのだ。
 だが、ふと見下ろしてみれば今回のケーキ。『バウムクーヘン』という名のそれは、実に質素な見かけをしている。これならば、とマイクロトフはさほど頭を悩ませることなく、ナイフを入れた。
「カミュー、切ったぞ。茶は淹れてあるのか」
「ああ……あちらにもう温めたポットがあるから……」
「分かった」
 ならば既に茶葉は用意されているのだろう。あとはそれをポットに入れてお湯を注ぎ、蒸すだけだ。案の定、皿を置いて立ち上がり、衝立の奥にある水場に行けば、盆の上に既に茶の用意が整えられていた。
 マイクロトフはそばに置かれていた茶葉の缶を取り上げると、素早く裏の注意書きに目を走らせ、パカッと蓋を開けると茶匙で適当にポットに茶葉を放り込む。
 それからシュンシュンと温かな湯気を昇らせているケトルを取ってポットに注いだ。こぽこぽと音を立てて勢い良く流れ込んだお湯は、中で茶葉をぐるぐると渦巻かせる。
 そして軽く漂った茶の香りにふと口元を緩めて、マイクロトフはポットに蓋をするとカバーを被せて盆の上に乗せた。
 ところがその盆を手に再び戻ろうとした所でカミューのなんとも奇妙な声が聞こえてきた。
「……マイクロトフーー…」
「どうしたカミュー」
 ぐるぐると唸り声が聞こえてきそうな、それでいて今にも笑い出しそうに震えている、そんな声であった。マイクロトフは盆を持ったまま足早に衝立から飛び出した。
 すると。
 マイクロトフの切り分けたケーキの皿を目の前に、ガックリと床に崩れ落ちたカミューがいた。
「……どうした、カミュー」
 再度同じ呼びかけに、カミューがよろよろと顔を上げる。その目も、怒っているのかそれとも笑っているのか判断のつかない表情を浮かべていた。
「どうもこうもないよ。何処の世界にバウムクーヘンをこんなに細く切ってしまう人間が居るんだよ」
 そして皿に乗った、薄くスライスされたケーキを指差した。マイクロトフにしてみれば、質素な見かけを良い事に食べやすい事を第一に考えての切り分け方だったのだが、どうやらそれは失敗だったらしい。
「…一口大ではいけなかったのだな」
「―――バウムクーヘンなんだよ…そりゃあ、好きに切ってくれとは言ったけれど」
 そしてカミューは今度は、まだ半分切り分けずに残っていた、半月のような形のケーキを指差した。
「最初にこれを見て、何かに似ているとは思わなかったかい?」
「いや、素朴な見た目だなと」
 甘ったるい生クリームや、色とりどりのフルーツもなく、甘味にさほど興味のないマイクロトフでもひょいと一口食べられそうなケーキだと思った。
 その答えに、しかしカミューは「ああそうか…」と呟いて堪えきれないように苦笑を浮かべた。
「まぁ、おまえが知らなくても、それは仕方がない事だったね。これは『木の菓子』って意味があるんだよ。ほら、こうして薄く生地が重なっているのが、木の年輪に見えないかい」
「言われてみれば」
 真ん中の大きな穴を除けば、そう見えない事もない。マイクロトフはふむと頷いた。するとカミューも頷いて、おもむろにナイフを取ると、その半身にすっと刃を当てた。
 そして弧状に切り分けたそれを皿に乗せると、用意してあったフォークを取る。
「ほら、こうして薄い生地にフォークを立てるとね」
 ふわりと、生地と生地が分かれた。
「この感触がバウムクーヘンの醍醐味だよ。流石にわたしはしないけれど、中にはこれを一枚一枚剥がして食べるという者すらいるくらい、この重ねられた生地には意味があるんだ」
 なるほど、それでは一口大に切ってしまっては、分けるどころの話ではない。
 漸く納得したマイクロトフは、盆を卓上に置くと、深々と頭を下げた。
「すまなかった。そちらの細切れは俺が責任を持って食うから許してくれ」
 だがカミューは軽く首を振るうとソファーに座ってティーカップに手を伸ばす。
「構わないよ。味に変わりはないんだし。それよりもほら、おまえも座ってくれ。一緒に食べようと思って準備していたんだからね」
「俺と?」
 マイクロトフは首を傾げながら、手を引かれるままにカミューの横に腰掛けた。常ならば、茶に誘われる事はあってもケーキの相伴まではないのだ。
 しかしカミューはにっこりと微笑むと頷いた。
「そう、マイクロトフと。何しろこれは結婚式の引き出物なんだよ。実にめでたい品だからね」
「どの辺がだ」
「だからさ、年輪に見えるだろう? こんな風に、これからも二人で末永く年輪を重ねて行きましょう、という意味なのさ」
「―――つまり」
 マイクロトフはちらりと傍らのカミューを見た。すると、微笑に細められたカミューの瞳がふっと視界の中でぶれた。
 かと思ったら、カミューのやらかな唇がマイクロトフの唇をはむ、と噛んで、音を立てて口付けた。
「うん、つまり、そういうことだね」
「……なるほど」
 なんだか今日は納得してばかりだな、とマイクロトフは自分の鈍さに呆れつつ、カミューの頬に手を伸ばし、離れようとする身体を抱き寄せた。
「いつまでも、カミュー……数え切れない年輪をおまえと共に」
 そしてこつんと額を合わせればカミューがくすぐったそうに笑った。
「共にね。おまえとならさぞかし大変な珍しい年輪が重ねられそうだよ」
「それはお互い様だな、カミュー」
「違いない」
 そしてカミューはひょいと一口大のバウムクーヘンを摘むと、マイクロトフの口に放り込んだ。
「他の誰かとじゃこんな食べ方決して出来ないものな」
 そしてくすくすと笑うカミューを見つめながら、マイクロトフはむぐむぐと口の中のケーキを味わった。
「……美味いな、これ…」
 甘さ控えめのそれは、それでもしっかりとケーキの甘みがじんわりと広がって、まるでカミューの微笑のようだとマイクロトフは思った。



end



身内の結婚でバウムクーヘンの試食をしまくりです。
色んなケーキ屋さんが沢山で、それぞれ微妙に味が違うところがすごいなあと思います。
これからも、年輪を重ねるがごとく、青赤で楽しんで頂けますように。
五周年、有難うございました。

2005/02/19