心の温石


 外は寒そうだな。
 珍しく、窓の外を眺めながらそんなことを呟いたのは青騎士団長である。それを傍で聞き咎めたのは傭兵のフリック。場所はマイクロトフの部屋で、フリックはたまたま用件の伝言がてら訪れていたところだ。
「なんだ、寒いのは苦手か?」
 背中からかけられた声にマイクロトフがハッと振り返る。どうやら自分が口走っていたことを自覚していなかったらしい。フリックは苦笑を浮かべて自分も同じように窓の外を覗いた。
「ああ、確かに雪も降って寒そうだな。トランより少し北に来ただけでこれだもんな。こんな頻繁に雪が降るのももう慣れたけど、確かロックアックスはもっとじゃなかったか?」
「ええ、マチルダにいた頃は冬になれば毎夜吹雪くのも珍しくありません」
「それで寒いのが苦手なのか」
 そんなものなのか、と不思議そうに聞かれてマイクロトフは慌てて首を振った。違うのだ。
「俺ではなく―――」
 言いかけてマイクロトフはちらりと、雪の舞う外にまた目を走らせる。そこでフリックが「あ」と声を上げた。
「ああそうか。カミューか」
「は……まぁ、そうです」
 一瞬躊躇ったものの、マイクロトフは結局頷いた。現在カミューは軍主の少年についてどこぞへと出掛けている。この寒さの中でさぞかし凍えていることだろう。
「お恥ずかしい話だが、あいつは寒いのが本当に大嫌いで」
「へぇ。暑かろうが寒かろうが素知らぬ顔で平然としてそうだけどなあ」
 そう。たとえ火の中だろうと水の中だろうと、かの赤騎士団長は常の微笑を崩さずに泰然としていそうな印象がある。しかしマイクロトフは複雑な顔でそれを否定した。
「寒いのもそうだが、夏は夏で暑さに機嫌を悪くしてひとに八つ当たりをする程で」
「あっはっは、本当かそいつは」
「流石に部下の手前、騎士服を着ている間は気温など感じていないようなふりをしているが、執務を終えればひどい有様です」
 マイクロトフは数ヶ月前の夏を思い出しつつ憮然と言った。傭兵はそんな話に目の前で腹を抱えて笑っている。だがさも意外そうに笑顔で首を傾げた。
「想像つかないけどなぁ? 八つ当たりってなんだ」
「……色々、と」
 思い出してマイクロトフは答えあぐねて頭を抱える。
 とてもではないが脳裏に蘇るカミューの姿は返上したとはいえマチルダの元赤騎士団長にふさわしくないものばかりだった。そのいずれもが、彼がマイクロトフを気を許した友人でありつつ甘えも見せる恋人であると位置づけているからこそ見せている姿だと分かっていても、だ。尚更他人には漏らせない姿である。
 しかし、ひとしきり笑ったあとのフリックが、喉の渇きにキャビネットの上にある水差しに歩み寄った時、突然扉が大きく開かれた。

「マイクロトフここにいたのか」
 飛び込んできたのは当の本人で、窓際にいるマイクロトフの姿を見つけるなり一目散に駆け寄ってきたかと思うと、何を考えてか両の白手袋を脱ぎ捨てた。
「カミュー? ―――うわ」
 するり、と伸ばされた素手が不意をついてマイクロトフの頬と首筋へとあてられたのである。途端に指先の氷のような冷たさにぎくりと強張ったが、そのままカミューがぎゅうっと抱きついてきたので動けない。
「寒かった……」
 耳元で弱い声がそう訴える。
「カミュー」
「寒かった」
「分かった。分かったから」
 確かに冷え切っているらしいその身体を抱いて、マイクロトフは凍えた背中を擦ってやった。しかしその黒い瞳は扉近くのキャビネットの傍で固まっている傭兵に向けられている。
 水差しを片手にどうしてよいやら困惑しているフリックと目が合うと、マイクロトフは苦笑いを浮かべた。するとそんな男の仕草に違和感を感じたのかカミューがひょいと顔を上げる。そこで漸く傭兵の存在に気付いてハッとした。
「おや、フリック殿」
 おられたんですか、と。
 しかしカミューはマイクロトフにしがみついたまま離れない。マイクロトフが突き離しもせずにその背を相変わらず擦り続けているからだろう。だがそんな姿を見せつけられた傭兵は目を丸くしている。
「カミュー、おまえ戻るなり何してんだよ」
「何って、マイクロトフに寒さを訴えています」
 己の冷え切った手をふらふらと振ってカミューは答えた。
「もう本当に寒かったんですよ。雪まで降ってきて凍えるかと思いました」
「ああ確かに髪が濡れてしまっているな」
 ぼそりと呟いたのはマイクロトフだ。己の頬に触れるカミューの金茶の髪はしっとりと濡れて芯から冷えてしまっている。なんとも可哀想に思えてその髪を撫でてやった。
「だから軍主殿も帰城予定を早めてね、今頃レストランで新作レシピの暖かいスープでも飲んでいるんじゃないかな」
「カミューは―――」
「うん? ああ、わたしはまっすぐにここに来たから」
 スープの相伴には与っていないと言う。
「腹が減っているのではないか?」
「うん。でもそれより寒かったから」
「そうか」
 頷いてマイクロトフは目元に笑みを滲ませた。しかし視界の端ではフリックが頭を抱えている。
 それはそうだろう。寒かったならそれこそ暖かいスープで腹を満たした方が手っ取り早く身体を温められるだろうに、どうしてそれでまっすぐここへ来るのか。
 しかしそんな傭兵の疑問が分かってもマイクロトフには説明のしようがない。何しろカミューのこの理屈は本人にしか分かっていないものなのだから。もしかしたら本人にもこの行動の理由が分かっていないのかもしれない。
 それでもカミューはマイクロトフにしがみつきながら実に満足そうに笑顔を浮かべた。
「はー、暖かい」
 ほうっと息を吐いてカミューは囁く。
 曰く、マイクロトフの体温は少し高めで気持ちが良いらしい。冬は時折こうして全身で懐かれる。反面、夏は敬遠されてしまうのが辛いのだが。
「ちょうどおまえの話をしていたんだカミュー。おまえの寒がりは相変わらずだな」
「そう言うがな、わたしは生まれも育ちもロックアックスのおまえと違って雪が降るほどの寒さには慣れていないんだ」
「良く言う。マチルダでいったい何年過ごしたんだおまえは」
「慣れないものは慣れないね」
 憮然と応えてカミューはぎゅーっとマイクロトフの胸に顔を押し付ける。そしてもごもごと呟くには。
「でも寒いと余計にこれが気持ち良い……」
 とほんわかと笑った。
 そうしてしがみ付いて離れないカミューに、マイクロトフは仕方がないなと笑う。その向こうでフリックが呆れたように髪をかき乱していた。
「あー、そんじゃオレはそろそろ…」
「フリック殿」
「なーんか背筋がぞくぞくしてきたからオレも暖かいスープでも飲んでくる」
 言い捨てて傭兵はさっさと部屋を出て行ってしまった。
 はて風邪でも引いたかなとくすくす笑っているのは腕の中のカミューだ。戻ってきた時は寒い寒いと不機嫌そうに訴えるだけだったのが、今はすっかり機嫌を取り戻している。
 その背や肩をずっと擦りながら、マイクロトフはぽつりと訊ねた。
「ところでカミュー」
「なんだいマイクロトフ」
「いつまでこうしているんだ?」
「わたしの気が済むまで」
 そしてきつくしがみついてくる。
 あと暫くもすれば気が済んで離れてくれるのだろうが、それまでは抱きしめ続けてやるのがマイクロトフの毎冬繰り返される役目である。
 何せカミューが言うのだ。
 おまえほど、芯から凍った身体を温めてくれる存在はない、と。
 寒いのが嫌いな青年の、こんな八つ当たりなら大歓迎だと思うマイクロトフである。



END



ほんわか〜とするお話を、と思いつつ。
とても27歳赤騎士団長の言動とは思えない内容に……。
ともあれ、心の温もりは騎士で!(笑)

2004/01/03