来歴


 デュナン湖の南岸―――かつてノースウィンドウという名を持っていたその地にある、今は同盟軍本拠地と呼ばれるその小都市。
 湖畔の切り立った場所にそびえるのは、古城に手を入れ増改築を繰り返した同盟軍の居城。商店街から兵舎、訓練場から同盟軍幹部の住居まであるその城の一角には、元マチルダ赤騎士団長の私室がある。
 狭いながらも、大部屋に雑魚寝を強いられている雑兵に比べれば立派とさえいえるその部屋は、華やかで凛々しいと称される主にしてみれば、酷く簡素な居室だった。まず生活の匂いが窺えない部屋であり、その理由には私物の少なさが挙げられるだろう。
 もっとも、反逆騎士として身一つでロックアックスから離脱してきたマチルダの騎士たちの多くは、皆それほど私物を持っているわけではない。しかしそれにしても彼の―――カミューの私室には全く私物らしい私物が無かった。
 そんな現状は彼の物に対する価値観が多く作用していると、誰よりも彼に近しい存在である元マチルダ青騎士団長のマイクロトフは考えていた。
 カミューは物に執着をしないのだと。
 物質よりも精神に重きを置くのだと。
 いつかは朽ちる形ある物よりは、いつまでも鮮明に残る記憶を喜ぶ。そんな青年にとって記念品など無意味であり、贈呈品など全く無価値だった。結果、カミューの私物はいっこうに増える事が無いのだ。
 しかしそんな青年のあり様は、どちらかといえば物に因縁を感じて大事にしまい込む質のマイクロトフには寂しく感じるものだった。
 カミューは精神を、心を大事にするのだろうと思っていても、実は大事なものなど何一つ無いのではないかと。何にも執着しないのは、執着するほど強い気持ちを持たないからでは無いのかと。そう考えると、マイクロトフは寂しさを通り越して不安と哀しさに見舞われるのだった。
 だが、それも以前までの事だ。
 今はそんな無闇な不安は感じない。その理由は、この同盟軍居城にあるカミューの私室に―――棚の隅にひっそりと置かれた石の存在があるからだった。
 掌に収まる丸い滑らかな石。黒味がかった色合いのその石は、特に珍しい特徴があるわけでもない、普通の石にしか見えない。実際ただの石なのだが、どうやらカミューにしてみればただの石では無いらしいのである。
 時折マイクロトフは、青年が不在の時にこの簡素な部屋に入ると、その石を手に持って目を瞑る。するとこの石がここにこうして置かれるようになったその経緯をどうにも思い出してならなくなるのだ。そして掌に感じる石の冷たさが、不思議と柔らかな温もりへと変じて胸へと染み入ってくる。
 マイクロトフは細く目を開くと、笑みに口許を緩めた。
 見下ろす石は、カミューが時々ペーパーウェイトに使っているらしい。こんな座りの悪い、丸い石を大事に使いつづけているのだ。―――大事に。
 再び目を閉じると、今よりほんの少し年若い頃のカミューの笑顔が浮かんだ。





「カミュー!」
 水のせせらぎに紛れた呼び声は、果たして青年の耳に届いたのだろうか。
 河から岸に上がると、マイクロトフは砂利を裸足で踏みしめ上流へと向かった。案の定、カミューは足だけを水にひたして、河辺の大きな平らな岩の上に仰向けに寝転がっていた。
 強い日差しの中、大きく張り出した樹木の枝と葉によって木蔭になっているその場所。岩の上に散った青年の金茶の髪の横には、読み掛けの本とユーライアが無造作に放り出されている。マイクロトフは軽く眉を寄せるとずんずんと歩を進め、その岩に乗り上がった。
「カミュー。あれほど寝るなと言ったのに……」
 しかし良過ぎる陽気の中、冷たい河の流れに素足をひたし、木蔭で微風に煽られていれば誰でも眠気を誘われるものである。ましてやそれが休暇中で、退屈な一時であれば尚更。
「一度寝ると中々起きんからな……」
 呟いてマイクロトフはカミューの横に腰を下ろした。
「全く…」
 そして手を伸ばすとその金茶の髪に触れた。
 さらりと指の間を滑る手触りに、しばらく酔いしれるが、そろそろ冷たくなってきた風を感じて名残惜しげにそれを離した。そしてその手を青年の頬へとあてた。
「…カミュー」
 小さく名を呼ぶ。だが静かな寝息に変化は無い。この程度で起きるようなカミューではないのだ。マイクロトフは微かに口許を歪めると、今度は頬にあてていた手を肩にずらし軽く揺すった。その決して荒々しくない動作は、まるでこの大男には似合っていないが、これがいつもの起こし方である。
「カミュー…起きろ」
 ぴくりと動いたカミューの目蓋が、ゆるりと開いた。そして小さな瞬きを何度か繰り返してから、眩しそうにマイクロトフを見上げてきた。その、どこかぼんやりとした眼差しをマイクロトフは黙って見詰め返す。
「………?」
 軽く細められた目を、不意に持ちあがった青年の手が覆う。
「―――起きたか?」
 低い声で問うと、細く長い吐息が返ってきたが、直ぐに重さを感じさせない動きで起き上がると、苦笑を漏らした。
「気持ち良過ぎて寝てしまったよ」
「そのようだ」
 答えてマイクロトフはすっくと立ち上がる。そしてその金茶の髪に再び触れると、さらりと撫でた。
「さぁ、そろそろ夕飯の支度をはじめるぞ」
「もうそんな時間か」
 驚きに呟きながら自身の髪を撫でる男の手を取って、それを支えに河から足を引き上げ、カミューは一息に立ち上がった。そして濡れた足をそのままに、放り出してあった剣と本を拾い上げる。
「戻ろうか」
「ああ」

 カミューは近く赤騎士団の団長に推薦される事が決まっていた。
 ―――そうなったらもうこれまでのように自由な時間が取れなくなるだろう?
 そしてマイクロトフを誘ってグリンヒル方面の静かな別荘地へと長い休暇を過ごしに来たのだった。
 森の狩人が冬などに仮の住まいとする小さな小屋を暫らく借りて過ごす時間は、思った以上にゆっくりと流れ、お互い騎士団内で実力をつけ、名をあげてきたこれまでの多忙な日々が遠くにあるような、そんな穏やかな優しさに満ちていた。
「おまえが河に出てから例の狩人が来てな、獲れた兎を置いて行ってくれた」
「へぇ。野菜ばかりだったから嬉しいだろうマイクロトフ」
「ああ、街の人間はこんな野生の兎なんか食べた事がないだろうと言われたがな」
「……野営で良く食べたよな」
 言ってカミューはくすりと笑った。
 小屋を貸してもらっている狩人には、二人の身分をただの民間人だと偽っている。騎士団の事をすっかり頭から追い出して、ゆっくりと過ごそうという意図からと、なまじ騎士としれると何かとあてにされて煩わしいという理由からだった。
 剣を護身用と言い、軽装で訪れた二人を狩人は疑わなかった。もっともマイクロトフのダンスニーは常人が持つには大きすぎるために、荷に紛らわせたりと細工をしたが、前面に立って小屋を借りる交渉やその他諸々をしてのけたカミューを見て、騎士かと思う者もいないだろう。
 しかもどうやら街の良家の子息が、お供をひとり連れて森までのんびり遊びに来たと、そんな風に思われているらしい。昼に兎を渡されながら「あんたもこんな辺鄙なところまでご苦労だね」と囁かれ、最初はどう言う意味か分からなかったマイクロトフだったのだ。
「どうかしたか、マイクロトフ」
「ん?」
 首を僅かだけ傾げると、カミューの指先がマイクロトフの眉間に伸びた。
「堅苦しく眉間に縦皺を寄せて何を考えているんだ?」
「別に」
 眉間を抑えるその手を取って、マイクロトフが憮然と答えると「まぁ良いさ」と呟きが返ってきた。
「おまえの縦皺はいつもの事だし―――そろそろ日が落ちる。寒くなるから暖炉に火を入れてくるよ」
「ああ、そうしてくれ」
 男二人、休暇と言っても従者を連れてきているわけでもないので、食事の支度から長い休暇の間の衣服の洗濯や、借りている小屋の清掃から何から自分たちの手でやっている。しかしそれが嫌だとは微塵も思わない。かえって自分たちの都合で好きなように出来る分、気が楽だった。
 ロックアックスの城では、日々多忙な騎士の職務に追われるために、身の回りの細々とした雑事は自然と他の者に任せざるを得ない。仕方のないこととはいえ、生来奢る質ではないマイクロトフやカミューにしてみればどこか心苦しさが残るのだった。
「カミュー! 今朝割っておいた薪が裏にある!」
 ふと思い出した事を叫んで教えると、遠くから「分かった」と返事があった。声の位置から察するに、既に外に出て新しい薪を取りに行っていたらしい。それから、マイクロトフはさばき終えた兎を下ごしらえの段階までに調理し終えると、手を拭って調理場を離れた。
 もう冬も間近だが、秋の日のつるべ落しとは良く言ったもので、ついさっきまで薄明るかったのに、室内はもう暗い。その奥まったところで暖炉でパチパチと明るい火が爆ぜて、カミューがその前にごろりと横たわっていた。
「カミュー?」
 呼び掛けるとその白い手が浮きあがり、つられるように青年の身体が反転した。
「マイクロトフ」
 火の明りを背後に、カミューの表情は良く見えないが、声に滲む慕わしさは聞き慣れたものと変わりなかった。少し普段の鋭敏さが解けて、穏やかで柔らかな口調になっている。心から寛いでいるらしいその証明だった。
 そんな青年のそばに膝を付くと、マイクロトフは昼の河辺での時と同じように、その髪に指を差し込んだ。さらりと乾いた感触が指の間をすり抜ける。
「どうした? また眠いのか」
「…いや、そう言うわけでもないんだが」
 そんな返事に添えられた含み笑いが耳に心地良い。
「火をつけて温もりが足許からじわじわと這ってくるのを感じたら、ついこう寝転がって……」
 そして伸びたカミューの指先が、パタンと床に落ちた。
「とても暖かいんだ」
「………」
「昼は暑いけど、夜は寒いから」
 な? とちらりと寄越された視線にマイクロトフも仕方ないと苦笑を漏らす。暑がりで寒がりのカミューは適温の空間を良く好んだ。それはずっと前からの事で、今更、だからと言ってそんな場所で唐突に寝転がるなと嗜めても始まらない。
「なら寝ていろ。飯は俺が用意する」
「…それは悪いなぁ」
 全く悪びれない調子で言うものだから、かえってそんな青年の態度に幸福さえ感じるマイクロトフだった。
「元々おまえがのんびりするために来たんだ―――」
 それに、俺はお供だし。
 声無く呟いて、結構昼に狩人から受けた言葉を気にしているらしい自分に眉をしかめて、マイクロトフは再び調理場に舞い戻ったのだった。

「―――美味しかった」
 結局暖炉の前まで料理を運んで、床に座りこんで食事をとった二人だった。
 なんだか日を追うごとにいい加減にだらけていっているような気がする、とマイクロトフは思う。どうにも影響力のある青年の嗜好に引きずられているようだ。城ではつけいる隙の全くない態度を貫き通しているくせに、いったん私的な空間に入ると作法も何も無い、粗野とさえいえるカミューの生活態度には何度と無く頭を抱えさせられてきたマイクロトフだ。
 かといってそれが不快なわけではない。
 実際こうして同じようにして過ごしていると、案外それも悪くないなどとさえ思う自分がいるのには少し驚きだ。しかし、それは多分この目の前で寛ぎきった青年が醸す柔らかな空気によるものなのだろう。殺伐としていない、いたって穏やかな気配は不快どころか快適過ぎて平和惚けしそうだ。
 今もゆったりとしながら食し終えて空になった食器を片し始めるカミューを見ていると、自然と自分の表情も柔らかくなってくるのをマイクロトフは自覚する。
「カミュー」
 情を込めて、何度呼んでも飽き足りない名を呼ぶと、応じるように琥珀の瞳が瞬く。
「ん……?」
「おまえが団長となっても―――いや、どんな立場になろうとも、またこうして過ごす機会があれば良いな」
 そんな言葉がつい口をついて出た。するとカミューの目が柔らかく細められ、唇が微笑みに綻んだ。
「そうだな。わたしも、そう思うよ」
 笑みに伏せられた顔に、例えようのない愛しさを感じて、気付けば身を乗り出していたマイクロトフだった。肩を掴んで引き寄せると、小さな子が人形を抱き締めるように深くその胸にカミューの身体を抱き込んだ。
「マイクロトフ?」
「…例え、こんな風に過ごす時間が限られたとしても、俺がおまえを想う気持ちに変わりは無いからな」
 すると腕の中でカミューがふと力を抜いて、体重を預けてきた。そしてその手がぽんぽんとマイクロトフの腕を撫でるように軽く叩く。
「分かっている―――それに、それはわたしにも言えることだよ」
 静かな声音が寄せて密着した胸に響いた。だが直ぐに抵抗がマイクロトフの腕を押し離そうとする。
「さぁ、片付けてしまおう。腕を解いてくれマイクロトフ」
 困ったようなカミューの顔が腕の中で見上げてきた。だがマイクロトフは無言でその頬に手を回すと、唇を落とした。寸前閉じられかけた琥珀の瞳に微笑みに混じって情欲の色が走ったが、触れ合った唇にそれ以上のことを求め始めたマイクロトフには気付かない程ささやかな変化だった。



 朝が来ると自然と定刻に目覚めるマイクロトフは、傍らで未だ深い眠りにとらわれているカミューを起こさぬよう、息を殺しながら昨夜放置したままだった夕食の後片付けをした。
 それからもう日課になってしまっている早朝訓練を一通りこなし、簡単な昼食を作ってからカミューを起こす。まだどこかぼんやりとした青年の、ゆっくりとした食事を暫らく眺めてから、これもまた休暇だからとせずにはすませられない日々の鍛錬を繰り返す。更には先日訓練中に勢いあまって壊した小屋の外周を取り囲む柵を修繕し、そしてそんな風に色々と雑事をこなしていくといつの間にか昼を過ぎていた。
 昼食と言うか既にお茶の時間だな、と思いカミューを探す。
 腹が減れば向こうから探しに来るだろうが、朝食の時から全く姿を見ないと言うことは、またどこかで寝てるかぼんやりしているか何かに没頭しているか。そしてあれこれと心当たりを思い浮かべながら、マイクロトフはもしや、と河の方へと足を向けたのだった。

 カミューは昨日と同じ場所に、同じように寝転がっていた。違うのはその手に書物が確りと握られているところだ。見れば他にも何冊か散らばっており、時折吹く微風にばたばたと煽られていた。
「カミュー」
 声をかけると、書物から目を逸らしたカミューと目が合った。
「やあマイクロトフ。訓練は終わったのか?」
「あぁ。それよりカミュー、風で本が飛びそうだぞ」
「ん? ああ本当だ。そういえば昨日に比べて今日は少し風が吹くな」
 起き上がったカミューは散らばっている書物を集めると、ふと首を傾げて動作を止めた。
「なんだ?」
 逡巡したらしいカミューの瞳が、くるりと周囲を見まわすと、不意にその上体が前屈みになり、マイクロトフが見ている前で河に向かって倒れ込んだ。
「カ、カミュー!」
 慌ててその肩に手を伸ばして引き止めると「え?」と何気ない声で振り返ったカミューの視線にぶつかった。
「何を……しようとしたんだ?」
「何をって、ただ本が飛ばないように、重しを取ろうと……」
 そしてカミューが指差したのは河底だった。流れるせせらぎの底には大小様々の石があるが、まさかそれを重しに使おうとでもしたのか ―――カミューなら有り得る。
「カミュー……その体勢では底に手が届く前に河の中に落ちるぞ」
「うん」
 濡れても全然構わなかったらしい、あっさりとした返答にマイクロトフはがっくりと項垂れた。
「俺が取る」
 岩の縁に膝を付き合わせて上体をかがめると、腕を伸ばして底にある丸い石を拾い上げた。ちょうど掌に収まる程度のそれを、服の裾で包んで水気を吸い取ると少しごしごしと汚れを綺麗に拭いてやる。
「ほら」
 声に導かれて差し出された白い手にそれを落としてやると、眼前でカミューがふわりと微笑んだ。
「ありがとう。マイクロトフ」
 両手で包んで僅かに撫で上げると、カミューはそれを積み重ねた書物の上にぽんと置いたのだった。





 そうしてその時書物の上に置かれたその石が、今こうしてカミューの部屋の数少ない私物の中にあるのだ。今はすっかり乾いて表面が幾分滑らかになっている。かつてそれが河の底に沈んでいたとは分からない石。
 何気ない事だったのだ、何気ないやり取りだったのだが―――。
 最初にカミューの部屋でこの石を見つけた時は、直ぐには何だか分からなかったが、カミューがペーパーウェイトとして使っているのを見た瞬間に思い出した。記憶に間違いはなかったが、以前に会話の途中でさり気なく確認したらあっさりと肯定の返事があった。
 ―――使い易いから使っているんだ。
 そんな返事があったと思う。
 しかし掌の上の石が、ペーパーウェイトに使い易い形とはとても思えない。適当に河の底から拾い上げたのだが、こんなことならもう少し座りの良いものを取れば良かったかと思わないでもないが、他の立派なペーパーウェイトを使わずに敢えてこの石を使っているその現実が嬉しくてならない。
 あの、騎士団離反の無茶苦茶な事態の時もこれを持ち出したのかと思うと、尚更だった。
 だからこうして折に触れて、この石の存在を確かめずにはおれないマイクロトフだった。それもカミューがいない時に…あまり自身の心情を吐露しない青年の想いを確かめるために。

 と、不意に耳に届いた足音にマイクロトフは顔を上げた。
「………」
 ことり、と石をもとの場所に置くと、扉を急いで開けた。
「うわっ」
 驚きの声はカミューのものだった。
「カミュー、早かったな」
「マイクロトフ……いたのか」
「ああ」
 頷いて扉を大きく開けて、青年を通すと扉を閉める。そしてその背に懐いた。
「おかえりカミュー」
「な……どうかしたのかマイクロトフ」
 背後から抱き付かれてカミューが怪訝な声をあげる。
「いや、別に」
 ただ愛しくて。
 首に回した右腕と、脇からさし込んだ左腕で青年の存在を確かめる。ぼんやりと、石よりもこっちのほうがやっぱり良いなどと思ってしまう辺り、結局はいてくれるだけで何も要らないのが本音なのかもしれない。
「……―――ただいま」
 腕の中で青年の吐息が漏れて、右腕がぽんぽんと叩かれる。
「寂しかったとか言うわけでもあるまい。楽な格好に着替えたいんだ、離れてくれないか」
 穏やかな苦笑まじりの言葉に、ふっと腕を緩めかけたマイクロトフだったが、直ぐにまたそれに力を込めた。
「マイクロトフ?」
「…いや、寂しかったぞカミュー」
 そして髪にくちづけると腕の中で青年が身じろぐ。
「何を言っているんだ」
 呆れたような口調で、だが決して逃れようとはしない。更には「まぁ良いか」などという呟きさえ漏れてマイクロトフを喜ばせたが、調子に乗ってぎゅっと強く抱き締めると「こら」と腕を叩かれた。
 それでもマイクロトフは青年を抱き締めた腕を緩めなかった。
 あれから著しく立場が変わった。
 マイクロトフもあれから青騎士団の団長となり、一時などあまりの多忙さゆえに二人揃って自由に過ごす時間など、全く無かった頃もあった。しかし、ハイランドとの戦況が悪化の一途を辿り、仔細あって今はこうして二人とも、騎士の名を捨て同盟軍の末席に加わっている。
 それでもマイクロトフのカミューに寄せる想いは、あの時「変わらない」と言ったが、いっそうの深さを増すと言う形で変化していた。それを思うと、こうして抱き締める腕を緩めることなど考えられなかった。
「カミュー、今度時間が空いたらどこかへ遠乗りに行かないか」
「……それは良いが」
 どうかしたのか? と腕の中で、カミューが振り返る。
「ただ、おまえと二人きりで過ごしてみたくなった」
 そう告げると、僅かにカミューの瞳が揺らいだが、直ぐに目の縁に朱が走って腕をまたもや叩かれる。
「…いつだってべたべたとしてくるくせに、何を今更」
「そう言うな」
 マイクロトフは苦笑を漏らして、右手をカミューの頬に添える。すると、カミューは困ったような笑みを浮かべてから、琥珀の目を伏せたのだった。


END



前に「お掃除レディは見た」というモノを書いたのですが
その時からネタはあったお話です(少しだけ関連があるのです)
しかし青氏の恋する男フィルターがちょっとひどいですね(笑)
その上ちゃっかりお掃除中の彼女達に見られていそうで……くす

2000/09/07