その時
命の重さに違いなど無い。だが相手によってその命を大切と思うか否か、そんな気持があるのは当然だろう。
マイクロトフにとって、何にも替えられぬ大切な命はカミューの命だ。
常に戦場に身を置き、危険を伴う立場にあるマイクロトフたちは、命に対して特殊な考え方を持つ。戦いの中で命のやり取りをするのだ。死にたくは無いが、絶対に死なないとは決して言わない。戦場での過信は危険だからだ。だが死ぬつもりなど、ない。その矛盾。
何故戦うのか? と問われれば、マイクロトフはこう答えるだろう。
―――大切なものを、曲げられない信念を守るために。そして望むものを得るために。
平和な世をカミューと過ごす為に、騎士として剣を手にとる。それがマイクロトフの戦う理由なのだ。そしてカミューもまた、おそらく同じ理由を抱いて、共にここ同盟軍にあるのだ。
戦場にあって、守りたいと願うのは、彼を弱い者と見ているからではない。彼を守るためなら、矢面に立ちたいと思うのは、決して自分を軽く見ているからではない。全ては衝動からだ。気が付けば思うより先に体が動いている。
いつだって深く考える前に、マイクロトフはカミューの為に動いているのだ。
きつい眼差しで見下ろされると、マイクロトフには何も言えない。言葉巧みなカミューはその琥珀色の瞳さえ多くを語る。今は怒りと悲しみが相俟って揺らめいている。
普段の彼らしからぬ乱暴な所作で毛布をかけられて、マイクロトフは顎を引いた。
「……済まない。カミュー」
条件反射のように口をついて出た謝罪の言葉に、カミューの動きがピタリと止まる。その視線だけがちらりと動いたが彼は何も言わなかった。そのままベッドから離れると、空の容器の載ったトレイを手に取る。
先程までハイ・ヨーが特別に作ってくれた怪我人用の食事を、カミューに手伝ってもらって食べていた。その間中、カミューは言葉少なに手を動かすだけだった。ただ、瞳だけがマイクロトフを責めるように揺らめいていて重苦しい沈黙を彼に課していた。だが。
「カミュー」
無言のまま部屋を出ていこうとする彼を、つい呼び止める。
振り返ったカミューの瞳は、やはり同じ色をしていた。
「カミュー、俺は……」
なんとかこの息苦しい空気を変えようと言葉を探すが、いかんせん口下手なマイクロトフには、うまい言葉が見つからない。それきり何も言えなくて口篭もっていると、カミューの気配が扉から離れて再びこちらに戻ってきた。
「カミュー」
そうして起き上がろうとしたマイクロトフの肩を、トレイをサイドボードに置いたカミューの手がやんわりと押し戻した。
「カミュー」
「マイクロトフ……わたしは怒っているわけじゃない」
微かに震えている声にその顔を見ると、カミューは苦々しい笑みを浮かべていた。そして、さっきまで座っていた椅子を引き寄せ、もう一度ベッドの横に座り込んだ。
「おまえがわたしを庇って怪我をした事を、怒っているわけじゃないんだよ」
そしてカミューは毛布の上から、マイクロトフの脇腹にそっと掌を置いた。今は真っ白な包帯で厳重に手当てされている場所だ。
昨日の戦闘でマイクロトフがカミューを庇って出来た傷がそこにある。紋章の力を借りて直ぐに治癒したとはいえ二、三日は絶対安静の大怪我だ。運良く急所を外れたが、一歩間違えば命が危うかった。さすがにマイクロトフもしくじったかと気を失いながら思った。
そして最後に視界に飛び込んできたカミューの青ざめた顔。
意識を取り戻してから、何度もその痛ましい表情が脳裏に浮かんだ。あんな顔をさせたのだ。カミューが怒っていても無理はなかった。
「だが、カミュー……」
「違うんだ」
カミューはそれだけ言うと、脇腹に手を置いたまま顔を伏せた。その肩がいつもより小さく見えて、マイクロトフは僅かに肩を浮かしてその腕に触れる。するとその腕が肩から僅かに震えているのだと分かった。
カミューは静かに泣いていた。
「カミュー?!」
マイクロトフはがばりと起き上がると、カミューの肩を掴んでその顔をこちらに向かせる。そして涙に濡れた琥珀の瞳を見た。だが直ぐに激痛にその身を捩った。
「くっ―――!」
「マイクロトフ! ばっ……馬鹿!」
カミューは濡れた目を見開いて、慌てて自分の肩を掴む手を離そうとした。だが苦痛に顔を歪めながらも、マイクロトフの手はびくともしない。逆にその肩から抱き込んで、すっかりカミューの頭を胸に収めた。
「カミュー済まない」
「放せ、傷に障るっ……!」
「済まない」
「マイクロトフ!!」
カミューは必死で離れようともがくが、怪我人相手なので無茶な抵抗に出ない。そんな恋人を、マイクロトフは痛みをこらえながら、掻き抱いて放さなかった。そして心の底から湧きあがるままに、何度も謝罪を繰り返す。
「済まない……」
何度も謝罪を繰り返すと抵抗が止み、代わりにマイクロトフの胸元から密やかな嗚咽が漏れ始めた。そしてカミューの震えた声が躊躇いがちに、その胸の内を打ち明け始めた。
「怖かったんだ」
「ああ」
「倒れるおまえを見て」
「済まない」
「わたしは……っ」
マイクロトフは恋人の柔らかな髪を撫でた。一言ごとに何度も撫でる。震えながら嗚咽を漏らすカミューのその表情は見えない。だが素肌の上に羽織っただけの、薄い衣服が濡れれていく。間違いなくカミューは泣いていた。
カミューは胸をついてせり上がる嗚咽を堪えきれなかった。
絶対に泣くまいと思っていたのに、男の胸にすっかり抱き込まれてしまうと、年や立場といった諸々が何処かへ吹き飛んでしまった。情けなくも弱音を吐くと、彼の大きな手が優しく頭を撫でて、その感触に更に泣きたくなった―――。
あれから、目の前に何度も同じ場面が蘇るのだ。マイクロトフがゆっくりと血を流して倒れて行く。必死で呼びかけるのに、恋人は返事をせずにその黒瞳を目の前で閉じてしまうのだ。全身の血が引けた。声にならない叫びを上げた。地面が足元から崩れていく、まさにそんな状態だった。
怖くて怖くて、寄る辺を無くした小さな子供のように、カミューは不安で今にも泣き出しそうだった。
マイクロトフが意識を取り戻して、もう心配は要らないのだと分かった後も、彼の顔を見るたびに泣き出したい衝動に駆られた。今度は、無事で良かったと思う心も手伝って。
口を開けば泣き言をこぼしそうで、何も言えなくなった。その為に辛そうな顔をする恋人の顔を平気な顔で見ることが難しくてずっと堪えていた。それが怒っているように見えていたのかもしれない。マイクロトフは何度もカミューに謝った。
謝って欲しくなど無い。
もしマイクロトフが庇ってくれなければ、カミューは必殺の一撃を食らっていただろう。逆の立場ならカミューも敵の前に飛び出した。助けてくれた事を感謝しこそすれ、責めるなど有り得ない。
カミューはただ、不安で怖くて泣き出しそうだっただけなのだ。
暫らくマイクロトフの胸に抱かれて、カミューは落ちついたのか泣くのを止めた。だがマイクロトフの手は続けて何度も繰り返しその髪を撫でている。
不意にカミューが身じろいで、それまで胸に押し当てていた顔を持ち上げた。まだ濡れたままの瞳が、ひたとマイクロトフの目に据えられる。
「助けてくれた事は……感謝している」
「ああ」
「だがもう、あんな不安な思いをさせないでくれ」
「ああ」
ただ頷くマイクロトフに、カミューは苦笑を浮かべる。
「本当に、もう二度とあんな思いはご免だ」
「分かった、誓う」
そしてマイクロトフは大きく息を吸い込んだ。その瞬間思い出したように復活した痛みに、思わず呻き声を漏らした。カミューも我に帰ってマイクロトフの身体を引き剥がした。
「馬鹿」
苦笑を漏らしてマイクロトフの身体をベッドに横たえさせる。その顔にはもうあの不安げな揺らめきは無い。薄らと綻んだ口許と僅かに寄せられた眉根は、いつもカミューがマイクロトフに向ける、微妙な心情を表すものだ。困った奴だと言いたげなその表情に、マイクロトフも弱ったような笑みを浮かべた。
「なあ、カミュー」
「なんだ?」
「誓う代わりに、お前も俺に誓ってくれないか」
「何をだ?」
横たわる彼に顔を近づけたカミューの、その後ろ首を捕まえて、マイクロトフは素早くその唇を掠め取った。そしてまだ濡れたままの瞳のふちを指で拭う。
「そんな泣き顔は、俺以外の奴に見せないでくれ。思わず抱きしめて慰めてやりたくなる」
瞬間動きの止まったカミューだったが、その一瞬後にはふわりと笑みを綻ばせた。
「この馬鹿」
笑い声を漏らしてカミューはマイクロトフの手に手を添える。
マイクロトフも笑みを漏らしてその手を握り返すと、ゆっくりと降りてきた恋人の唇にゆっくりと目を閉じた。
END
またもやキスどまり
根性を出せ私ぃ!(笑)
しかしやっぱりマイクロトフはカミューとしか言ってませんね
他は謝ってばっかりだしね
ウチのマイクロトフはどうやっても口下手みたいです
2000/02/22