ティータイム


 微かな磁器の触れる音に、活字を追っていた視線をテーブルの上にやると、ティーカップがマイクロトフの目前に置かれたところだった。
「カミュー」
 名を呼ぶと響いて返るように、青年騎士の微笑みが深さを増す。
「熱いから、少し冷まして飲むといい」
「ああ、ありがとう」
「うん」
 そしてカミューは、テーブルを挟んだ向かいの椅子を引くと静かに座った。
 白い指先がカップに触れて持ちあがる。まだ湯気が立ち上る熱い紅茶に、躊躇無くカミューは口をつけた。ごくりと嚥下した後の唇が、ほんの少し満足げに綻ぶのはいつもの事だ。
「いつも美味そうに飲むな」
 マイクロトフの呟きに、ふと顔を上げたカミューはにっこりと笑う。
「今日はな、少し違う」
 そしてカミューは瞳に機嫌の良さを浮かべて黙り込んだ。
「何が違うんだ」
 応えの代わりに、密やかな笑みだけが零れた。
 思わせぶりな恋人の態度に、マイクロトフは「むむ」と唸る。
「カミュー」
 憮然とした声で呼ぶと、カミューは微笑を浮かべてカップを指差した。飲んでみろ、と言うかのようなその仕草に、マイクロトフはカップに指をかけた。
 だが予想していなかったその熱さに指先が跳ねた。
「あ………」
 カタン、と小さな音を立ててカップが倒れ、テーブルの上に紅い色がじわじわと広がる。呆然とするマイクロトフとは別に、素早く立ち上がったカミューが、倒れたカップを起こして、零れた紅茶をハンカチで吸い取った。
「全くおまえはそそっかしい奴だな」
 咎めながらもどこか楽しげなカミューに対し、マイクロトフは眉間に皺を寄せて、自らも取り出したハンカチで濡れたテーブルを拭った。
「無理を言ってトニー殿から分けていただいた葉なのに、勿体無いことをしたぞ」
「トニー殿?」
「知らないか? 彼は元々マチルダの騎士団領内に住んでいたそうだ」
 そしてカミューは紅茶色に染まったハンカチをマイクロトフのもの共々手に、倒れて中身が零れたカップも持って立ちあがる。
「もう一度淹れ直してやろう」
 水場に向かって背を向けるカミューの肩ごしに湯気が上り、鐘を鳴らすような澄んだ音が響く。そしてもう一度、マイクロトフの前に淹れ立ての紅茶が置かれた。
 途端に漂う、先ほどは意識していなかったせいか感じなかった紅茶の香りを嗅ぎ取って、マイクロトフは僅かに目を見開いた。
「どうかしたか?」
 自分の分も新しく淹れた紅茶を、カミューは今度も熱いのに口をつけつつ、上目遣いで訊ねる。
「いや……マチルダと聞いたからか、何やら見習い騎士の頃を思い出したぞ」
 するとカミューはさも嬉しそうに微笑んだ。そして、また紅茶を飲む。そしてマイクロトフのカップを見て「まだ熱いな」と呟いた。
 マイクロトフは猫舌である。どれほど美味しそうに目の前で飲まれても、直ぐには飲むことが出来ない。冷めるのをひたすら待って目の前のカップを睨み付けた。だがそれを不意に白い手が取り上げる。
 目で追うと、いつの間にかカミューはマイクロトフの脇に立っていた。
「カミュー?」
「香りや味は、記憶と強く結びつくものと知っていたか?」
 カミューはそして、マイクロトフのカップに口をつけた。その空いた方の手が青い騎士服の奥襟に回る。
「ん……」
 カミューの口腔でぬるく冷めた紅茶がマイクロトフの喉に流れこむ。唇が離れて、ごくりと男の喉が音を立てた。
「どうだ?」
 カミューはカップを置いて悪戯そうな笑みを浮かべた。だがマイクロトフは何やら思考に耽っている。
「……これは」
「懐かしい味だろう?」
「ああ」
 頷くマイクロトフに、カミューは嬉しげな笑みを浮かべて、傍らから小さな紙袋を取り出した。そして中の紅茶葉をひと摘み掌に乗せる。
「この紅茶はマチルダ騎士団の食堂で出されていたものと同じ葉でね」
 偶然、トニー殿が持っていると知ったんだよ。そう言ってカミューは掌の紅茶葉を指先で撫でた。
「騎士見習い時代は、これを食堂で良く飲んだ」
 そして懐かしげな目をする。
「俺も良く飲んだ」
 だが、とマイクロトフも懐かしさに記憶を巡らす。
「騎士になってからは、カミューがいろいろ淹れてくれていたから、すっかりと忘れていた」
「ああ、わたしもこれを飲むのは久しぶりだよ」
 そして自分のカップを引き寄せて飲む。だがその腕にそっと男の手が触れた。
「カミュー」
「ん?」
「もっと飲ませてくれないか?」
 もう湯気も立っていない紅茶を指差し、男は傍らに立つカミューを見上げた。その視線を受けて、再び白い指先がマイクロトフのカップに伸びる。

「ああ……いいとも」


END



自分は毎日馬鹿みたいにほうじ茶を飲みます
時々それを机の上でこぼしてしまって
ノートパソコンを持ち上げて叫びます「ぎゃー」

2000/03/22