罪無き待ち人
穏やかな日差しが降り注がれるレストランのテラス。常ならばそこには城内のあらゆる女性を魅了する麗しの元マチルダ赤騎士団長が、一人ティータイムを過ごす場所である。
その時間帯だけ客層が替わり客足も増える事を、ウェイトレスの少女は密かにほくそえんでいる。だがこの日ばかりはそこにもう一人、質実剛健の実直の塊のような彼の親友であり仲間である、元青騎士団長までもがいた。しかしそれによって客足が遠ざかる事はなく、それどころか更に新たな客が呼びこまれるのもまた事実である。
流石はあの妙で恥ずかしいと呼び名の高い協力攻撃をする二人だなと、ウェイトレスが思ったか思わなかったか。
確かに、どちらも単品でいても人目を引く個性的な魅力ある青年だ。
しかしどちらもまるで水と油のように心身ともに広く差異のある二人なのに、何故か気が合うらしく、また揃って並び立った時えもいわれぬ更なる魅力が生まれるのだから不思議だ。
まぁ、なんにしろ客が増えるのは喜ばしいことで、ウェイトレスは早速新たなティーポットを持って件の二人が過ごしているテーブルへと歩み寄って行った。
「ご注文の新しいお茶です〜」
するとすかさず、これはもう条件反射のようなものなのだろう。カミューがふわりと振り返って実に優しく色っぽい笑顔を向けてきた。
「ありがとうございます」
そして立ち上がり、ウェイトレスの手から熱いティーポットを受け取る。その傍らではマイクロトフが普段と同じ無表情で有るか無しかの僅かな会釈を寄越してくる。
「それではごゆっくりどうぞ〜」
にぃっこり微笑んでウェイトレスはテーブルを離れる。そしてそのまま直ぐ横のテーブルが空いたので片付けに入った。実の所、テラス中から視線の集中するこのテーブルを、少し塞ぐ位置にあるこの隣のテーブルに長居出来る豪胆な者はいない。だから赤騎士団長のいる時には常に空席なのだ。
そんなテーブルのクローゼットに散った水滴やパンの屑を布巾で拭いながら、しかしその際にウェイトレスがつい耳をそばだててしまうのはまあ致し方の無いことだろう。
「さっき」
最初に聞こえてきたのは元赤騎士団長の涼やかな声だった。
「彼女に声をかけなくても良かったのかい?」
「…ん?」
「おまえを可愛い声で呼んでいたじゃないか。別にわたしに付き合わずに残って部屋に呼べば良かったんだよ」
そんなカミューの言葉に、ティーポットからカップに熱いお茶が注がれる音が重なる。穏やかな午後のひと時、しかしウェイトレスはぞくっと背筋に走った悪寒に身を竦めた。
物見高い連中の占める割合が殊更多いこの同盟軍。いつも何かと周囲を憚らぬ言動をしてくれるこの騎士二人の会話に聞き耳を立てているのはウェイトレスだけに限らなかった。それこそ老若男女誰問わず今の元赤騎士団長の言葉を聞いていたらしい。
ウェイトレスがテーブルを拭きながらそろりと辺りを見回すと、何故か殺気立つ赤騎士や内気そうな少女が深刻な顔をしているのを見つけた。そう言えばあれでいて元青騎士団長も密かに多くの女性から思われている立場なのだ。――――赤騎士が殺気立つ理由はいまいちわからなかったが。
「別に俺は……いつも好んであいつを部屋に連れ込んでいるわけではないぞ」
「あれ、そうかい? 最近頻繁におまえのベッドに潜り込んでいるのを見るが、気のせいなのかな」
ベッド…!?
これには流石のウェイトレスも手を止めて驚いた。
女性に関しては親友のカミューと正反対に奥手で初心と噂されるマイクロトフのベッドに女性が。しかもどうやら頻繁に連れ込んでいるらしい。
ウェイトレスはどきどきしながらテーブルを拭く手をゆっくりとしたものに変えた。いったいどこの誰がこの元青騎士団長の恋人の座に収まったのか、確かめずにはここを離れられない。
「最近良く来るのは寒い晩に限った事だろう。何度も言うが俺は一度も呼んだ覚えはないんだ。あいつが勝手に来るんだ」
「はいはい。彼女にとっておまえの肌はさぞかし温くて寝心地が良いんだろうね」
「し、信じていないなカミュー…」
「信じるも何も、わたしはおまえの言葉を疑った事など一度も無いよマイクロトフ。でもね……いい加減にしてくれないとわたしも困るんだ」
何だか不穏な気配である。
良く話は見えないがウェイトレスは固唾を飲んで彼らの会話を一言も聞き逃すまいとする。そして、周囲にもしんとした空気が下りた。
「見ろ、嫉妬した彼女に引っ掻かれたんだ。痛くてならない」
「何!?」
ゆっくりと袖を捲くったカミューの腕を、マイクロトフは顔色を変えて掴むと引き寄せた。
「これは酷いな。おまえあいつに何かした――――わけではないな。うん」
消え入りそうなマイクロトフの語尾にウェイトレスがちらりと窺うと、カミューの冷たい眼差しを目撃してしまった。
怖いわ……。
気付けばどこからか生唾を飲みこむ音がする。
「それに彼女の武器ときたら鋭いからね。真っ直ぐ切り裂かれて流血沙汰だぞ」
「う………」
刃傷!? 刃傷沙汰なの!?
今やテラスでは彼ら以外に言葉を交わす者などいなかった。誰もが、息を潜めて事の成り行きを見守っている。
「だいたい、毎晩彼女が忍んで来るのはおまえが扉を開けて寝ているからだろう? 確り鍵を閉めておけば流石の彼女も入り込んで来れないだろうに」
「しかし夜中に扉の向こうから切ない声が聞こえてくると、俺はどうしてもな……」
そう言って頭を抱えるマイクロトフに、カミューは軽く吐息をついた。
「そこがおまえの好かれる所なんだろうけどね」
肩を竦めてカミューは一転、纏っていた不穏な気配を柔らかなものへと変えた。
「だがわたしがいる時ぐらいはこちらを優先してくれないか。寝ている間に引っ掻かれるなどと二度とごめんだから」
「分かった。すまないカミュー」
あっさりと承諾したマイクロトフの返答に、彼女より親友を取ると言うのかしらっ、とウェイトレスは目をむく。
しかし、その時にちらりと視界の端に映った赤騎士たちが、そろってテーブルに突っ伏しているのを見つける。あら、いったいどうしたのかしらと思いつつ首を傾げると、それとは別に何やらしきりに頷いている女性たちの姿があった。あれは確か城内の清掃をしている女性たちでは無かっただろうか、と記憶のそこを探っていると不意に赤騎士団長の盛大な溜息が聞こえてきた。
慌てて視線を元に戻すと、ティーカップを片手に己の前髪をくるくると指先で弄っている姿が見えた。
「レディもねぇ、機嫌の良い時はわたしと遊んでくれるんだけどな」
「そう言えば、嬉々として相手をしているな」
青騎士団長が椅子の背凭れにその広い背を預けて、穏やかに笑む。それにカミューがちらりと上目遣いの視線を寄越した。
「可愛いのだから仕方ない。何せレディはおまえに夢中でわたしには見向きもしてくれないんだからね。たまに相手を仰せつかった時くらいは楽しませてもらうさ」
どういうこと。
ウェイトレスの手は今やすっかり止まってしまっていた。
これはもしかして青騎士団長の恋人に、赤騎士団長が横恋慕していると言う事なのかしら!?
しかしそれにしてはマイクロトフの反応が解せない。恋人が親友と戯れているのをこれほどに穏やかに見守るとは―――。
「あぁ、そろそろ戻ろうか? もしかしたらレディ・アプリコットがまだ扉の向こうでお待ちかねかも知れないよ」
「どうかな。彼女はあれでいて他にも幾つか寝床を持っているようだぞ」
戻り支度を始めた両元騎士団長の言葉に、始めて耳にする女性の名前が入っていた。だが、その奔放さはどうだろう。いったいどんな女性なのだろう。
ところが。
「あ、そうだ」
ふとカミューが立ち止まってマイクロトフにちらりと微笑みかけて、厨房を指差した。
「またハイ・ヨー殿にアラなんか余っていないか聞いていこう」
「そうだな」
え、とウェイトレスがぽかんとする中、二人はさっさとテラスから屋内へと入っていく。つられるままにピカピカになったテーブルを残して、盆を片手にその後を追った。
するとちょうどハイ・ヨーが二人に気付いて顔を出したところだった。
「二人とも久しぶりネー、相変わらず元気そうだヨー」
「ハイ・ヨー殿も。今宵のメニューの下ごしらえは順調ですか」
「バッチリヨー」
「つかぬことを聞くが、魚料理はあるだろうか」
「あれ、マイクロトフさん珍しいネー? 今夜は肉料理じゃなくて魚料理がいいのかヨー」
「いや、猫に」
そう猫に。
猫に?
猫だよ。
あぁ、猫ね。
「ハイ・ヨー殿もご存知でしょう。マイクロトフの可愛がっているレディ・アプリコットですよ。彼女に手土産のひとつもと思いまして」
「あぁあの猫ネー」
途端に了解したらしいハイ・ヨーが待っていろとそそくさと奥へと引っ込んで、直ぐに出てきたときには片手に皿を一枚持っていた。皿の上には焼き魚の身をほぐした後の骨がある。
「これ、持ってくと良いネー」
「いつもすまない」
「有難うございます」
しっかりと礼を述べてマイクロトフが皿を受け取る傍ら、カミューはにっこりと微笑を浮かべて同じく礼を述べる。
「じゃ、戻ろうか」
「ああ」
そして遠ざかる影。
残されたウェイトレスがやけにやさぐれた気分のまま、そっと奥へと潜り込んで持っていた布巾を壁に投げつけたのは誰も知らない事である。
END
一連のシリーズをご存知の方にはオチも無く(笑)
2003/04/02