災いのもと


 ウェイトレスを口説くのが日課となりつつあるシーナは、まだ同盟軍の本拠地に来て日が浅い。
 そんな折り、やけにスッキリした顔つきの青年がレストランに現れた。
 長身と抜けるような青い色の騎士服。その威厳溢れる立ち居振舞い。
 何度か城内で見かけたマチルダ騎士団青騎士団長の、確かあれはマイクロトフと言う名の方だったなと、それでは話に聞いた訓練とやらを終えた頃なのだろうか?
 不意にもたげたのはいつもの気まぐれだった。



「俺とカミューはまるで正反対の人間なのです」
 青い騎士服の男は手許のカップの縁を人差し指の腹で撫でながらそう語り始める。
 昼にはまだ早い時刻に人影まばらなレストランで向き合うマイクロトフとシーナ。
 オープンテラス風の一画で、なんとなく始まった会話は、シーナから切り出されたカミューと彼との付き合い方についてだ。
「確かに、そりゃあそうだよね」
 同盟軍に参加して、数日で百八星の噂はあらかた聞いていた。中でも、以前から知っていた青雷のフリックとの協力攻撃をするらしい騎士二人の噂は殊更多かった。
 片や直情的で色恋が苦手。片や女性の扱いに長けた青年。
 冷えたお茶の入ったグラスを両手で包むように持つシーナは、うん、と軽く頷いた。
「あんたたちって見た目もまるっきり逆だしね」
 グラスの横でぴんと立てた人差し指が、マイクロトフの髪から目、鼻、顎、首、そして肩から腕へと空でなぞる。
「あっちは優男っぽいしさ、あんたは堅物―――悪い意味じゃないぜ?」
 片眉だけを軽く持ち上げてシーナはニヤリと笑った。
「うん。それがさ、なんだってそんなに仲良いわけ?」
 するとマイクロトフは口許だけを緩く綻ばせた。
「居心地の良さ……ですか」
 伏せられていたマイクロトフの瞳が開いて、シーナを見た。
「話せば互いの嗜好や、主義主張の違いが当然ありますが、何故かそこに……傍らにいる分には彼ほど居心地の良い相手は居ないのです」
 そうして語るマイクロトフの眼差しは、普段の固さがほんの少し薄れている。それを本人は自覚しているのかは不明だが、少なくともシーナはやや驚いてそれを見ていた。

 ―――こんな顔も出来るんなら、こっちだってもっと女の子にもてそうなんだけどなぁ。

 密かな思いは彼の内だけの感想だ。口は全く別のことを吐き出す。
「それが親友ってこと? こうしてさぁ、騎士団だっけ? 一緒に出てきちゃうぐらいのもん?」
 マイクロトフは僅かに目を見開いて、次に苦笑した。
「一緒に、というか暴走した俺にカミューが付いて来てくれたのです」
 恐らくはその時を思い出しているのだろう。手許のカップを見る目はどこか遠くを見ていた。
 そしてマイクロトフの固さが更に失われていく。

 ―――あ……笑うんだな、こーゆう人でも。へぇー……。

 妙な感心が胸に広がる。
 彼とて人間。笑わないわけは無いだろうが、いつも傍に笑顔大安売りのようなカミューがいるせいか、マイクロトフの笑顔など有り得ない様に考えていた。
「ふーん。なんかあんたが突っ走ってそれをあっちがフォローして回ってる感じだよな」
「そう、なんです。俺はいつもカミューに迷惑をかけてしまうのです」
 途端に青騎士の瞳に陰りが宿る。

 ―――この人って結構表情豊かじゃん……。

 いつも怒っているような顔をしている元青騎士団長は、その巨体と醸し出す威厳の為に近寄りがたい存在だった。話しかけたのはシーナの常の気まぐれからだったが、これはもしかして楽しいかもしれない。
「カミューは俺などと違ってこう、人の心の機微、と言うものを良く心得ている上で、冷静に場を見極める事が出来るので……カミューはとても優秀な騎士なのです」
 優秀な騎士、としての定義は良く分からないが、切れ者らしいことは良く分かる。
「そりゃあの若さで団長だろ? すごいんじゃない? あ、でもそう言うあんただって同じ地位にいたんじゃん。青騎士団長だったんだろ?」
「それは、彼の横に並び立つ為の努力をしたからです」
 即答して男はグッと拳を握り締めた。

 ―――努力、ね。

 努力をしたからと言って誰もが就けるわけではない団長職に、やはりこの若さで就任してしまうマイクロトフもすごいとは思うのだが。両親に恵まれたおかげで努力などとは縁遠いシーナは微かに肩をすくめた。
「でもあんたら強いよな。さすが騎士団長っての? やっぱあれだろ、周りより強くないと騎士団長にはなれないんだよな」
「ええ、カミューは強い」
 マイクロトフは深く頷くと、また遠い目をする。

 ―――いや、俺は二人とも強いって言ったんだけど……。

 だが回想に入ってしまった男は何故だか頬を赤らめる。
「あいつの、優雅でありながら峻烈な剣技は見事なものです」
 ふうん、とシーナは緩く頷く。
 そしてふと思い付いた疑問を率直に訊ねる。
「聞いて良い? あのさぁ、あんたたちどっちが強いわけ?」
 と、何故かマイクロトフは石の様に固まった。
 不審に思ったシーナが「どーかした?」と声をかける。
 すると男は「いや……」とやや頬を赤らめて首を振った。
「剣は、力は俺の方が強いですが、技はカミューの方が上です」
 わざわざ「剣は」と断ったところが気になるシーナ。反射的に聞き返していた。
「それ以外は?」
「は?」
 青年騎士はびくっとして聞き返す。
「だからさぁ。剣以外ならどっちが強いわけ? 例えばあんたらだって喧嘩するだろ? そー言う時どっちが勝つ?」
「ああ、それならいつもカミューが……俺は、その……いつも謝ってばかりですから」

 ―――いつも? そんなにしょっちゅう喧嘩してんのか?

「へぇー。そうなんだ」
 小刻みに頷くシーナに、マイクロトフも深く頷き返す。
「カミューが怒ると、俺は何も言えません」

 ―――怒る!? あの笑顔でどうやって怒るんだ?

 ピタリと頷く動作を止めて、シーナは軽く顎を突き出した。
 どんどんと騎士二人の印象が人間臭くなっていく。これは面白い。
「あの人、怒ると怖いわけ?」
 それでも怒った顔など想像もつかない。

 ―――っつーか笑顔で怒られるとそりゃ怖いだろうけど。

 マイクロトフはいいえと首を振る。
 その黒瞳が今やもうシーナを見ていないのは明白だ。
 何処か気もそぞろに思えるのはシーナの気のせいではないようだ。
 どちらが強いかと聞いた辺りから、マイクロトフの視線がどうも遠い。
 そして、やはり空間の一点を見つめながら青年はぼんやりと呟いた。
「あの……泣きそうな顔で責められると……何も…」

 ―――泣きそうな顔!!??

「え!?」
 つい、口と表情に出る。
 するとマイクロトフは慌てて手と首を振った。
「違います。いつも泣いて怒るわけでは……」

「泣く!!??」

 ―――あ、言っちゃった。ま、いーか。

「泣くって、え? 怒るのに泣いてんの?」
 身を乗り出して好奇心を隠さないシーナに、マイクロトフは逆に身を引く。
「あ……! いや、その……」
 マイクロトフは酷く慌てて両手を突き出して首を左右に振る。
 だがシーナは肘をついてうんうん、と頷いた。

 ―――野郎が泣くのもなんだけど。あの顔ならなぁ……。

「でもあの綺麗な顔なら泣いてもさ……」
 シーナの言葉にまたマイクロトフは動きを止めた。その目がまた何かそこに無いものを見ている。
「ああ、カミューは……」
 が、直ぐにハッとして背を正す。
「し、シーナ殿何を!」
「あはは。悪い悪い」
 パタパタと手を振って空気を変える。
 そのままシーナはふらりと周囲を見回した。
「そーいや、当のカミューさんは今日はどうしたの?」
「あ、まだ寝ていると思います」
 何処までも素直に答える男がなんだか気の毒に思える。
 それでも問いかけを止めないのは、マイクロトフの反応が突拍子無くて面白いからだ。
「まだ寝てんの? あんた起こしてやんないの?」
 確か部屋は同室だったはずだ。
 しかしマイクロトフは過剰に首を振る。
「そんな……恨まれます!」
「へ?」

 ―――恨まれる? なんで?

 思いきり首を傾げたシーナに、男はハッとしてまた首を振る。
「いや、今朝……いや昨日は寝るのが遅く―――う……それで、カミューは今日は休暇なので、昼までだろうが一日中だろうが……」
「あ、ゆっくり寝てて良いんだ」
「はい……」
 マイクロトフは答えて、肩を下げ大きく息を吐き出す。

 ―――わけ、分かんないな……。


 沈黙が降りた。

 そんな中シーナが次に聞く事を考える。
 だが何かを言う前に、がたっと音を立ててマイクロトフが立ち上がった。
「用事を思い出しました」
「あれ」
 残念な気持ちを押し隠せないシーナだったが、妙に焦っている様子のマイクロトフを引き止めるのも本意ではない。
 それに、気侭なシーナと違って、彼は兵への実技指導など同盟軍内での職務が多いと聞いている。
「大変だね、あんたも」
「いえ」
 マイクロトフはそそくさと立ち去ろうとテーブルから離れる。
「し、失礼する……っ」
「うん。引き止めて悪かったよ」
 なんだか妙な疲れを覚えつつ、シーナは青い騎士服が扉の向こうに消えるのを見ていた。
 そして手許のグラスの中身が、すっかりとぬるくなっているのに気付いて片眉を持ち上げる。
「はぁ……」
 レストランはそろそろ混み合う時間帯に突入し始めていた。
「おねえさーん。オーダー良いかな?」
 気を取りなおしてウェイトレスに声をかけた。





 そうして、ウェイトレスを口説きつつ、ゆっくりとした昼食を摂り終えた頃、単身、やや青い顔でレストランに現れた元赤騎士団長に、シーナは何となくこう声をかけた。
「あんた泣いて怒るんだって?」
 別に何か含みがあって言ったわけではない。
 考えるより先に軽口が出るのがシーナの欠点とも言える。
 だがその親しみ易さからか、これまで大した災いもなかった。
 これまでは。

 ―――怖い。

 笑顔の奥にある怒り。それを初めて目の当たりにしてシーナはマイクロトフの気持ちが少し分かった気がした。
 百聞は一見に如かず。
 マイクロトフにあれこれ聞くよりも、実際に見た方がより深くその人柄が把握できる。シーナは今、カミューの一面を垣間見ていた。
「シーナ殿。誰がそんな事を言ったのですか?」
 優しい声。
 だがその瞳は凍える氷塊のようだ。

 ―――ごめん。マイクロトフさん。

 答える前にとりあえず心の中で謝るシーナだった。


END



口は災いのもと……墓穴を掘ったマイクロトフ
シーナのはいわゆる薮蛇ですね
まあ前夜何があったのかは文中から察してください

でも惚気青を狙って書いたはずがちょっと失敗(笑)
最近書き初めの狙いが尽くズレていく……

2000/03/28