酔 い の 上 の 戯 言
元赤騎士団長のカミューと言う男は、酒に滅法強いと風評のある上戸だった。その舌は酒に痺れるなどと言うこともないらしく、利き酒を試させれば百発百中。無類の酒好きでもある彼はまた生涯かつて一度も酔ったことがないと言う噂だった。
ところが、この夜。同盟軍のレオナの酒場において酔わぬと噂の元赤騎士団長が、赤い顔をして酔っ払っていた。その珍しい姿に一緒に飲んでいた傭兵二人組も、とうに店仕舞いの時刻を過ぎているのにずるずると居座っていたのだが、本当のところ彼らがそこを動けないのにはまた別の理由もあった。
卓上には勿体無いことに手付かずの皿が幾つかあった。頼んだのは実はカミューである。酔いに任せて無責任にあれもこれも頼むなど普段の彼らしくないこと甚だしかったが、しかし並べられたそれらの皿の内容は更にとんでもなかった。
プリンにババロワにパイケーキに、メイプルクッキーにチョコがけのフルーツに、とどめとばかりに極甘の蜂蜜とシロップソースがかかったパンケーキ……。酒の入った傭兵たちはそれらを目の前にして胃の底から込み上げる何かを絶えず堪えていた。
酒と言えば塩辛いものが肴としては絶好である。しかも食欲をすっかり満たしてからの酒には腹にたまるものではない、あっさりとした干物やチーズなどが良かろう。それでなくても、普段からこの青年はこれほどに甘いものを好んだろうかと首を傾げる傭兵たちである。実際カミューはそれほど甘党と言うわけでもない。嫌いなわけではないが夢中になるほど好きでもなかった。だが彼は今、辛口の酒をやりながらそんな甘い皿を端から順に黙々と片付けて言っているのである。
いっそ恐ろしいまでのその行為を固唾を呑んで見守るしかない傭兵たちだった。下手に動いて黙々と食べ続けるカミューの何かを刺激しても怖いし、かといって止められも出来ず、また放っておいても何だか後が大変な事になりそうで、知らぬ存ぜぬと立ち去るわけにもいかなかったのだ。
何せ酔ったカミューをこれまでに見た事が無かったから、対応にも困るのだ。無理やりに酒を取り上げて部屋へ連れ戻した方が良いだろうか。
「な、なぁ、カミューよ」
「なんですか?」
恐る恐るのビクトールの問いかけに答える、その言葉によどみが無いのもまたそら恐ろしい。だが確実にカミューは酔っ払っているのだ。赤い顔と、意味もなくさ迷う指先がそれを如実に物語っている。
「んなやたらと甘いもん食って、胃の方は無事か?」
「美味しいですよ? ビクトール殿らもどうですか」
「いんや、遠慮しとく」
口をへの字に曲げてビクトールは肩を竦めた。その隣でフリックが苦味を覚えたように顔をしかめた。
「いつから嗜好が変わったんだよ」
きつい火酒が好みの上、つまみにも胡椒を混ぜたソーセージやスモークチーズが大好きの筈だ。甘味と言えば舌触りの良いハイ・ヨーのプリンを好んで良く注文しているのは知っているがアレは大人にも受けが良いように甘さを抑えているものだから、やはり嗜好は辛口なのだと思われる。はずなのだが。
「何か仰いましたかフリック殿」
事も無げにまた砂糖の塊のようなデザートを口に放り込んで首を傾げるカミューに、フリックは「うっ」と顔を逸らして息をつく。
「いや……まったくその食いっぷり、まるで妊娠でもしてるみたいだなと思ってな」
そんな風に大量の甘味を前に辟易しつつフリックが投げ遣りに答えるとひょんとカミューが顔を上げた。
「妊娠?」
「女ってのはあれなんだろ? 子供を宿すと食べ物の趣味が変わるんだろう?」
「フリック殿、わたしは男ですよ」
「分かってるさ」
あぁあぁと手を振りながらフリックはまた顔を逸らして、救いを求めるように手の中のグラスを傾けて酒を喉に流し込む。ところがそれを追うように届いた声に含みかけた酒を噴き出した。
「だいいち、妊娠するならとっくの昔に一人や二人………」
何気なく話題に上らせた筈の事に、とんでもない返事をかえされてフリックはげほげほと咳き込み、その横ではビクトールが呆然と天を仰いでいた。常の赤騎士団長ならば絶対にこんなネジの弛んだような答えは返さない筈である。
だがカミューの言葉は最後まで言われること無く、語尾は広い掌に吸い込まれた。
「うー、うーうううー(やぁ、マイクロトフ)」
口を押さえられて慌てるでもなく、カミューは酒の入ったグラスを僅か掲げて、己の口を背後から塞ぐ男に挨拶を投げる。すると掌は直ぐに外されカミューが振り向けば、沈痛な表情の顔を片手で覆うマイクロトフがいた。
「カミュー……」
マイクロトフは卓上に並んだ甘味に眉を寄せて、咎めるように名を呼んだ。しかしカミューは一向に気にせず機嫌良い調子で並んだ品々を指差す。
「ちょうど良いところに来たね、お前も少し食べないか? お二人とも付き合ってくれないものだから」
ところがマイクロトフはそれには答えず、ひと声唸ると重々しい溜息を落とした。
「……酔っているな、カミュー?」
「んーん? どうかなぁ」
今もパンケーキをフォークで口にくわえて首を捻るカミューに、マイクロトフははぁっと再び盛大な溜息を零す。そしてそんなカミューに示唆された傭兵二人を見やった。
「お二方とも、さぞご迷惑だったろうと思います。カミューに代わり謝ります」
失礼致したと頭を下げるのに、漸う咳を抑えたフリックは、いやいやと両手を振った。
「俺らはただ吃驚して見てただけだって、なあ」
「あぁ、珍しいもん見せて貰ったしよ。てか、こいつはいったいどうしたわけだ?」
フリックに頷いてビクトールがそう問いかけてくるのに、マイクロトフは一度カミューを見てそれから複雑な表情を浮かべた。
「疲れで体調を崩しているのではないかと思います。或いは熱もあるかもしれません」
「これがぁ!?」
楽しげに甘味に食いつき酒を飲むカミューを指してフリックが驚きの声を上げる。それにマイクロトフは「はい」と答えて、並ぶ甘味に胸を押さえた。そう言えばこの実直な青騎士団長は甘味の類は一切苦手だったはずだ。
「熱があるとこいつは酒に酔う……しかも疲れが出ている時は無意識に甘いものを求める」
「なるほどなぁ」
そう言うわけかと感心する傭兵らに苦笑を向けてマイクロトフはカミューの手から酒のグラスを取り上げた。香ってくる匂いを嗅げばそれだけで下戸は酔って倒れてしまうだろう高濃度のライ麦の蒸留酒の匂いがした。
「あ、なにをする」
不満の声をあげるカミューの腕を掴んで押さえ、マイクロトフは更にもう片手からもフォークを抜きさる。酔って指先に力の無いそこからはいとも容易くフォークは抜けた。
「そこまでにするんだカミュー。それ以上は辛くなるだけだぞ」
「いやだよ。無性に飲みたいし食べたいんだ」
「あとで吐くぞ」
マイクロトフの断言にカミューよりも傭兵二人が反応して咄嗟に口元を押さえて呻いた。
「あ、これは失礼した」
そっと失言を傭兵達に詫びるが、マイクロトフの視線はカミューからは逸れない。厳しい目をしてまるで父親がそうするように叱る。
「疲れているのだから、今は寝るのが一番だろう。これ以上俺を困らせてくれるな」
「マイクロトフ……困ってるのかい?」
「ああ」
「……わたしの、せい?」
哀しそうな顔をしてちょこんと小首を傾げる赤騎士団長に、青騎士団長の鋼の心臓がきゅんと締め上げられたらしいのは、傍で見ていた傭兵たちには良く分かった。
「べ、別にカミューが悪いからではないぞっ! ただ俺が勝手に心配をしているだけで……っ」
「わたしが……心配をかけてるから……マイクロトフは困ってるんだね…」
「いや、カミューそれは……」
その通りじゃないか、と傭兵たちは心で突っ込む。だが慌てたマイクロトフは必死で否定している。
「確かに心配はしている。だがカミューが俺を困らせようと思っての事ではないのだから、おまえがそんなに気に病む事ではないぞ?」
「うん、でもマイクロトフ……もう、コレ食べたら駄目だって言うんだろう?」
白い指先がふらりとテーブルの上をさ迷って、並ぶ甘味を指差していく。砂糖がきらきらと輝くそれらを、カミューの琥珀の瞳がうるうると見詰めていた。
「絶対駄目だとは……」
「だったらもう少し食べても良いかい? なんならマイクロトフが手伝ってくれたら……早く寝るよ?」
「あ、ああ! 分かった!!」
勢い込んで頷きカミューの隣にどっかりと座り込んだ青騎士団長に、なんでそうなる!! と傭兵たちは頭を抱えた。そして勧められるままスプーンを手にして、美しい彩りのババロアをぐあっと大口を開けて食べるマイクロトフを見る。だが徐々に青ざめていくその精悍な面差しに、深い吐息をもらした。
「苦手なくせによ……」
「あぁ、まったく良くやるぜ」
気の毒かな、極限までに甘味を追求されたようなそれらを口にして、奥歯をがたがたと震わせているマイクロトフである。だがそれでも吐き出さないのは流石と言おうか。フリックもビクトールも半ば感心して彼らを見ていた。もう心は傍観者である。
そしてマイクロトフの涙ぐましい努力の甲斐あってか、次第に甘味が減って行き、最後にプリンを残すのみとなった頃、漸く部屋に退散出来るかと安堵の溜息を零した傭兵達に、カミューが爆弾を落とした。
「マイクロトフ……そのプリン、食べたいか?」
「いや、カミューが食え」
「…………マイクロトフは一口も食べたくない?」
「全部食え。俺はもう、これ以上は……うっ…」
「有難うマイクロトフ。おまえは優しいな……愛しているよ」
それだけならまだ良かった。
だが嬉しげにプリンをスプーンで掬って口に運びながら、カミューは至極幸福そうに微笑みながら言ったのだ。
「本当に、そんなおまえの為に子の一人や二人孕んでいてもおかしくないのになぁ……」
胸を押し潰すような甘味も吹っ飛んだマイクロトフが、赤い顔をしてプリンごとカミューを攫って部屋に強制送還したその後に、残ったのは撃沈された傭兵二人。
明日立ち直ったら、第一に軍師に赤騎士団長の仕事を減らしてくれるように頼みに行こうと誓った夜だった。
END
わ、わけ分かんないお話に…
ごめんなさい〜〜
でもネジの弛んだカミューは楽しいです
酒に酔ってもマイクロトフが好きでたまらないカミューも良い
2003/01/14