夕暮れを待たずに  (※ギャグです)


 フリックがその怒鳴り声に思わず跳ね起きたのは、朝まだき薄暗い夜明け前の事だった。
 唐突に響き渡ったその怒声に、不意を討たれた心臓は早鐘を打ち全身からは一瞬にして汗が噴き出した。フリックは慌てて寝台から飛び降り上着を引っ掴む。そして勢い込んで部屋の扉に手を伸ばそうとしたが、取っ手に指先が触れる寸前ハタと我に返って思い止まった。
 ―――ここでオレが出ていってどうなるっていうんだ?
 聞こえてくる声は随分と知ったものである。低く通りの良い、日常少し音量の大き過ぎるきらいはあるが大抵の者に好まれる質のマイクロトフの声だ。
 それが今、壁を一枚隔てた向こうで容赦も無く大声で響き渡っているのだ。
 フリックは扉の前で首を傾げ、その怒声が震わす言葉に耳を澄ました。
 何やらカミューを責めているらしい……。痴話喧嘩か? とフリックは瞳を眇めた。怒鳴り声は収まるどころか益々勢いを増している気がする。
 ―――どうしよう。
 フリックは一瞬の躊躇をしてからそっと扉を開いてみた。しかしそこには厄介ごとを怖れてか誰の姿も無い。更に頭を出してもっと周囲を伺って見ると見張りの騎士が耳を塞いで聞かざるの姿勢を通しているのが見えた。
 ―――やっぱり……オレなのか?
 なんとも情けない気持ちでフリックは溜め息をひとつ、心を決めて扉を大きく開けた。
 そして何故だかそっと足音を殺して隣の部屋の前までやってくると、小さく息を吸い込んでノックのために軽く腕を持ち上げた。その時―――。
「マイクロトフなんか大ッ嫌いだ!!!」
「がはっ!」
 叫びと共に突然扉が開き、フリックは思いきり突き飛ばされ背中から床へと転げる。そして気のせいでなければ確かに間違い無くその胸の上を思い切り踏まれとどめをさされた。そしてクラクラする頭で勢い良く扉が閉る音と、誰かがバタバタと賑やかに走り去って行く足音を聞いた。
「げ…げほっ……」
 かなりのダメージに咳き込むと、誰かの手が「大丈夫か」と助け起こしてくれた。痛みに顔を顰めながら見上げればそこにいたのは呆れ顔のゲオルグがいた。
「つくづく間の悪い男だな」
「ほ…ほっといてくれ……っ」
 涙の滲んだ目で睨めば苦笑が返ってきた。流石に起こしてもらっている立場ではそれ以上は気まずくて、フリックは咳を繰り返しながら尋ねた。
「今……出てったのはカミュー…か?」
「あぁ、泣きながら走って行ったぞ」
 ――――――?
「聞き間違いじゃない。俺の見た限りじゃ確かに赤いのは泣いてたな」
「ウソ」
「本当だ」
 と言っても一粒二粒零れる程度だがな、とゲオルグはしれっと言った。
「なんだ……驚かすなよ」
 ほっと胸を撫で下ろしたフリックだったが、それでもあの赤騎士が泣いていたとは一体何があったと言うのだろう。マイクロトフが怒っていたのは確かだが、原因は何なのだろうか。しかし知りたくともフリックに、もう一度この閉じられた扉を叩く勇気は無かった。
 さっきまでの大きな怒鳴り声が、まるで嘘だったかのように静まり返ったその扉の向こう。
 ―――オレはもう知らないからな。
 こうなりゃもう絶対にお節介なんぞ焼いてやるものかと、痛む鼻頭を押さえフリックは固く胸に誓ったがその後ろでゲオルグが興味深そうな目で含み笑いをしているのには気付かない。
 何かが起こりそうな、それが同盟軍本拠地夜明け前の事だった。





 朝日が漸く顔を覗かせる頃、ドカンとばかりにまるで爆発音にも似た音で自室の扉が開いてビクトールはびくりと目を開けた。少し後にその爆発音がノックの音だと知れたが、入ってきたカミューの顔にそんな瑣末事は思考の彼方に消え去った。
「な、なんだ?」
 毛布を抱き締めビクトールは狭い寝台の上で驚きおののく。
「ビクトール殿……」
「あ? カミュー…だよ……な?」
 俯きがちに室内に入り込み、後ろ手にまた激しく扉を閉めてやってくるのは紛れもなく元マチルダ騎士団の赤騎士団長カミューその人である。常に冷静沈着、優美な所作で女性ならず万人を魅了する青年騎士―――なのだが、今はその顔が泣きそうに歪んでいる。いや、ちょっと泣いてる。
「…ビク…トール殿……」
 常ならば涼やかに通る声も、今はみっともなくも震えている。ビクトールでなくてもそれがカミュー本人かと疑い驚くだろう。しかも―――。
「聞いて下さい〜〜!!」
 叫んでその場に膝を折って突っ伏す姿を見ては、誰だって顎が外れるくらい驚愕するだろう。
「な…なっ……なっっ………」
 やれ敵襲か天変地異か。寝起きのビクトールの驚きは天をも突き抜けるものだった。
「何事だっ!」
「マイクロトフが酷いんです!!」
 がばりと顔を上げて訴えるカミューの言葉に、ビクトールは一瞬呆気に取られた。
「ああ?」
 やや怪訝な面持ちになるのはいたしかたないだろう。
「なんだと?」
 語尾が嫌味に持ち上がるのも無理もないだろう。
「マイクロトフの野郎がなんだって?」
「だからマイクロトフが酷いんです。もうわたしは…わたしは……どうすれ…ば……」
 途中までは怒ったように喚いていたのが、後半からは酷く弱々しい呟きに変わる。
「お、おい…カミュー」
「もう……駄目なんでしょうか………だ、大嫌いとか……言ってしまって…」
 呟きと共に、潤んだ琥珀から涙が盛り上がって床へと落ちた。ぽろぽろと続けざまに床を濡らしたそれは、見ているだけでビクトールの精神をかなり揺さぶった。
「おいおい…泣くこたぁねえだろ」
 寝台の上で毛布を抱き締めたままビクトールは座りなおす。
「何があったんだかしらねえけどよ……取り敢えず落ち着けや。な」
「で、でもビクトール殿……わたしはもう…駄目なんだ……きっと多分……もう…お…お……終わりなんです〜〜!!!」
 今度こそ床に伏せてカミューは泣き始めた。そしてくぐもった声で「終わりなんだ、駄目なんだ」と呟きを繰り返すのである。
 ビクトールはそんな青年の態度にただただ困惑するしかなかった。



 それから、太陽が少しだけ上へと位置をずらした頃だった。
 ふと少女は上段に蹴りを繰り出しながら首を傾げた。
「師匠…変です」
 真横から突然に現れた拳を掌で受け流しながら少女はなおも言い募った。
「変ですよ師匠」
「何がだ」
 足元を滑ってきた下段蹴りを飛び越え男は怒ったように返事した。
「絶対に変です。おかしいです」
 少女は顎を狙ってくる掌を背をしならせ紙一重で交わし力説する。だが男は踏み込んだ足元から反撃で後方宙返りと共に振り上げられてくる蹴りを後方に飛んで交わすのに夢中である。
「何が変だと言う!人とはすべからくどこぞが変なのが当然なのだ。今更それを指摘した所で何が変わるというものでもあるまい」
 一度間合いを離れて互いに構えを取り直し、少女と男はじりじりと移動する。
「それは、はい、いつも変な人ですが今日の変はいつもと違う変なんです師匠」
 詰まった間合いにぴくりと少女の腕が反応し、すかさず飛んできた拳を掌で音を立てて受けた。
「異常と言っても良いです」
「人とは他と比べ、すべからく異常である!」
「それはもう良いですってば師匠。あのですね、おかしいんです変なんです」
 受けた拳を捕らえてその肘を軸に間接を決める。しかし後一歩のところで逃れられ、逆に足をかけられ少女は重心を失い腰から背後に倒れこむ。
「っと…とと、もう聞いてるんですか?」
 すんでのところで受身を取り、転がった勢いごと起き上がると少女は男を睨み付けた。
「まるで魂が抜けたみたいな感じで、師匠。気付いてます? ここがこの時間こんなに静かだなんて」
「そう言えば静かだな、何故だ」
「だからさっきから言ってるじゃないですかもう〜」
 少女は構えていた両腕をぱたんと下ろし、落としていた腰を真っ直ぐにすると背後を振り返った。
「見て下さい、あの青騎士さん達の覇気の無さ!」
 そして少女が示したその先には、黙々と苦行のように朝錬をする青騎士たちの姿があった。その更に先には彼らとは比較にならないほど重苦しい空気を背負った人物。そう、ワカバがずっと変だ変だと言い続けるマイクロトフの姿があるのだった。
 彼は今、どん底の底まで深く落ち込んでいた。
 辺りが静かなのは当然で、常ならばマイクロトフの掛け声に相乗するように青騎士たちが声を上げて訓練をするのである。それが今朝は無いのだ。落ち込んだマイクロトフは日課の朝錬にはやってきたもののまるで周囲が見えていなかった。
 そんな男のごく近くまで寄ってみれば、或いはその落ち込みの理由が知れたかもしれない。マイクロトフはただただ「大ッ嫌い……大ッ嫌い…」とうわ言のように呟きを繰り返しているのである。
「ほら、変ですよね?」
「確かに!」
 格闘技の師弟が離れた場所からそんな青騎士団長を見て大きく頷くのであった。





 カミューとマイクロトフが喧嘩をしたらしいとの噂は昼を待たずに同盟軍を疾風の如き速さで駆け抜けた。
 それもそのはずで、まずカミューの方は未明に押しかけたらしい傭兵の部屋でずっと飲むやら嘆くやらしているらしく、常の執務にも全く姿を見せていない。またマイクロトフの方はすっかりと抜け殻と化し、発する言葉と言えば「大ッ嫌い」だけで、案じた部下によって自室での安静を言い渡されている。
 と言うわけで城内に当事者達の姿は見えなくとも、その不仲は皆が知っている状態だった。



「だーかーらっ! オレは何も知らないって!」
 絶対に何か知っているに違いない、と皆に取り巻かれているのは傭兵のフリックである。
 理由は明白。マイクロトフとカミューが言い争いをしたらしいその晩に、様子を見に出たフリックの姿が目撃されていたからである。
「そんな白々しい事言うなって。ビクトールのおっさんは赤い方を相手してんだろ? だったら青い方はあんたの担当だろうがよ」
 シーナがフリックの肩を叩いて興味深々で聞いてくる。
「誰が担当だ! オレは本当に何も知らないんだ。それにこれからも何か知るつもりも無い!」
「まーたまた〜。そんな事言ってさ〜〜、あんたがこんな面倒ごとに巻き込まれずに済むわけ無いじゃん。今は引き下がるけどさ、約束な? 何かあったら絶対教えてくれよな」
「シーナ、おまえなぁ……」
 気楽な調子で胸をえぐるような事を言われてフリックがどんよりと落ち込む。そしてそこへさらに追い討ちをかけるように、低いどよめきがそこに起きた。
「あ、やっぱりじゃん」
 シーナの声にフリックが振り返るとそこには暗雲を背負ったマイクロトフが立っていた。そしてこの世の終わりのような声でフリックの名を呼ぶ。途端に彼を取り巻いていた人々が波のように引いていく。
「フリック殿……ちょっと宜しいか」
「悪いな、またにしてくれ」
 立ち上がったフリックの行動は早かったが、マイクロトフも早かった。きびすを返して走り去ろうとする傭兵の肩を、騎士の掌がガシッとばかりに掴んで留める。
「またでは遅い。是非ともご協力願いたい」
「オレは何も出来ねえったら! 離してくれ、頼むから!」
「フリック殿になら可能です。どうかビクトール殿の部屋に行ってカミューを……」
「嫌だ嫌だ嫌だっっ!! オレを巻き込まないでくれ!」
 叫んだところで不自然なほどに静まり返った周囲にフリックは気付いた。そしてハッと周りを見渡せば全ての瞳が責めるような冷たい眼差しでフリックを見ていた。
「な、なんだよ…」
「フリックって実は冷たいやつだったんだなぁ」
 シーナが言うと、同調するように皆が頷く。
「なっ! お、おまえら!!」
 そりゃあないだろうとフリックは嘆くが、いつの間にかすっかり冷酷人間へとなってしまっている。ここでマイクロトフに手を貸してやらなかったらシーナがどんな風に言い触らすが知れたものではない。
「分かったよ……行けばいいんだろ、ビクトールんとこへ!」
 投げやりに叫べばマイクロトフに「頼みます」と握手を求められて一方的に万力のように締め上げられた。



 ノックは三回。
 途端に目の前のカミューがびくっと肩を震わせて、キッときつい目でビクトールを睨み付けた。誰であろうと絶対開けさせないという意思表示である。この日、カミューはビクトールの部屋に篭城を決め込んでいた。
 ビクトールは分かってるよと肩を竦めて扉をちらりと見てから首を振る。
「開けやしねえよ。約束したろうが、安心してここにいな」
 だがノックが再び三回続けて響く。そして誰よりも不運な男の声が扉越しに聞こえてきた。
「ビクトール! いるんだろ!?」
「…フリック?」
 聞こえてきた投げ遣りな声にビクトールが器用にピクリと眉を跳ね上げた。
「いるのは分かってんだ。開けろよ!」
 投げ遣りと言うよりはどこか切羽詰ったような感がないでもない。ところがそんなフリックの様子に思わず腰を浮かしかけたビクトールを牽制する眼差しがある。ビクトールはそれに肩を竦めて答えた。
「俺ぁ、扉蹴り壊されるのはごめんだぜ?」
「………」
 カミューは黙り込んで俯いた。それを横目に軽く溜息を吐くと立ち上がり、ビクトールは扉を開ける。途端にフリックが間近に迫って「居るんだろっ」と小声で囁きかけてきた。
「あぁ、いるともさ」
 ビクトールは顎をしゃくって室内を見やる。すると部屋の端の方で膝を抱えて座る青年の姿があった。それに重々しく吐息を吐いてげんなりとフリックを見た。
「俺の秘蔵を人質に取られちまってる……しかも目の前でそれを次々に空けて行きやがる……どうにかしてくれ」
「どうにかって…オレこそどうにかしてもらいたいんだ。あいつが不景気な面してにじり寄ってくるんだ」
「どっちがマシかねぇ?」
「聞くなよ……それより、居るんならちょっと頼む。出てきてくれって言ってくれ」
「自分でいけ。ほら」
「勘弁してくれ。俺はあっちの相手で充分疲れてんだ。あいつの相手はおまえだろ」
「勝手に押しかけて立て篭もってんだがな…」
 ビクトールがわしわしと髪を掻き回せば、フリックが肩を落として深い吐息を落とす。歴戦の傭兵二人のなんと不毛な会話である事か。小声であるからカミューには聞こえないだろうと思いつつも、途切れたところで二人はそろそろと室内の青年に視線をやった。すると、酒瓶を抱えてじっとりと睨む琥珀の双眸にぶつかってつい息を呑む。
「おい! 随分と不機嫌じゃないか」
「だから言ってるだろ。あぁして目ぇ座らせたまんま次から次に酒をだなぁ!」
 耐え切れずビクトールの語尾が大きくなる。そこで、背後からゴトリと音がしてまたも傭兵二人が息を詰めた。
「フリック殿……」
 酒瓶を脇に置いたらしいカミューの声が真直ぐにフリックを射竦める。
「な、なんだ?」
「……あいつに……マイクロトフに…会われたのですか?」
 常の澱み無い話術のカミューらしくない問いかけにフリックは眉を顰めた。
「あぁ会ったよ。えらく落ち込んでたぜ? なあ、顔見せてやれよ」
「それは……だめですよ」
 ビクトールの開けた扉から入ってきたフリックに儚げな笑みを浮かべてカミューは俯いた。
「もう、だめなんです」
「なんでだ? そんな簡単に駄目になんてなるもんか」
「ですが……マイクロトフは…」
 言い澱んでカミューはひどく悲しそうな表情になってビクトールが焦った。また泣かれでもしたらたまったものでは無い。
「よ、よし! 待て、なぁほら。事情だ事情。聞かせろや」
「事情、ですか?」
 ぽつりと呟いて顔を上げたカミューに、ビクトールは精一杯の優しい顔で頷いてやる。
「あぁ、そうだ。おまえらが喧嘩しちまった理由をだな」
 言うと、瞬く間にカミューの表情が曇ってしまう。
「あ、あ、あ、無理にとはいわねえけどな。ほらちょびっとだけ、な?」
 膝を抱え込んで座っているカミューの前に屈み込み、まるで幼子に相対するかの如き忍耐強さでもって接している。するとカミューがゆっくりと首を振ってほうっと吐息を落とした。
「聞いていただけますか」
「お、おう」
 ビクトールとフリック二人揃って確りと頷くのに、軽く微笑んでカミューは少し唇を噛んでから話し始めた。
「昨夜、ハイ・ヨー殿のレストランで夕食を頂いてからのことです。我々はそのまま朝まで一緒に過ごしていたのですが」
「………」
 さらりと危険発言をされてフリックがすうっと青褪めたまま固まろうとするのをビクトールが背中をどついて正気に戻した。
「……わたしが明け方ごろになって眠気に耐え切れずそろそろと目を閉じようとした時に、マイクロトフが思いもかけぬ事をわたしに言ったのです」
「な、なんだ?」
 聞きたく無いような、聞いちゃいけないような、聞かない方が良いような、そんな気がしながらビクトールが先を促すと、カミューは眉根を寄せるなり両手で顔を覆ってしくしくと啜り泣き始めた。そして。
「わたしが結局のところマイクロトフには逆らえないのだと知った上で、あいつはわたしに無理やり……っ」
「無理やり?」
 傭兵たちが息を潜める。果たしてこれ以上を聞いても良いのか迷うところだが、ここまで来たら引き返せない。固唾を呑んで見守る中カミューは顔を上げ、悲壮な表情で告白した。

「もう、もう…レストランでプリンを食べるなと約束させたのです」

「ぷ…プリンだぁ!?」
「好物を食べてはいけないと強要されることほど辛いことはありません。ビクトール殿だって二度と蜂蜜を舐めるなと言われたら辛いでしょう!? 同じことです」
「ちょっと待て」
 そりゃ違うだろうというような事を極自然に言われた気がするビクトールだったが黙殺される。
「マイクロトフはもうわたしの事などどうでも良いに違いありません。だから、あ…あんな……あんな事を平気で……」
 そして嘆くカミューを、傭兵二人は生温い笑みでもって見下ろした。
「おいフリックよ、マイクロトフの奴呼んでこい」
「あぁ……」
 肩を落としながら出て行くフリックに、カミューも制止の言葉は投げかけずただただ泣くばかりであった。



 そして、呼ばれて出てきたマイクロトフである。
 彼は困惑顔のまま部屋に入るなり、さめざめと泣くカミューに落雷に打たれたかのように見るからに衝撃を受けていた。
「カ、カミュー!!」
 どうしたと慌てて駆け寄るものの、寸前でその手が止まる。
「その、カミュー……俺は…」
「マイクロトフ……」
 泣き濡れた顔を上げてカミューは間近に寄ったマイクロトフに手を伸ばした。
「マイクロトフ……もう何を言われても構わないよ。おまえが嫌だと言うのならプリンだって我慢する。だからお願いだ、わたしを嫌ってしまわないでくれ」
 これほど素直な赤騎士団長を見た事があるだろうか。否。ビクトールとフリックはさっさと出て行けば良いものの、場所がビクトールの部屋であると言うだけについついそこに佇んだまま成り行きを見守って鳥肌を立てていた。
「カミュー何を馬鹿な。俺がおまえを嫌うはずがなかろう」
「だがマイクロトフ…わたしに好物のプリンを二度と食べるなと意地悪を言ったじゃないか……」
「あ、あれは」
「だからわたしは悲しくて、ついおまえに大嫌いだなどと言ってしまった。反省しているよ……あれは本心じゃないんだ。だから嫌わないでほしいんだ」
「カミュー…!! 俺は、俺はなんと愚かな男なのだ。おまえをこんなにも悲しませるとは…!!」
 不甲斐無い、とマイクロトフは己を責める。
「あれは違うのだ。意地悪などでは無いぞカミュー。おまえには今までと変わりなくいくらでも好きなだけプリンを食ってくれて構わんのだ。だが、ひとつだけ頼み事があるのだ」
 厳粛に言うマイクロトフに、カミューは涙に濡れた瞳を瞬かせて首を傾げる。
「なんだい? おまえの頼みならなんだって聞くよ?」
「あぁカミュー。出来るのならレストランで食べるのは止してくれないか。おまえに自覚は無いのだろうが、プリンを食べる時のおまえときたら本当に幸せそうに笑うのだ。あんな無防備な笑顔を、俺は誰にも見せたくは無い」
 マイクロトフの告白の瞬間、フリックだけでなくビクトールまでも固まってしまったのは言うまでもない。しかし当のカミューは大きく目を見開いて眼前の恋人を見詰めた。
「マイクロトフ。だったらそう最初から言ってくれれば……。そんな事ならわたしはマスクをつけてでもしてプリンを食べたのに」
 いや、マスクをつけたらプリンどころか何も食え無いだろうと突っ込める人間はいない。
「カミュー…マスクなど無粋な真似は必要ない。誰にも見せたく無いのは事実だが、俺だけには見せてくれて構わんのだからな。だからカミュー。今度からプリンは部屋に持ち帰って二人で居る時に食べるようにしてくれないか?」
「あぁ……ああそんな事、勿論だよマイクロトフ」
「そうか。それを聞いて安心した。すまなかったなカミュー、誤解をさせるような事を言ってしまった」
「早とちりをしたわたしが悪いんだよマイクロトフ」
 健気にも首を振り涙を拭って微笑むカミューの姿にマイクロトフは感動してその身を抱き寄せた。
「本当にすまなかったカミュー。だが、プリンの時の笑顔もそうだが、そんな泣き顔も誰にも見せて欲しくは無いな」
「あぁすまないマイクロトフ。もう絶対お前の前以外では泣かないよ」
 にっこりと。
 憂いなど何処にあると言った風情で笑うカミューに、今度こそマイクロトフは大きく頷いてその身を痛いほどに抱き締めた。
 そして。
 今にも風化しそうな傭兵が二人。
 そんな二人の向こう側、夕日には程遠い太陽のきらめきがあった。



 そして、騎士二人の喧嘩など、朝おきて昼過ぎには元の鞘に納まるものだと、どうして学習しないのだろうと。事の成り行きを影から見守っていた城主の少年が小さく溜息をこぼしたのだった。


おしまい



ばか! ばかな話をなんて長さで書いているの!(笑)
久々の同盟軍でのばかっぷる〜
せいぜい笑って下さったら嬉しいです

2002/06/09