雪に戯れる


 その朝は、朝陽に照らされて辺り一面が銀色に輝いていた。
 昨夜のうちに降り積もったのだろう。掌が埋まる程度に積もった雪は、前日までの同盟軍本拠地の様相をすっかりと違えさせていた。
 子供たちは歓声を上げ、まだ未踏の地を探し回っては、自分たちの足跡を残すのに夢中になり、大人たちは冷え込んだ空気に本格的な冬の到来を感じて、冬支度に思いを馳せる。
 ともあれ誰もが今冬初の雪景色に、思い思いの笑みを浮かべていた。
 雪が積もっても、通常通りの仕事はある。カミューもまた常より冷えた朝に、いつも以上に寝床から離れがたかったが、マイクロトフに引っ張り出されて已む無く起きた。
 騎士服に着替えてマントを肩にかければ、厚手の生地は寒さからカミューを守ってくれる。夏は暑苦しくて堪らない出で立ちだが、冬季の長いロックアックスにあっては適した服装である。
 そこで漸くほっとしたカミューは、寝癖のついた髪を撫で付けながら窓の外を眺め見た。
「これは眩しいな」
 白銀の世界に目を細め、そこを転げまわる幼子たちに笑みを浮かべる。グラスランドでは積もった雪の上を走り回った記憶のないカミューは、どこか遠い目でその情景を見つめた。
 実際、こんなにも世界を埋め尽くすほどの雪に出会ったのはマチルダに来てからである。移り住んで直ぐの冬は、空から止まずに降り続ける雪と、靴が埋まるほどに積もったそれとに、寒さも忘れて唖然としたことがある。
 流石にもう慣れたものだが、おっかなびっくりで雪に触れた記憶はまだまだ新しい。
 くすりと微笑を浮かべつつ、カミューは後ろにいるマイクロトフを振り返った。
「待たせたな」
 共に朝食を取るために、カミューが着替えるのを待っていてくれたマイクロトフである。いつの間にか窓辺の直ぐそばまで来ていて、肩越しに同じように外を見ていた。
「子供は元気だよ」
 黒い瞳の視線の先を辿ってカミューは呟いた。
「おまえも小さい頃は、あんな風にして遊んだのかい?」
「ああ。雪合戦などをよくしたな」
「ふうん」
 雪合戦―――それはマチルダに来てからカミューが知った雪国の遊びだ。二派に分かれて、互いに雪玉を丸めてぶつけ合うのだ。降り積もったばかりの雪で丸めた雪玉は柔らかくて、当てられたくらいでは痣にもならない。幼い子供たちの戯れにはちょうど良いのだ。
 だがこれも夢中で遊ぶと、真冬にもかかわらず汗びっしょりになってしまう。子供たちは上着を脱ぎ捨てて歓声を上げながら、最後には息を切らして、ただただ雪を掻き出してはお互いにそれを掛け合うことになる。
 ふと、幼い顔立ちのマイクロトフが顔を真っ赤にして雪まみれになっている姿を想像して、カミューは笑った。
「それじゃあ、行こうか」
「ああ……?」
 カミューの笑みに首を傾げるマイクロトフに、やはり笑みを重ねて揃って部屋を出たのであった。



 さて、何処へ行っても窓からきらきらと輝く眩しさに、今朝ばかりはテラスでの食事を諦めた二人である。何しろテラスの床面が雪で濡れて滑って危ないのである。
 そしていつもとは少し趣の違う食事を終えて、マイクロトフは道場に兵士たちの鍛錬に、カミューは軍師のところへ軍隊の編成の打ち合わせにと向かおうと、一時の別れを告げる。
 日によってはこのまま夜まで会えないこともあるのだが、今日は昼から傭兵隊のビクトールとフリックと、互いの隊の連携の動きについて打ち合わせが入っている。
「それでは、また昼に」
「うむ。行って来る」
「行ってらっしゃい」
 まるで、夫を見送る妻のようだと、レストランを出入りする客たちはちらりと思ったものの誰も口にはしない。カミューも同じく何処かへと向かう様子が見て分かるのに、何故だかそう感じられる不思議な二人のやり取りである。
 実のところ、去っていくマイクロトフの背をニコニコと見送るカミューの姿がそう思わせるのだろう。カミューはマイクロトフが廊下を曲がって姿を見せなくなるまでそこを動かなかった。その背中すら愛しいとでも言うかのように。
 そうしてから漸く足を踏み出したカミューであるが、そこで外へ続く扉が僅かに開いているのを見咎めた。いつもより外が明るいために気付いたのであるが、レストラン前のそこから続くのは洗濯場である。
 訝しげに思ってカミューの足は何気なくそちらへと向いた。白い手袋に包まれた指先を扉にかけて、きぃと小さな音を立てて開くと、やはり真っ白な世界が広がっている。ところが、そこに子供たちの歓声は聞こえなかった。
 いつもならば雪がなくともこの場所は、母親にまとわりつく小さな子供たちの笑い声に包まれていると言うのに。
 だが、カミューの視界にはやはり数人の子供たちがいたのである。その誰もが一様に雪の積もった地面にしゃがみ込んでいるのが常とは違うところだ。いったい何をしているのだろうと踏み出したところで、中央にやはり同じようにしゃがみ込んでいた女性が立ち上がった。
「あら、カミュー様」
 それはフリード・Yの妻ヨシノで、いつものように着物に白い割烹着姿である。しかしいつもは洗濯物を洗っている手が、今日ばかりは雪をふんわりと持っていた。
「ヨシノ殿。いったい何をなさっておられるんですか?」
 するとヨシノは、ああ、と小さく頷いてにっこりと微笑み、手にしていた雪をカミューの方へと差し出した。ただの雪の塊に見えるそれであるが、よく見ると小さな薄い板切れの上に乗せられている。
「それは……?」
「雪うさぎですわ。ほら、こうしてここに葉っぱと赤い実をつけると―――」
「なるほど」
 思わず目を見開いて感嘆の声を上げたカミューである。ヨシノの指先がひょいひょいと雪の塊に触れたかとおもうと、まるで手品のようにそれが小さな白いウサギの姿へと変わったのである。
 柔らかな丸みを帯びて固められた雪に、緑色の笹の葉が二枚。そして南天の赤い実がやはり二つぽつんと置かれて、それらが耳と目になるのだ。
 そして改めて見回してみれば、子供たちはそのヨシノの作ったものを手本に、それぞれが雪うさぎを作っているのである。足元には大小さまざまの色々な形の雪うさぎが群れていた。
「これは随分と可愛らしい」
 更には雪うさぎ以外にも、さまざまな雪の造形物が子供たちの手によって作り出されている。だがそこにひとつだけ見当たらない定番があった。
「ですが、雪だるまはありませんね」
「ああ、それは……」
 ちらりとヨシノの視線が動いて、洗濯場の隅のほうを見遣る。つられてそちらを見ると、そこは崖だった。
 兵士が一人立っていて、崖下まで続くロープを垂らしている。その崖の縁に少女が一人座り込んでいた。
「おや……」
 そこにはなんと小さな雪だるまが等間隔に点々と並べられていたのだ。それを兵士はなんとも優しげな眼差しで見ているのである。
「雪だるまはあの子の担当のようですわ」
 一人笑顔でせっせと夢中になって雪だるまだけを作っては並べるその少女に、他の子供たちは遠慮してか雪だるまを作ろうとはしていないらしい。
 カミューはその様子に興味を引かれて、雪をさくさくと踏み入って行くと、雪を丸めている少女の横に立ち膝を曲げて覗き込んだ。
「はかどっているかい?」
 ぴくん、と肩を震わせて振り返った少女は、カミューの姿に驚いて目を丸くした。その反動で手にしていた雪玉がぽすんと落ちる。
「ああ、ごめん。驚かせてしまったね」
 するりと手袋を脱ぎ、カミューは腕を伸ばして落ちた雪玉を拾うと、少女の小さく赤らんだ掌に返してやった。それから同じようにしゃがみ込み、目線を合わせてその顔を覗き込む。
「どうしてこんなにも小さな雪だるまを沢山作っているのかな」
 すると少女は唐突にうつむくと、小さな声で呟いた。
「……―――から」
「うん?」
「……皆が、お部屋に持って帰れるから…」
「へぇ、なるほど」
 にっこり笑顔で頷いてカミューは小さな雪だるまたちを見た。
 どれもこれも、きっと数刻後には溶けて水になってしまうだろうけれど、それでもこの少女の思いやりがとても良い。
「良ければ、わたしの分も作ってもらえるかな、レディ?」
「……うん」
 こくっと頷いて、少女は手にしていた雪玉を転がしては確りと形作り始めた。そして暫く後に、大小の玉が二つずつ出来たではないか。黙って少女の作業を見守っていたカミューは、出来上がった合計四つの雪玉に小首を傾げた。
 すると少女は、小さな玉を二つ両手にそれぞれ取ると、大きな玉にえいと乗せた。それから、自分の上着のポケットを探ると、そこから色とりどりの紐を取り出したのである。それは既に完成した雪だるまたちの首に、くるりと巻かれているそれらと同じものだった。
 その紐の中から、少女は殊更に鮮やかな赤い紐と青い紐とを選り出すと、二つの雪だるまの首にふんわりと巻きつけた。そしておずおずとその雪だるまを指差した。
「…あげる……」
「二つとも頂けるのかい?」
「うん……いつも一緒にいる人の分と…」
 そこでカミューの顔に笑みが広がっていった。
「マイクロトフにもかい!? 有難う、とても嬉しいよ」
 美貌の赤騎士団長が本心から告げた言葉に、少女が耳まで顔を真っ赤にしてふるふると首を振る。それから二つの雪だるまを手に取ると、ぐいっとカミューへと差し出した。
 カミューは慌ててもう片方の手袋も脱ぐと、両手でそれを受け取った。
「有難うございますレディ。早速もう一人の人に、この雪だるまを渡してきますよ」
 そしてカミューは満面の笑みのまま、両手に小さな雪だるまを携えて洗濯場を後にしたのである。



 それから、道場に現れた笑顔大放出のカミューが、驚いたマイクロトフに雪だるまを手渡す姿を、誰もが微妙な気持ちで見ていたという。



「ほら、見てご覧マイクロトフ。わたしとおまえだ」
「俺?」
「ああ、ほら青いマフラーをしているだろう? こちらは赤いマフラーなんだ。わたしと、おまえじゃないか」
「そ、そうか……」
「うん。…あっ、くっついてしまった」
「溶けて、また冷えて凍ったのか?」
「そうかな。でもこうなってしまうと、引き離すのも可哀想だな……」
「早く部屋に持って帰れ。日の当たらない窓辺に置けば少しは持つだろう」
「分かった。ついでに道端から雪を集めて保冷しよう」
「ああ、俺も後から行くから」
「…待ってる」



 そして来たとき同様二つの雪だるまを携えて去っていく赤騎士団長の背中を、青騎士団長はその姿が見えなくなるまで見送っていたと言う。



end



当地では雪はまだ降っておりませんが、北ではもう降っているんですよね。
皆様雪だるまは作ったことありますか?
私は小学生の頃以来ちっとも。大人になってからは全くです。
でも昔、自分の背丈ほどもあるのを作ったときは、こんなしんどい事があるかと思った覚えがありますよ。

2004/12/05