恋の調査員カミューさん
うららかな日差しに満ちたデュナンの滸のその城は、今日も今日とて多くの者が働いている。同盟軍リーダーが自ら集めて回った約束の石版に刻まれる一〇八星は当然ながら、戦火を逃れた民間人も老若男女問わずに集っている。
無論、純でウブな娘も多い。中には輝く108星にほのかな想いを寄せる、そんな娘も少なくはない。
「あの、カミュー様」
テラスで紅茶を飲みつつ読書に耽っていた元赤騎士団長に、ためらいがちな声がかけられたのは、そんなある日の昼下がり。
女性全般に紳士的な態度のカミューには、声をかけやすい雰囲気がある。この時もカミューは穏やかな笑みを湛えて振り返った。
「どうかしましたか?」
相手を安心させるために浮かべられた微笑に、ふっと緊張を解いたのは、図書館で書物の整理をして働いている少女だった。少女はそれでも頬に朱を走らせて、カミューにこんなことを言った。
―――お願いごとがあるんです。
半刻後、憂いを含んだ表情で部屋を出るカミューをマイクロトフが見咎めた。
「どこへ行くんだ?」
「図書館さ……」
カミューが図書館に行くのは珍しいことではない。マイクロトフはそうか、と頷くと黙って見送った。
「テンプルトン殿」
室内には少年独りで、いつもいる図書館司書のエミリアの姿がない。カミューは密かに安堵の息を漏らした。
「なに? 地図見に来たの?」
「いえ、あなたに用がありまして」
ここはもう単刀直入に聞くのが良かろうと、カミューは相手の警戒心を緩める微笑みを浮かべた。
「実はあるレディから、あなたに聞いて欲しい事があると頼まれたのです」
「誰?」
「それは内緒です。微妙な女性の心を分かってあげてください」
「ふーん……そんなもの?」
「ええ、まあ」
座っても? と訊ねると傍の椅子を指し示された。テンプルトンも座ると、若干十四才ながらも利発な顔をカミューに向けた。
「それで、ぼくに何が聞きたいんだい?」
「たいした事ではありません。ほんの少し質問を……」
カミューはテラスで少女が言った言葉を胸のうちで反芻する。少女は秘めたテンプルトンへの想いを、どうにか打ち明けたいと考え、カミューに三つの質問を聞いてきて欲しいと勇気を振り絞って声をかけてきたのであった。
微笑ましい少女の恋心を知れば、カミューに否やは無い。だがテンプルトンとはあまり面識が無かったので少しばかり気後れがしたのも事実だ。しかしここで止めては騎士の名がすたる。可愛いレディのためだとカミューは少年に親しげな笑みを浮かべた。
「まず、今欲しいものを教えていただけますか」
心を伝えるのに贈り物は便利な口実だ。それが相手の望むものであれば、親密さもあがることだろう。けなげな少女の恋心がいじらしいではないか。
「欲しいもの? 何でもいいの?」
「はい」
「くつ」
「え?」
「くつだよ靴。ウィングブーツが欲しいなぁ。でもあれ高いしね」
即答したテンプルトンの真意が分からない。何故靴なのか?
「だってぼくは地図職人だよ? あちこちを歩き回るんだから靴は重要なんだ。直ぐ履き潰しちゃって大変だよ」
「そ、そうですか」
「あとは最新式の測量器具かな? でもアダリーさん忙しいって造ってくれないんだ」
けなげな少女に、測量器具の入手は無理がありそうだ。心を込めた贈り物には少し妙だが、まあ靴でも構わないだろう。あとでサイズを聞いておこう、と考えてカミューは次の質問に移った。
「次は、将来の夢を聞かせてもらえますか」
108星として戦に参加しているとはいえ彼はまだ14才。これからの未来に色々と夢思うこともあるだろう。それを知っていれば会話も弾むというわけだ。だが、聞いて直ぐに聞くまでもないことを思い出した。
「夢? それはもちろん、この手で全世界の地図を作ることだよ」
途端にテンプルトンは目を輝かせた。
「世界中のいたる所を地図にするんだ。最高だろうなぁ……早くこんな戦争なんか終わってほしいよ」
最後の言葉は沈んだ声で、カミューも神妙に頷いた。
「そうですね」
「そうだよ。戦争になると、せっかく作った地図の内容が変わっちゃうからね。ぼくさ、自分が手がけた地図が現実と違うのって許せないんだ」
見ると少年はギュッと拳を握り締めている。
「戦況に変化があるたびに調査に行くのも大変だよ」
「調査、ですか?」
「うん。もしかしてぼくがずっとこの地図の前に居ると思ってる?」
ええ、とカミューは頷いた。この部屋に来ることは少ないが、時々リーダーのパーティーに加わって出かける際に、行き先の確認に寄る事がある。そんな時にテンプルトンがこの部屋にいなかったためしはなかったのだが。
「リーダーが出かけてるときは大抵ぼくも出てるよ」
「そうだったんですか」
「うん。地図なんてリアリティーを欠いちゃダメなんだ。ぼくは常に変化のある所に飛んでってるんだよ」
そこでふとテンプルトンはカミューをまじまじと見て、そういえば、とつなげた。
「前にマチルダとミューズの国境でちょっとした騒ぎがあったよね。ウチのリーダーがあなたたちを仲間にして連れ帰ったちょっと前だよ。ルカ・ブライトの『流民集め』騒ぎの時」
「あぁ、そんな事もありましたね……え?」
そこでカミューは驚くべきことに気付いた。目の前の少年はついさっき『変化のある場所に飛んでいく』と言わなかったか?
「え? 居たよ? どこってその場にだよ」
そして少年は大変だったよ、と苦笑を漏らす。
「丁度ビッキーが城にテレポートで現れて、タイミング良かったよ。それで現場に送ってもらったら、なんか殺気立ってて、でもあの時はあの白ヒゲオヤジが動かないでくれて助かったよ。あなたの片割れの青いのがいつ飛び出すかって、ぼく冷や冷やしてたんだけど」
「マイクロトフ……ですか?」
「そうそう。だってあの時はグリンヒルがハイランド領になって直ぐの頃だったよね? 改訂作業に忙しくて。もしあなたの片割れが下手な事してたら、
ぼくその首絞めてたかもね」
「…………」
「忙しいのにわざわざ出向いて、その上余計な仕事を増やされちゃたまらなかったから。あの時は何も無くて良かったよ」
そしてテンプルトンはカラカラと笑った。
「あぁそうだ。欲しいもの、他にもあったよ。
靴よりも『またたきの手鏡』!」
人差し指を立てて力説する少年に、カミューは乾いた笑いを浮かべていた。
それは無理だ。多分―――絶対に無理だ。
「あれ欲しいよ。ヘリオンばあさんも、もうひとつくらいくれても良いのにケチっちゃってさ」
「ヘリオン……?」
「ああ、あなたは知らないか。トランの解放戦争の時に解放軍に居た魔法使いのおばあさんで、あの『またたきの手鏡』を解放軍にもたらした帰還魔法の使い手だよ」
あれがあると地図作りも随分とはかどるんだけどね、と少年は真面目な顔をして言う。これまであまり話す機会の無い相手だったが、カミューはこの少年に、ある人種に共通する特徴を見出し始めていた。
これ以上質問を続けたとしても恐らくはその人種特有の解答しか返ってこないだろう。だが、質問はあとひとつ残っているのだ。胸ときめかす少女にとって一番重要と言える質問が―――
カミューは気を重くしながら、レディの頼み事であるからには聞かねばなるまいと心を決めた。
「では……最後に、テンプルトン殿の好みの女性を教えていただけますか」
「好みのタイプ? 女の子?」
「……はい」
「そりゃビッキーだよ、ビッキー!」
―――やっぱり……。
「彼女が居れば『またたきの手鏡』なんていらないからね。すっごく地図作りの手助けになるよ」
そして夢中で地図作りに関して語り始める。
「最終的には山の高さとか湖の深さとかも測ってみたいな。知ってる? 等高線ってさ、山を水平に輪切りにしたのを地図に書くんだ。そうすると地図を見ただけで山の高さと形が分かるんだよ!」
目を輝かせ嬉々として語る少年……そう。そもそもテンプルトンには今までのような質問は無意味だったのだ。全ては地図のため、地図を一番に考えていれば、質問などする必要は無かった。
何故なら彼は職人なのだから(人はそれを○○バカともいう)。
地図職人テンプルトン。何者もその地図にかけた人生を邪魔することはできない。
そして、絶妙の聞き手を見つけたテンプルトンの口舌はますます冴える。
「ねえ、カミューさん聞いてる?」
「聞いてますよ」
カミューは微笑みを崩さず律儀に相槌を打つ。しかし内心では激しく大きなため息を吐き出していた。そしてテラスで頬を染めていた少女に、心の中で謝る。
―――申し訳ありませんレディ……わたしでは力になれそうにありません。
どうやってこの質問の解答を彼女に伝えようか、それを思うと今から頭が痛くなってくるカミューだった。
おしまい
テンプルトンが嫌いなわけじゃありません(笑)
とりあえずテンプルトンのファンの方にはごめんなさい
でも今まで書いたどのSSよりも楽しんで書けました
仲間にするときの焼けた砦での彼と
目安箱の投書でこの話を思い浮かべました
書いてみるとまるで戦争ルポライターみたいですね……
カミューさんを使ってるのは当然ここが騎士中心サイトだから♪
2000/03/02