晴耕雨読


 雨がしとしとと降っていた。
 毎朝日の出と共に目覚める男は、大気の濡れた音に起きて直ぐににっこりと笑った。
 雨ならば、今日は休みだ。

 それでもバーツと言う男は午前の間に外に出て畑周りを少しばかり片付けてしまう。雨の日は休みだと自らに言い聞かせていても、身体は働く事を欲するのだろう。どちらにせよ一人住まいで家の中にいようが外にいようが話をする相手もいないし、それならば立ち働く方が気分的にも楽しいと言うものだ。
 昼には畑からもぎ取ってきたトマトを使ってパスタを作った。我ながら上手く出来たと思うが、もっと美味しいトマトソースのパスタを知っているだけに何だか味気もなく。雨天で室内も暗く、僅かに灯した蝋燭のあかりがゆらゆらと揺らめく中で、一人ぼそぼそと食べていた。
 バーツの家はイクセの村の中央から随分と離れた場所にあった。村へ行くよりも畑に出掛ける方が楽である。こんな雨の日は皆同じように家に篭もるから、世界の広がりはとても狭まりを思わせて寂しさがいや増した。
 バーツは食べかけのパスタを前にして、フォークを置いた。
 トマトは美味しい。パスタも村で収穫した麦から作った美味しいものだ。ただ料理人の腕がイマイチなだけだ。
「ごめんな」
 雨の日は身体を休むには良いのだけれど、どうにも塞ぎこみがちになってしまう。
 バーツは頭を上げると、いかんいかんと首を振った。
 そして再びフォークを手に取って食べようとした時。ふとした物音に気付いてその手を止めた。
「あれ?」
 土を蹴る音。
 馬の嘶き。
 ガタン、と音を立てて扉が大きく開かれた。
「バーツ」
 そぼ降る雨の景色を背後に飛び込んできたのは。
「パーシィ」
 フォークを握ったまま振り返りバーツは吃驚して目を瞠る。
「どうしたんだ?」
 来るなんて聞いていなかった。だがもっともな筈のバーツの問い掛けに平服姿の男は首を傾げて苦笑した。
「雨だから、どうせ暇を持て余しているのだろうと思ったんだけどね」
 そうでもなかったかな? と逆に問うてくるのに、バーツはぶるぶると首を振った。
「なら、お邪魔するよ」
 パーシヴァルは笑って勝手知ったるなんとやらで、雨でびっしょりと濡れている外套を脱いで壁に掛けると、そこらへんにある手拭を取って髪を拭く。そして雫を払うとバーツの座るテーブルの正面にトンと腰掛けた。
「お食事中に失礼するけど、食欲ないのかな?」
 フォークで突付くばかりだったパスタを目敏く見つけてパーシヴァルが問うのに、バーツはぼそりと呟いた。
「味がイマイチなんだ」
 するとパーシヴァルは指を出して皿の端のソースを少し掬って舐めた。
「…そうか? あぁ、分かった」
 言うなりパーシヴァルは立ち上がるとフォークを外して皿をひょいと取り上げた。そして台所に向かうと火をおこしてフライパンを持った。
「少し待ってくれ」
「ああ、手直ししてくれるのか?」
「そう。これはね、ハーブが足りない」
 言いながらも熱したフライパンにざっと皿のパスタを移すと箸で掻き回し始める。そして手早くハーブを取り出すとそれを加えてさっと炒めると、再び皿へとパスタを戻した。
「はい、どうぞ召し上がれ」
 カタン、とバーツの目の前に置かれたのは先程とは少し違う、赤いなかに鮮やかな緑が散った湯気をのぼらせたパスタ。ワクワクしながらフォークを取ってそれを口に運ぶと、覚えのある味が口内いっぱいに広がった。
「美味い!」
「それは良かった」
 ゼクセン娘の憧れパーシヴァル様の蕩けるような微笑を前に、農夫バーツはがつがつとパスタを食べる。トマトソースの欠片を口の端にくっつけて、じっと微笑を向けてくるパーシヴァルになんだ?と首を傾げてにっこりと笑う。その欠片を指先で摘んでやるのは更に蕩けそうな微笑を浮かべるパーシヴァルだった。
「ついてるよ」
「ん?」
 摘んだソースの欠片をぺろりと舐めてパーシヴァルは気にせず食べろとバーツを促した。
「ところでパーシィ。おまえ、暇なのか?」
「今日はね」
「そっか。おまえ、そういや雨の日ばっかり来るよな」
 風邪引くぞ?ともぐもぐ口を動かしながら言うのにパーシヴァルは「気をつけるよ」と返した。
「雨の日はね、屋外訓練が中止になるのでね」
「そっか。俺も雨の日は畑に出られないからなぁ」
「うん」
「あー食った食った。ごちそうさん!」
「美味しかったかい?」
「ああ、有難うな! そうだ。帰りにトマト持って帰れよ」
 どいつもこいつも可愛い奴らだぜ、とバーツは太陽のような笑みを浮かべた。パーシヴァルは有難く頂くよと応えて、食事の終了を見届けると持って来ていた袋を取り上げた。防水加工を施してあるそれは、雨の中でも水を弾いて濡れずに済んでいる。その中を探りながら皿を水に浸す背中に声をかけた。
「バーツ、またやってくれないか?」
「んん?」
 振り返ったその顔に、取り出した一冊の本を見せた。するとバーツは「あれ、またか?」と呆れたような声を出す。
「良いだろう?」
「良いけど、俺ぜったい上手く無いって自信あるぞ?」
「それが良いんだよ」
「変なやつだなぁ」
「ははははは」
 笑いながらもパーシヴァルは戻ってきたバーツの手にその本を押し付けた。
「頼むよ」
「うーん……」
 バーツは唸りながらも本をパラりと開いてすぐそこにあるベッドにどすんと座り込んだ。
「えーっと、『むかしむかしあるところに』!」
 気合の入った声で子供の好きな寓話を読みはじめる。それをパーシヴァルは愉快そうに微笑んで見詰めて、大人しく耳を傾ける。
「なになに『立派な王様と、それは美しいお姫様がおりました』…美しいっても色々あるよな」
「そうだな」
 自然に入る呟きに相槌を打ちながらパーシヴァルは笑う。
 実際、こんな風景は雨の日ならいつものことだった。
「続きは? バーツ」
「あぁ待て待て。えっとな……」
 頁の文字列を指先で追いながらバーツは先を読み始める。パーシヴァルは椅子に深く腰掛けながらその様を眺める。窓の外からはあいも変わらず雨の音がしとしとと聞こえて来ていた。



 イクセの村の外れ。
 イクセ出身の今はゼクセン騎士団の六騎士とまで呼ばれるまでになった男の馬が、雨の日には結構な確立で、ひさしの下で大人しく草を食んでいるというのを知る者は案外少なかった。



END


どうですかどうですかパーシィちゃんと農夫!

2002/09/10