師から継いだもの


「だんなさま……」
 執事の心配げな声で、シュウは書類から顔を上げた。
「明かりを持って参りました」
 気が付くと室内は随分と薄暗くなっており、執事の手に握られた燭台の明かり無しには文字すら読めない。 随分とぼんやりとしていたらしい。苦笑を漏らしてシュウは良く気の付く執事から燭台を受け取った。
「済まんな」
「いえ―――。この頃は暗くなってくると途端に涼しくなりますね。窓を閉めましょうか」
「ああ頼む」
 そこで始めてシュウは寒気を感じて眉をしかめた。全く気温すら気にならないほどぼんやりとしていたようだ。
「ああそうだ。ご存知ですかだんなさま。何故か今日河の水門を閉じているらしいですよ。漁師たちは何を考えているんでしょうねぇ」
 そんな事はとうに知っている。漁師たちの仕切り役アマダはムラっ気のある男だ。どうせあの男が水門を閉じたに違いない。
「おや。今日は満月なんですねぇ」
 執事の声に誘われて窓の外を見ると、東方の空にオレンジ色の楕円がぽっかりと浮かんでいる。空は雲ひとつ無い無風状態。日が暮れても代わりに満月が昇るのなら、探し物をするには条件の良い日だろう。気温さえ除けば。
「では失礼します」
 優秀だが唯一お喋りなのが欠点の執事が漸く退室すると、シュウは書類から目を離して椅子に深くもたれ込んだ。
 もっとも書類の内容など何時間も前から全く頭に入っていない。原因は明白。数年ぶりに再会した妹弟子のアップルだ。噂でミューズの戦闘に加担していたと聞いていた。だから目の前に現れた時も、彼女の用件が何か聞かなくてもわかっていた。
 そしてシュウの受け答えも決まっていた。
 不利な相手に加担してどうなる。加わる必要の無い戦に自ら飛び込んでどうする。その上、策を弄して人の生死に責任を持つなどご免だ。なのにあの娘の目を直視できない自分がいた。
 別れる以前のアップルはまだ幼く、子供っぽい真っ直ぐで純粋な彼女をいつも可愛がっていた。そして再会した彼女は、あの頃のまま真っ直ぐな目をしてシュウを見ていた。シュウが決して持ち得ぬ輝きを湛えて。
 だが、不相応の責を負おうとする姿が同時に痛ましくもあり、シュウは苛立ちを覚えて故意に侮辱的な言葉を投げ付けた。なのに彼女は敢えて膝をついて見せた。シュウは堪らず逃げるように立ち去った。以来ずっと避け続けている。結果がどうあれ他に手立てが無ければ、アップルとて命惜しさに逃げ出さないわけには行かない。
 しかし憂えていた通り街でも有名な探偵を雇ったようで、今日彼女は目の前に現れた。当然、シュウも予め対策を立てていた。
 珍しい南方の銀貨は簡単には入手できない。それを見せつけ河に落としたふりをすれば、始めから無いものが見つかるわけも無い。さしもの彼女も諦めざるを得ないのだ。我ながら姑息な手だと思うが、後々アップルもこれで良かったのだと思うに違いない。その小さな肩に背負うには、今回の都市同盟とハイランド王国の戦いは荷が勝ちすぎるのだから。

「だんなさま。お食事の用意が出来ました」
 執事の声でシュウは思考を中断して部屋を後にした。
 広い食堂には大きな食卓。その卓上には豪勢な食事が並んでいる。こんな不安定な時代に、自らの才覚で成り上がった。今後も商人としてなら上手くやれるだろう。この暮らしをわざわざ捨てる必要がどこにある?
「もう水温は低いでしょうが、まだ蛍は盛りでしょうねぇ」
 ラダトの河辺は、蛍狩りに格好の場所だ。
「夏もそろそろ終わりですねぇ」
 執事はそうして寒くなりますねぇと続けた。シュウは食事する手を止めて彼を見た。普段もお喋りだが今日のそれは少し違う。言外に意志を感じるのは気のせいではないはずだ。
「何が言いたい?」
 すると執事は小憎らしい満面の笑みを浮かべた。
「いえ―――。ただ暗くなると外は寒いし、河の水は入るには冷たいでしょう、とね」
 昼のアップルとの一件は、家人全ての知るところだ。家人は皆主に似ずお喋り好きの者ばかりだが、誰もが主の人となりを良く心得ている。帰宅してから皆の視線が妙に冷たいのは錯覚ではないようだ。
「水が冷たいのなら入らなければ良い」
「そうですね。この時期、日が暮れた後もあえて河に入っているなんて、余程のわけが無い限り出来ません」
「余程のわけ、か」
 薄情な兄弟子を心変わりさせる為に、土下座し河底をあさる。シュウの策がそれほど欲しいのか。シュウを手に入れるためにそれほどの事をするのか。
 いや―――違う。ルカ・ブライトが許せないからだ。都市同盟をハイランドに侵されたくないからだ。大切なものを守りたいからだ。その為に、シュウの策が必要なのだ。その為ならアップルは―――。
「馬鹿な」
 シュウは呟いて席を立った。
「もう。いただかれませんので?」
 食事は随分と残っている。
「ああ。もういらん」
 シュウは苛立ちを隠せない口調で吐き捨てると、さっさと自室に引き込んだ。

 アップルが解らない。なぜああまで一生懸命になれるのかその理由が解らない。苛立ちは時が経つにつれて益々募る。
「だんなさま」
 ノックの音の後、控えめな執事の声が扉の向こうから届く。
「どうした」
「上着をお持ちしました」
 入って来た執事は、手にシュウの上着を携えている。
「なんだ。こんな時間に誰か客か」
「いえ―――。お出かけなさるのではありませんか?」
「わたしが?」
 問い返したシュウに、執事は「ええ」と頷くとシュウ自身に目を向ける。
「ずっと外出着のまま着替えられないご様子なので。てっきりまだ出かけられる予定があるのかと思いまして」
「ああ」
 シュウは顔をめぐらせると、己の格好を見た。そうだ。ずっと考え事をしていて着替えるのを忘れていた。全く今日は散々だ。アップルが現れてからすべてが狂いっぱなしだ。こんなに生活と思考を乱されるなんて随分と久々のことじゃないか。そう、マッシュ先生のもとを飛び出した時以来じゃないか?
 苦笑を漏らしたシュウを、執事はおや? と窺う。
「お出かけなさらないのですか?」
 何にこれほどかき乱されている。アップルが来たからか? そうだ。マッシュから破門されて以来、多分ずっと気付いていながら知らない振りをしていた、策士としての自分。そいつが挑戦してみろと叫んでいるのだ。圧倒的不利でもおまえなら出来るだろうと―――。これまでは理性が邪魔をしていた。その理性が今、アップルの出現によって乱されているのだ。だが後ひと押し足りない。このまま突っ走るには何かが欠けている。アップルならその答えを持っているだろうか? あの真っ直ぐな目を持つ娘なら?
「でかけよう。上着をくれ」
「―――はい」
 執事は笑みを浮かべて上着を差し出した。

 河に辿り着いたとき、彼女たちは手足の服の裾を捲り上げた姿で、水位の下がった河の中央で手を取り合って飛びあがっていた。アップルの連れの少女が一際大きな声で騒いでいた。その口が「見つけた」と言っている。
「まさか」
 呟いたところでアップルがシュウに気付いた。
「兄さん」
 アップルの目はやはり真っ直ぐにシュウを見つめていた。
 泥だらけの凍えた姿でも彼女の目は真っ直ぐなのだ。師と同じく―――。この妹弟子はシュウが継ぎ損ねたマッシュの志しをしっかりと引き継いでいたのだ。なるほどシュウが直視できなかったわけだ。師と同じ目なのなら。だが今は彼女の目を見つめ返すことが出来る。
 これからシュウは師から受け継いだ軍師としての才能を、師の志しを備えたアップルを傍らに如何無く奮うのだから。
 そう。あるはずの無い銀貨を彼女たちは見つけた。そしてシュウは約束を違えるような男ではない。少年が差し出した銀貨は間違い無い本物だ。
「?」
 シュウは少年の右手に信じられないものを見た。まさか真の紋章のひとつか。―――これなのか。
 シュウは欠けていた因子を見つけた。これが、この少年の存在があればシュウは突っ走れる。途端に湧いて出る策の数々。シュウは興奮に胸を躍らせた。やることは沢山ある。まずは家人に暇を、それから湖岸の町で船の手配―――。

 そして彼は星の運命に身を委ねた。かつて同じように星の運命に身を投じた師の才を継ぐ者―――シュウ。水滸の伝説にその名を連ねる者。


END



最初はシュウとアップルのお話にするつもりが
シュウの一人舞台になっちゃった。。。

ゲームでは銀貨を見つけたときに河辺にいた彼
その理由付けにこんな話を書いてみました
んでわかった事がひとつ
蛍が出てたので季節は夏だったという――(笑)

2000/02/19