職人として
それはグリンヒル解放直後、森の村へと粘土を探しに行った時だった。
マチルダがハイランドに降伏した直後で、心痛冷め遣らぬカミューだったが、主である少年にどうしても着いて来て欲しいと頼まれれば、着いて行かざるをえなかった。
森の村に着くと、少年が村の奥へ粘土を貰いに行くのだというのを見送って、カミューは宿屋で待つだけだった。実際『瞬きの手鏡』とビッキーの『瞬きの魔法』があれば道程に危険など全く無く、極端な話、少年独りでここへ赴いても何ら問題は無い。
しかしあの軍師が同盟軍リーダーの一人歩きを許すはずも無く、必ず誰か同行させることを少年に課していたので、今回は元赤騎士団長が偶々選ばれたわけだった。
そして宿屋に戻ってきた少年は手に『粘土』ともうひとつ、何やら持っていた。
『音セット7』である。
ここ森の村は音職人コーネルの出身地である。そして彼の妹が独り残って兄コーネルの帰還を待ち侘びているらしい。気を掛けて様子を窺ってみると、兄の忘れ物だと少女に渡されたんだと少年は言った。
ふとカミューは城にいる音職人の少年を思い浮かべる。
確か年齢はまだ十二、三歳だったように思う。その妹ともなれば更に幼い少女なのだろう。それが独りで兄と離れ離れになって暮らしているというのか―――。全く、戦争などあって良いものではない。
憂えて軽くため息を吐き出したカミュー。不意にその手に少年は「はい」とそれを手渡した。
瞬いて少年を見ると、彼はにっこりと微笑んだ。
グリンヒルに行って彫刻師のジュドを仲間に誘ってくるから、先に帰ってこの『音セット7』をコーネルに渡して欲しい。少年はにっこり笑って『瞬きの手鏡』をカミューへと向けた。
呆気にとられながら気付くと同盟軍本拠地の一階ホール。そこにある大鏡の前に立っていた。
「あっれー? カミューさん一人?」
ビッキーが人差し指を唇に当てて首を傾げている。そんな彼女を見てカミューは乾いた笑い声を漏らした。油断のならない少年に気を抜いていた自分が情けない。今はただ手の中の『音セット7』が何故だか重く感じた。
だがあれこれ悔やんでも意味が無い。ここはまず少年の言葉に従って、コーネルの元へ行こうかと足を一歩踏み出した。と、そこで背後から聞きなれた声で呼びかけられる。
「カミュー。いつ戻って来たんだ?」
振り向くとそこにはマイクロトフが居た。
カミューはマイクロトフを連れて本拠地三階のテラスへと向かっていた。そこには苦手な二人組がいる上に、瀟洒な花壇などあってカップルの溜まり場と化しているので、普段足を向けない所だ。
そんな場所に何故音職人コーネルと窓職人テンコウは居るのだろう。しかも時々ムササビが居て人の顔を見るなり飛び立っていくのでなんだか後味が悪い。カミューがマイクロトフを誘ったのは、そんな場所に独りで行くのが少し嫌だったからだった。
「ああ、居られたな」
テラスへ出ると、開いた戸に驚いて鳩が数羽バサバサと羽ばたいた。その先にコーネルの小柄な後ろ姿を見つける。
「相変わらずの場所だなここは……」
呟くマイクロトフは、テラスの一番端に居る二人組を見るなりグッと息を飲んだようだった。彼でさえ、あの二人組は苦手な存在らしい。しかしそれも無理が無いと言えた。
ヴァンサンがシモーヌに誘われて仲間入りした場に、カミューとマイクロトフが二人して居合わせてしまったのは記憶に新しい。数日経った今もその時のわけのわからぬ衝撃は忘れ難いのだ。
「と、とにかくこれをコーネル殿に渡してしまおう」
カミューは唾を飲み込んで、少年に声を掛けた。
振り返った少年は小首を傾げて、騎士二人に対して軽く会釈をする。その穏やかな態度はその年齢にしては随分と落ち着いたものだ。だが、いくら落ち着いていてもこんな年端の行かない少年が戦に参加しているのだと考えると気分が少し沈むカミューだった。
「何かご用ですか?」
大きな瞳を瞬かせるコーネルに、カミューは深く頷いた。
「ええ、これをあなたに渡しに来たのです」
そして取り出した『音セット7』。だが、それを見るなり少年の表情が一変した。カッと目を見開いてカミューの手からそれをひったくると、赤い騎士服の袖を掴んで必死の形相で見上げてくる。
「これを……これを一体どこで!?」
「あ…森の村で、あなたの妹さんから……」
「妹!? 妹に会ったんですかっ??」
皺が寄るほどカミューの服の袖を強く掴んで、がくがくと揺さぶる。そのあまりに必死な様子に呆気に取られるカミューだったが、マイクロトフの手が伸びて少年の手を掴んでそれを止めるに到って我に返る。
「コーネル殿」
マイクロトフにやんわりと宥められてコーネルもハッとする。
「ご、ごめんなさい。ちょっと驚いてしまって……」
少年は一歩下がると手の中の『音セット7』を見下ろした。
「これ、家に忘れてきたもので……それで妹の事を思い出してしまって……」
コーネルは苦笑を漏らして、手の中のそれを撫でた。そして微笑を浮かべてカミューを見上げた。
「妹に会ったんですか?」
「いえ、わたしは生憎と……」
「そうですか」
残念そうに、だが仕方が無いなと言った表情で俯いた少年の、その大人びた態度にカミューは僅かに眉を寄せた。
「コーネル殿」
「なに?」
差し出がましいとは思うが、こんな少年が家族と離れ離れになって暮らすなど、いくら戦時下といえど非常識だ。
「妹さんをこちらにお呼びしてはいかがですか?」
この同盟軍居城には非戦闘員も多く居る。それに軍そのものが強大になるに連れ本拠地も広く機能的となり、今や一都市並みである。幼い少女一人住まわせられぬ環境では決して無いはずだし、呼び寄せたからと言って咎める者もいないだろう。
しかしコーネルはゆっくりと首を左右に振った。
「それは出来ないよ」
「しかし、グリンヒルは解放されたが、今度はマチルダがハイランドに下ったのだぞ。森の村はマチルダに近いというのに……!」
マイクロトフも同じ意見のようで、そう言って少年に詰め寄る。それを少し怯えた風に受けて少年はもう一度首を振る。
「分かってます。普通は一緒に暮らすのが当然だってことは」
「普通は?」
「ええ……でも、僕は……僕の家は―――音職人の家だから」
何かが心の琴線に触れたカミューだったが、それが何なのか直ぐに分からない。僅かに首を傾げて横のマイクロトフ共々黙り込んだ。
それに、実は音職人についてそれがどんな職業なのか詳しく知らない。少年の手にある『音セット』についても、どういったアイテムなのか謎だ。知っている事と言えばドレミの精が関係しているらしい、ぐらいのものだった。
「失礼ですがコーネル殿。音職人とは実際どういった……」
カミューが訊ねるとコーネルは「ああ」と頷いた。
「僕の家は代々音職人の家で、ずっとあの森の村に住んでるんです。あの地域にはドレミの精がいるでしょ? 音職人にも色々あるけど、僕の家に伝わる技法は、ドレミの精に色んな音を覚えさせるもので……あ、この『音セット』には音が封印球みたいに封印されているんですよ」
そして少年は手の中のものを二人に見せる。
「ドレミの精に覚えさせた音を、時と場合に応じて出させる―――これは修行を積んだ者にしか出来ません」
「……そうでしょうな」
なんと言ってもドレミの精はれっきとしたモンスターである。それを手懐けた上に音を仕込むなど、普通なら考えもしない。と、そこでカミューは胸に冷やりとしたものを感じた。
「と、言うことはコーネル殿……まさかドレミの精を……?」
「え? 居ますよ? 何処にってここに」
そして少年は横の花壇の方を振り返った。
「出ておいでブルー、イエロー、グリーン、スカイ、ピンク、それからホワイト」
と、少年の横の茂みからワサッと色とりどりのドレミの精が飛び出した。思わず剣の柄に手をかけた騎士二人だったが、それらに狂暴な気配が微塵も無い事に気付いて、息を飲んでコーネルに纏わりつくそれらを見る。
すると、その中で未だカミュー達が遭遇した事のない色のドレミの精にコーネルは手の中の『音セット7』を示した。
「良かったねホワイト。やっとおまえに音をあげられるよ」
レッドは今リーダーに着いてってるんだよ、と少年は笑う。その言葉にカミューは引き攣った。
居たのか?
まさかずっとこのドレミの精が主である少年の傍に居たというのか?
衝撃の事実に目眩を覚えつつ、横のマイクロトフを見ると、彼は足許でちょろちょろと動き回るドレミの精を見下ろして唸っている。どうやら同じ感想を抱いているらしい。
だが少年は足許のドレミの精を愛しげな眼差しで見詰めている。
「可愛いでしょう?」
にっこりと微笑まれて返答のしようが無い二人だった。
何しろ、ドレミの精はマチルダからグリンヒルへ抜ける森にも生息する。これまで数え切れないほどのドレミの精を屠って来た騎士二人―――可愛いなどとは到底思えない。
しかし、いくら人に慣れているとはいえこのテラスにはドレミの精とムササビと、モンスターが二種類も居たのだ。その事実にカミューはまたもや目眩を覚えた。
「カミュー?」
ふらりと上体を傾げたカミューをマイクロトフは気遣って窺う。差し出された男の腕に縋ってカミューは「大丈夫だ」と囁いた。長く居住していても、未だに謎の多い同盟軍本拠地のこの居城。いちいち驚いて倒れていては身が持たないだろう。そう自らを叱咤してカミューは気を取りなおした。
「それで……何故音職人だと妹さんをこちらに呼べないのですか?」
音職人についてはなんとなく概要は掴めたので、カミューは会話を元に戻した。するとコーネルは首を振って「だから」と人差し指を立てる。
「妹も音職人を目指しているんです。その為にはあの場所でドレミの精に慣れ親しんでおかなければいけないんです」
「だが、コーネル殿はその十二、三歳と見受けるが……」
「僕は十二歳です。妹が幼いと言うんですか?」
「…ええ」
マイクロトフの言に被さるようなコーネルの言葉にカミューが頷く。すると少年はその大きな目を伏せて緩やかに首を左右に振った。まるで何も分かっていないとでも訴えるようなその仕草に、カミューは黙り込んだ。
そして顔を上げた少年は、黙り込む大人二人に首を傾げて困ったような微笑を浮かべる。
「僕はこの年で音職人の修行をするために、ハルモニアへ一人旅をして来たんですよ? 流石に妹には一人旅はさせられないけど、それでもいつかは……」
妹もハルモニアへ。コーネルは呟いて、またドレミの精たちを愛しげに見詰めた。だがカミューは聞き捨てならない少年の言葉に一歩踏み出して少年の顔を覗きこんだ。
「ハルモニアへ一人で行かれたんですか? あなたのご両親はいったい……?」
十二歳の少年が一人で異国へ旅をしたなど、無茶も良い所である。だがカミューのそんな問いにコーネルはふと項垂れた。
「父も母も立派な音職人でした……ハルモニアへ行くように勧めてくれたのも両親でした……でも、僕がハルモニアへと旅立つ前に、二人とも……」
他界したのだと少年は言う。それは気の毒な事を聞いてしまったな、とカミューは己の迂闊さを責めた、だが過ぎった疑問にハッとする。
「ではあなたがハルモニアに行っていた間、妹さんは……」
「ええ、家で留守番をしていました」
「………」
あっさりと答えたコーネルに、二人は言葉を無くす。
「ハルモニアで修行をしながら、心配でたまらなかった……
でもこれも音職人になるためなんだと思って、今回の事だって同じです。妹だって良く分かってるはずです」
そして少年はグッと拳を握った。
その瞬間カミューは曖昧な擬似感に襲われたが、コーネルが熱っぽい口調で続ける様を見るなり、ある記憶が鮮明に蘇って、身をじわりと貫いた暗い衝撃に軽く呻いた。
「でも妹の協力と、ハルモニアでの苦労があったからこそ、
僕は今こうして未熟ながらも音職人として皆さんとここにいられるんです。
そしていつかは父や母のように立派な音職人に……!」
ああ……とカミューは内心で深い深いため息をついた。
これは……この感覚はあの時と同じだ。
そう―――地図職人のテンプルトンと会話した時と同じだ。
彼らに一般常識は通じない。ましてやそれが家族代々ともなれば、常識など有って無きが如しだろう。
カミューは緩やかに首を振った。その口許に自然と笑みが零れる。それは諦めにも似た表情で―――。
そして傍らに立って渋面で唸る男の腕を取り、小さく囁いた。
「行こう、マイクロトフ……」
「カミュー?」
「良いんだ……行こう」
これ以上の会話は無駄だ。彼ら、職人たちとの意志疎通は騎士として生きてきた者にとっては、ただただ難しい。軽く瞑目した後、カミューは息を吸い込むと顔を上げた。
そして、にこやかに微笑んで少年を見据える。
「詳しい事情も知らず、差し出口を言いました。大変なのですね音職人という職業もまた……。それではコーネル殿、わたしどもの用件は以上ですのでこれで失礼させていただきます。ドレミの精を見せていただいてどうもありがとうございました」
淀みなく一気に言い放つと、軽く会釈をする。
「うん。これ、持って来てくれてありがとうございます」
少年は『音セット7』を掲げて年相応の愛らしい笑みを浮かべる。
「いえ、それでは………行くぞ、マイクロトフ」
「あ、ああ…」
そしてカミューは足早にマイクロトフを引っ張るように少年の前から立ち去る。すると背後から少年の元気な声がかかった。
「またね! バイバイ」
と、少年の声に合わせてドレミの精が一斉に不協和音を出した。
その瞬間、鳩が飛び立ち、ムササビが落下し、また薔薇は匂い立ち、奇妙な音楽が幻聴のように耳に届いた。
なのにその場に居る者たちは騎士二人を除いて平気な顔をしている。
異空間と呼びたいそんな中、脳天に来る衝撃にバッドステータス「アンバランス」を引き起こしたカミューは、かろうじてHP減少で済んだマイクロトフにしがみ付きながらテラスを後にした。以後、彼ら二人が、特にカミューが必要以上にテラスを遠ざけるようになった事情を、詳しく知る者はいない。
おしまい
さてこれは「恋の調査員カミューさん」(変なタイトル・泣)を踏まえたお話になります
こんなので良かったですか? さとうさん
探偵の調査で「両親も音職人だった」から両親は他界していると決め付け(笑)
『巨人の星』ならぬ『音職人の星』(爆笑)とかあったりして
幼いコーネルは父に厳しい修行を受け
更に幼い妹は「お兄ちゃん……」と木の影から………(笑)
2000/04/06