50題 色は匂えど
06. 減るもんじゃあるまいし…
海賊ラック・ジュビリーの名はその素性と共に謎に満ちている。大物であるのは間違いない。宇宙海賊の誰もが名を聞くだけで震え上がる。ずっと昔から謎に包まれたかの海賊には嘘か真か分からないが逸話が多くあるのだ。
それでも若く粗暴な連中は古い海賊だと笑い捨てて、まるで正体の分からないその名を大した事などないと思うこともある。しかしそれこそ経験を重ねた用心深い者たちは、逆にそんな彼らを嘲笑う。
宇宙海賊にはルールなど無用だ。しかし、決して犯してはならない禁忌がある。それは海賊課の化け猫に立ち向かうこと。それから海賊ラック・ジュビリーを怒らせることだった。
「俺が怒ってるわけじゃない。そもそも、怒ったことはない」
いかにも面倒そうに男はぶつぶつと言う。
一見して普通の男のようだが、歩み寄る足音が全くなかった。その事に気付いた一人がぞくりと肌を粟立てて後ずさったが、気付かなかった他の連中は怪訝そうに見るばかりだ。
辺境の居住改造惑星にあるとある酒場でのことだ。辺鄙な場所にあったが、海賊たちのたむろする穴場となっている。互いに無関心を装いつつ酒を楽しんでいる者ばかりの中で、若い彼らだけが最初から浮いていた。酒を浴びるように飲みながら大音声で騒いでいる。
けれどもしたり顔で説教をするような者も居ない。カウンターの向こうにいるマスターとて、ただ黙って酒を出すだけである。本来なら静かな酒場である筈のそこは、今だけ騒々しくなっている。それだけのことなのだ。
ところが一人の男がその酒場の扉を開いて、空気が一変した。
たった一人の男だ。しかも大仰な武器を持っているとか、兇悪な顔相であるとか、そういうものは一切ない。しかし。
「ああ、居た」
男の一言で、この店の常連たちは静かに緊張の糸を張った。気付かないのは新参者の連中だけだ。
男はカウンターに向かうと億劫そうにスツールに腰掛けた。
「親爺さん。レジューの熟成ものがあるだろう。一杯くれ」
「いいのかね」
「俺がそいつを空にしたところで、何も言われやしねぇよ。それにそいつは今日の駄賃代わりだ」
「そういうことなら」
男の前に酒の満ちたグラスが差し出される。美しい色合いのそれからは、高級そうな芳醇な香りが立ち上る。こんな辺境の酒場にあるとは思えないような酒である。しかし男はそれを一息で煽ると喉を鳴らしてごくりと飲み込んだ。そしてグラスをカウンターテーブルに音を立てて置くと、やおら立ち上がった。
「やっぱり美味いな。さて、面倒だが仕方がない」
そして男はゆっくりと店の奥で騒いでいる新参者たちに歩み寄って行ったのである。そして言ったのだ。
「俺はラック・ジュビリー」
突然のことに、新参者たちはぴたりと口を閉ざして振り返る。そうするうちにも男は―――ジュビリーはゆっくりと彼らに近付いていく。
「海賊連中の間では俺を怒らせるなと言われているらしいが」
腰に下げたホルダーには大きな銃がおさまっている。しかし彼はそれに手をかける様子もなく、ただゆっくりと歩み寄るだけだった。
「いつも、俺が怒ってるわけじゃない。そもそも、怒ったことはない」
不意に若い連中の中から一人、飛び出して酒場から泡を食って出て行く。ジュビリーはそれを敢えて見逃した。別に、今急いで追う必要はないからだ。何故なら、逃がすつもりなど毛頭ないからだ。
「面倒だが仕方がない。これはバランスのためだ。ヨウメイはバランスを乱すのを嫌う。誰かがそれを乱すといつも俺に命じる。カーリーが俺に伝える。俺は哀れな操り人形だ。怒っているのは俺じゃない」
そしてジュビリーはため息をひとつ零した。
「むしろ誰も怒ってはいない。これは作業だ。おまえたちはついさっき、伝説の海賊ヨウメイ・ツザッキィの名前を出して海賊行為を働いたな? この宇宙でそれをしていいのはヨウメイ本人だけだ。当たり前のことだ。おまえたちは馬鹿か」
ジュビリーが笑う。
「俺はラック・ジュビリー。ヨウメイの手下でも部下でもない。あえて言うなら雑用係かもしれない。しかもそれはヨウメイのではなく、カーリードゥルガーの、だ。ちくしょう、俺はワインの仕込みがあったのに、どうして今こんな何億光年も離れた辺鄙な星系に来る羽目になっているんだ。おまえたちが馬鹿だからだ」
彼の笑みが深くなる。
「俺は怒っていない。怒ったこともない。怒ったところで何があるわけでもないからな。疲れるだけだ。だいたい何が減るわけでもなし、たかが小物が名前を騙っただけで大袈裟すぎる。いや違う。今のは取り消す。大事なことだ。名前は大事だ。そうだ俺はラック・ジュビリー。怒っているわけではない。面倒なだけだ」
一瞬のことだった。
「おまえたちの始末が」
いつそれを構えたのか、分かった者はいない。気が付くと彼の手には大型の銃が握られていて、そして新参者たちを全員一人残らず撃ち殺していた。
それと同時に店の外で爆音が響いた。途端にジュビリーは顔を顰める。
「カーリーめ、こんなところで地上に向けて主砲を打つなんて。後で俺がどれだけ苦労をすると思っているんだ。ちくしょう」
そして彼はそのまま酒場を出て行く。
出て行く間際に銃の出力を調整して、自分が撃ち殺した連中を分子分解していくことも忘れない。塵ひとつ残さずに綺麗にしていく。
彼の名はラック・ジュビリー。
怒らせてはいけない海賊の名だ。
2008/10/07