50題 色は匂えど
23. 昔も今も
刹那の静寂。
聴覚に滑り込んできた音声。
一瞬だけ蘇った眼差し。
「銀さん?」
新八の声に銀時は咥えていたスプーンを歯で噛んで、くんと揺らした。
「パフェ、食べないんですか」
珍しい、いつもなら喋りながらでもあっと言う間に食べちゃうのに、と。新八の言葉に、ぺっとスプーンを吐き出した。
「なにこれ甘さが足んないよ? 俺はべたーっと甘いチョコパフェが食いたいってーのに、なにこの甘さ控えめほんのり苦味の大人パフェって」
珍しく高額報酬を得た万事屋は、三人揃って外食の運びとなっていた。神楽はメニューの端から端までを食べつくして今は満足して、膨らんだ腹を天井に向けて寝転んでいる。銀時はデザートだと言って三つめのパフェに手をつけたばかりだった。
「最近はそういうのが流行ってるんですよ。ダイエットブームって言うんですか? 糖分控えめで甘くないのが良いって。銀さんも糖尿気味なんだからそういうの食べてれば良いんですよ」
「糖分控えてどうすんの。主張してこその糖分でしょーが。青年の主張なみに恥ずかしいくらいに主張してくんなきゃ駄目でしょーが。思春期の少年ですか、控えめに電柱の影から好きな子を見つめるだけで満足しちゃいかんでしょーが」
「はいはい。でもパフェはそれで最後ですからね、もうおしまいですからね。神楽ちゃんがまた食べたいとか言い出す前に店出たいんですから、ちゃっちゃと食べちゃって下さい」
「んだよー」
「って早っ! もう食い終わってるし!」
愚痴を言いながらも高速で往復運動をしていたスプーンは、いつの間にか硝子の器をすっかり空にしていた。
「んじゃ、出ますかね……っと。神楽ー、ほら起きろー」
「んー眠いアル。銀ちゃんおんぶ」
「甘えるんじゃないの。ってーか銀さんこの後用事あるからね、お前らは先に帰りなさい」
腰を上げてさっさと店を出ようとする銀時に、慌てて立ち上がった新八が後を追おうとするが、寝ぼけ眼を擦る神楽を放ってはいけない。
「ええ! どこへ行くんですか。まさかお金が入ったからってパチンコじゃないでしょうね。だめですよ、それはお登勢さんに渡す家賃なんですから!」
さっさとレジで清算を済ませた銀時は、軽くなってもそれでも普段よりはまだ重い財布を軽く振る。
「わーってるって」
「ちょ、銀さん! あぁもう! 神楽ちゃんてば」
子供二人を店に残して、銀時はふらりと表通りを歩く。空は晴れて、爽やかな陽気と微かに吹く風が心地良い。
そうして歩き続けて、いつの間にか銀時は人通りの少ない路地裏へと来ていた。
「やれやれ」
立ち止まり、背後を窺えばさっと身を影に潜ませる気配に苦笑が浮かぶ。
「なんだかねぇ。このご時勢にやたらと物騒な気を撒き散らしてくれちゃって」
時代遅れも甚だしいよ、と呟くと、銀時は腰の木刀にそっと手を添えて身体ごと完全に向き直った。
「出て来い。用があるなら言えよほら」
銀時の言葉に、影から出てきたのは痩せぎすの神経質そうな男だった。年の頃は銀時とそう変わらないようだが、こけた頬のせいか十は老けて見える。そして隈の酷い落ち窪んだ眼窩からは、病んだような眼差しがぎらぎらと見据えてきていた。
先ほどの店からずっと銀時に張り付いていた目だった。
「白夜叉、だな」
「あん?」
目を眇めた銀時に、男は細く尖った指先を銀時に突きつけた。
「その銀髪、その目。俺は知ってるぞ、見たんだ……忘れもしない。貴様、攘夷志士の白夜叉だろう!」
「あー……」
男の言葉に銀時は空を仰ぐ。
「そっち?」
かくん、と脱力したように肩を落とす。
「なんだよ、俺ぁてっきりヅラか高杉の馬鹿のとばっちりかと思っちまったじゃねーか」
宇宙海賊『春雨』と一戦ならず二戦三戦と交えた覚えのある銀時は、すっかり連中にその存在を知られており、指名手配中の攘夷派である桂と共に狙われている身だ。時折それで時も場所も構わず襲われたりもしている。
いつでもあっさりと返り討ちにしているから、今回もそうなるだろうとわざと後をつけるままに任せていたのだが、なかなかかかってこないので不審には思っていた銀時であった。
どうやらこの男は『春雨』や攘夷浪士などというそれ以前の因縁から銀時を追ってきたらしい。
「悪ぃがそういう事なら、ごめん、帰るわ」
今現在も堂々と爆弾テロを実行している桂などと違って、銀時は単なる一般市民である。攘夷だなんだと言う輩とつるむ気も絡む気もない。くるりと踵を返すと億劫そうに片手を振って路地裏の先へと歩き出す。しかし、その細い路地裏に破裂音が響いた直後、頬を掠めるように何かが過ぎていった。
視線の先の壁には銃弾がめり込んでいる。殺気立って銀時は男を振り返った。
「こっちは帰るって言ってんだろーが」
「……白夜叉が、なんで生きてるんだ。死んだって、仲間の攘夷志士に裏切られて死んだって聞いたのに!」
「だったら死んだんでしょーが。そう聞いたんならそれ信じてね、俺関係ないってことで、じゃ!」
しかし再び歩き出そうとしたところ、ゆっくりとだが確実に向けられた銃口に銀時の足が止まる。
「おいおい」
木刀に再び手をかけて、銀時は男を睨む。
「お前が何を守りたいのか知らねぇが、そいつは誰かを消さなきゃ守れないもんか? 俺をどうしてもぶっ潰さなきゃならないもんなのか」
「死んだって聞いたから……だから江戸に戻ってこれたのに。なんでこんなに攘夷志士が生き残ってんだよ……! 俺は、俺は死にたくない!」
「ああ?」
「俺だって、俺だって好きで内通したんじゃない。どう考えたって天人が勝つって分かってたじゃないか。幕府だってもうとっくに……! 俺は、あんな負け戦で死にたくなかっただけなんだ! だから俺以外、皆死んだのに!」
「ああ、全部、失くなっちまったよ」
「なのにどうして白夜叉が生きてるんだよ!」
「……生きて、ねぇよ?」
銀時は小さく囁くように言った。
「生きてなんか、いねぇよ。全部この手をすり抜けてって、残ったのは地面引っかくだけの両手だけじゃねぇか……」
一瞬だけ、己の掌を見下ろして、銀時は嗤った。
そのほんの僅かな間を置いて次の瞬間、銀時は木刀を抜き放ち男との距離を詰めるとその手にあった銃を打ち落としていた。
「がっ!」
「おっさん。もう馬鹿な真似すんじゃねーよ? 時代は変わったんだ、戦はもう終わってる」
足元に落ちた銃を拾い上げると、銀時はそれを懐に入れて今度こそ男に背を向けた。
だが、路地裏を出たところで、またその足が止まった。
「何してんだ、ヅラ」
銀時の呆れ声に応じたのは、現役テロリストの桂だ。
「ヅラじゃない桂だ。いやなに、幕府にも協力者がおってな」
「ああ?」
「攘夷戦争の折りに幕府と通じてその後、天人との外交の要職に就いた男の話を聞いたのだ。長らく江戸を離れていたそうだが、このほど戻ってきたのだと」
「ふうん? で?」
「そいつは、我らの身近で戦っていた者のひとりでな、以前の仲間の亡霊を酷く恐れているそうだ」
「俺やお前の顔を知ってるってわけか」
「そうだ。で、歌舞伎町のあたりでその男を見たという情報が」
それで銀時の周囲を張っていたのだろうか、と考えて顔を顰める。
「……銃で撃たれそうになったっつーの。冗談じゃーありませんよ? こっちは真剣にパフェ食ってたっつーのに、そこ邪魔されてよぉ」
「後はこちらに任せてもらえるだろうか」
「どうすんの」
「どうもせん。黙って幕府に返すさ……ただし二度と俺たちの前に現れんように釘は刺してな」
「好きにしろ」
それきり会話はしまいだとばかりに銀時は手を振る。だが。
「銀時」
呼び止める声にその足は一歩を踏み出さず留まる。その背に桂は真剣な眼差しを向けた。
「共に、闘わんか」
「いい加減しつっこいね、ヅラ、お前も」
「ヅラじゃない桂だ。幕府の中身は殆どがあの男のようなものだ。信念も力もなく、ただ天人の言いなりになるばかりの腑抜けた連中ばかりだぞ。そのような者どもが導く国にどんな未来があるというのだ」
「あー、お前が何をやるのも良いよ? でも俺は、そんな面倒くさい事ぁやだよ」
「銀時!」
桂の呼ぶ声に、銀時は背を向けたまま手を振った。そしてゆったりと進む足音に、桂の声は遠のくばかりだ。
「お前のような男が居てくれれば良いと、俺は本当に思っているのだぞ銀時!」
桂の言葉の裏に潜むもの。
それを分からない銀時ではない。
白夜叉として名を馳せた強者だから望むのではないと言う。
ただ、戦を終えて一人去って、この天人の跋扈する江戸で普通の暮らしをしている銀時だからこそ、望むのだと言っているのだ。
あの頃とは違う闘い方をしている桂にとって、そんな銀時こそが必要なのだと。
けれども。
「馬鹿野郎が」
陽気の下を歩きながら、燦々と輝くお天道様を見上げて銀時は呟いた。
昔も今も。
何ひとつ変わってなど居ない事を、自分だけは知っている。
白夜叉と呼ばれていても、万事屋銀ちゃんと呼ばれていても、中身は何ひとつ変わってなど居ない。
守りたいものも、剣を持つ意味も。
「そんな奴に何ができるってんだかね」
呟きはしかし、高い空に吸い込まれて、誰に聞かれることなく風に吹かれて消えていった。
「あ、こいつ捨てんの忘れてた」
懐の銃を思い出したのは、パチンコ台のまん前での事だった。
2009/02/22 銀魂