50題 色は匂えど
26. 残り香

 目が覚める。
 眠っていた寝台の上で、カミューは何故かその身を壁際に寄せて寝ていた。半分使われていないその場所は、そっと掌を這わすとひんやりと冷えていた。
 薄情な男である。
 決して、この部屋で朝まで過ごす事のない男だ。
 横たわったまま首を巡らせると、薄布を垂らした窓から白い光が零れているのが見えた。眩しさに目を細めると、突き抜けるような青い空がそこにあった。今日も良い天気だ。
 ゆっくりと身を起こすと喉に鈍い痛みを覚えて顔を顰めた。
「…………」
 試しに声を出してみると、それは見事に掠れて音にもならなかった。挙句に咳き込んだ弾みで身体の節々、特に腰から下の関節がギシギシと軋むような痛みを感じた。
 やはり酷い男だ。
 散々、喘がせて身悶えさせて、挙句に決して共寝をしない。
 これはきっと彼にしてみれば惰性なのだ。
 若い頃の、過ちから続いた単なる行為。
 そこに情はあっても愛はない。カミューが止めたいと言えば、止めるだろう。そんなことは絶対に言わないけれど。
 だから肉体的な負担を軽減させる前戯はあっても、後戯はない。挿入して、抜き差しして、果てれば、それでおしまいだ。当たり前だ。二人の関係は恋人などではない。むしろ甘い言葉など囁かれると逆に気味が悪いだろう。
 しかしこういう関係を、友情と呼ぶのかと言えば、懐疑的だ。普通、友人とは寝ない。
 だったら何故。
「………」
 やはり惰性なのだ。
 うんざりするような結論に溜息を吐く。何十回何百回と自問自答した筈なのに、それを考える事を止められない自分の情けなさに、溜息は長くなる。カミューはそのまま敷布に突っ伏すように再び横たわった。
 だが、その途端に思わず泣きそうになった。
 残り香が。
 冷え切った筈のその場所から、確かにマイクロトフの匂いがした。彼が昨夜間違いなくこの場所に居たというその証。惰性でもなんでも、確かにカミューを抱いたという記憶を裏付ける、根拠。
 愛情でも友情でもないのだとすれば、この関係はなんなのか。
 マイクロトフにとっては惰性かもしれない。けれど。
「………」
 カミューにとっては、望んでの行為だった。
 いつも震える心を叱咤して彼を誘う。友人の気安さを利用して騙す、錯覚させる。彼の中にある情を使って、自分のこの浅ましい望みを叶えさせている。
 薄情なと酷いなと、罵る権利すら本当はないものを。
 こうして残り香に触れるだけでも幸福であるはずを。

 カミューはその場所に頬を寄せて目を閉じた。
 先程見た青い空が、彼の纏うそれと重なって、たまらなく愛しく思えた。




 わがこひは むなしきそらに みちぬらし 思ひやれども ゆくかたもなし

2008/02/17 青赤