50題 色は匂えど
32. 二人はいつも
妙な二人組だと、思いながらバーテンダーはポーカーフェイスのままグラスを拭いていた。
どこかの商社の上司と部下、というのではない。
紳士然とした四、五十代の男は、センスの良い三つボタンのシングルスーツに、理知的な細いフレームの眼鏡がいかにもインテリらしい。漏れ聞こえてくる口調も丁寧で穏やかだ。
対する相手の男は、短く刈り込んだ髪は能動的で、Tシャツの上にアーミータイプのジャケットを羽織っている。そして口調は体育会系で、十以上は年が離れているのだろう隣の男に対してとても腰が低い。
インテリのほうはギムレットを、体育会系のほうはバーボンを飲んでいる。
ふと、インテリの低く優しげな声が聞こえてきた。
「ギムレットはあのチャンドラーの小説『長いお別れ』に出てくる有名なカクテルなんですよ」
す、とインテリはカクテルのグラスを持ち上げて、目元を笑みに滲ませた。
「I suppose it's a bit too early for a gimlet. ギムレットには早すぎる……マーロウの友人テリーが彼に向けて言った、実に意味深い言葉です」
「へぇ〜」
流暢な英語だった。そして隣の男は明らかにその作品は未読なのだろう。感心しながらもどこかポカンとした顔をしている。
「君も、いつかこれを飲むこともあるでしょうね」
「え、俺がっすか」
「ええ」
インテリの言葉に、バーテンダーはふと片眉を持ち上げた。それこそ意味深な言葉ではないか。
作中ギムレットは頻繁に登場し、作品に色を添えている。そして結末に思いもよらぬ味付けをするのだ。なによりもマーロウとテリーの友情を暗示させるそのカクテルは、二人にとって互いを思い出させる強烈なアイテムになる。
テリーがマーロウに言う。
自分のためにギムレットを飲んでくれ、と。思い出深い場所までも指定をして、友情の証を示せとでも言うように、マーロウにそれを頼むのだ。
とすると、少なくともこのインテリは傍らの男に対して友情を感じているという事になる。
年も離れているし、どうやら立場も趣味も何もかも違うように見えるのに、不思議なものである。
「でも、いつでも飲めるじゃないっすか?」
「そうですね」
どういう意味だ? と笑顔のままきょとんとしている傍らの男に、インテリは穏やかに微笑んだまま、ギムレットを味わう。
「なかなか良いお味ですね」
そっとバーテンダーに眼鏡の奥から視線が送られてきた。軽く会釈をする。
「あ、なんか俺もそれ飲みたくなってきたかも」
「今夜は止めておいた方がいいでしょう」
「えー、なんでですか」
「まだバーボンがあるじゃないですか」
「そうですけど」
不満げな顔を隠しもしないのに、男はギムレットを頼む気配がない。飲みたいと言ったわりには諦めが早い。
「また今度、この店に来たときに飲めばいいじゃないですか」
「そうっすね」
インテリの言い分は理不尽だ。しかし男は納得している。むしろ、次は飲んでもいいと許可をもらったらしいことが、何故だか嬉しそうだ。
やっぱり、妙な二人組だと思った。
まさかこの時は、この二人が警視庁の刑事とは思いもよらなかったし、彼らの名前も酒の趣味もまだ全然知らなかった。
ただこの時感じた彼らの妙な位置関係は正しかったようだ。
結局、二人はいつも連れ立ってやってくるのだが、インテリは何度かギムレットを注文する事があるのに、体育会系の男の方はいつきてもギムレットを注文する事はなかった。
きっと、インテリが「飲みますか」の一言でも言えば、あっさりと注文するに違いないのだろうけれど。
2006/12/16 I棒