50題 色は匂えど
34. 得がたいもの
聖夜の贈り物には何をくれる? と、カミューがそうマイクロトフに訊ねて来たのは三日前のことだ。おまえは夜会に呼ばれているし、俺は朝から特別警戒任務で、お互い一日中忙しくてそれどころではないだろうと、そう答えたきりだった。
色気のない、とぶつぶつと呟いている親友に、何が色気だと吐き捨てたのはマイクロトフだった。
この親友が何をトチ狂ったか、好きだ愛しているとマイクロトフに告白してきたのはもう半年も前だった。最初は冗談かと思ったがどうやら本気らしいと思い始めたのは、それから三ヶ月ほど経った頃だ。
街で偶然遭遇した暴漢を取り押さえた際に、ちょっとした傷を負った。大したことはなかったので治療もせずに放っておいたら化膿して城の医者にこっぴどく叱られたのだが、それがどうしてかカミューに知られて、笑顔の消えた顔で胸倉を掴まれた。
―――青騎士団長の癖に自覚が足りないっ! それに、団長としてだけじゃない、おまえという人間がどれほど貴重で大切で失えない存在だと私が思っているか、当のおまえは全く分かっていない!!
珍しくも激昂したカミューの言葉が、胸に痛かった。
しかしカミューがそんな風に心情をあからさまに吐露したのはその時くらいだった。それ以外は冗談交じりだったり、何かのついでだったりと、からかうように軽口のように好意を告げるだけなのだ。
今回だって、贈り物はなんだ? などと期待するような事を匂わせるくせに、実のところ少しも期待していないような顔をしている。
あの激昂の一件から更に三ヶ月。
聖夜の粉雪舞う寒空の下でマイクロトフは白い息を吐いた。
それから数分後、意を決したようにマイクロトフは、夜会の会場となっている貴族の私邸の、その大広間の扉を開いた。
ざわりとざわめいた会場の気配に、カミューはふっと顔を上げた。
「どうなさったの、カミュー様」
傍らの女性がたおやかに微笑みかけてくる。
「いえ。何か様子が―――ッ」
視界の中に飛び込んできた彼の姿を、一瞬で意識が拾い上げる。こんな場所に居る筈がないのに、見間違える筈もない。そして呆然としているカミューの前に、彼は立った。
外は雪なのか、その白いマチルダ騎士団士官用の外套の肩が薄っすらと濡れている。そして同じくしっとりと濡れた黒髪がシャンデリアの灯りをうけてきらきらと煌いていた。
「マイクロトフ…?」
しかしマイクロトフはカミューから視線を逸らすと、傍らに居た女性に穏やかな笑みを向けた。
「失礼、この男を連れて行きたいのですが構いませんか」
「え、ええ、勿論ですわ。マイクロトフ様」
女性は夜会では滅多にお目にかかれない青騎士団長に呆気にとられながらも頷いた。途端にマイクロトフの腕が、赤騎士団長の正装に包まれたカミューの背に回り、小さな声で「行くぞ」とその場から連れ出そうとする。
「え?」
「外に馬車を待たせてある。帰るぞ」
「どうして? 何か危急の変事でも」
「いや」
「だったら」
「良いから黙ってついて来い」
そして外に出ると途端に身を切るような寒さが全身を覆う。出口で屋敷の執事から受け取った外套の合わせを慌てて閉じた。こちらはマイクロトフのような軍用ではなく、私物である。華やかな容姿とは裏腹に落ち着いた色合いのオーバーコートであった。
もっとも、使われている毛皮は希少種の山羊のもので、軽いのに暖かい一級品の代物であるが。
馬車はすぐそこに横付けされており、カミューはマイクロトフに言葉もなく押し込まれる。そしてマイクロトフが乗り込むなり車輪が音を立てて転がりはじめた。マイクロトフはそして小さな窓から夜の街並みを睨むように見下ろしながら、腕を組んでじっと黙っている。
暫くして、沈黙に耐え切れなかったカミューは口を開いた。
「いったい、なんなんだ? 今夜はそれでなくても一応重要な夜会だったんだけど」
赤騎士団長としてマチルダ騎士団の顔として、領内の有力者との繋がりは絶対に必要である。一言二言の挨拶だけでも随分と違ってくるものだ。
「心配は無用だ。お前の代わりに白騎士団の副長がもう来ている」
「いつの間に」
「とにかく、おまえは休め」
「え?」
きょとんとすると、ずっと横を向いていたマイクロトフが正面を向いた。その表情は苦りきっている。
「熱があるくせに、ずっと立ちっぱなしで膝に来ているのではないか?」
「……告げ口したのは、副長かな」
「誰でも良い。無茶をして倒れられては困るのはおまえだけではない」
「はは。まさかマイクロトフに無茶を諌められるとはね」
「意外だとでも言うつもりか?」
「そうかもしれないなぁ」
苦笑を浮かべてカミューは俯いた。
目の前の、この親友をカミューは好きだった。愛していると言っても良い。けれどその想いは返される事なく、二人の間で宙ぶらりんになっている。けれどそれでいいと思っていた。自分がマイクロトフを好きだという事実さえあれば、それだけで良かった。
返されなければ意味のない愛に価値などない。
けれどそんな気持ちが些か自虐的なものを含んでいたようだ。思えばこの親友は、友情だけは溢れんばかりにカミューに注いでくれていたものを。
ところが。
「……だぞ」
ふとマイクロトフがぽつりと呟いた。
「え?」
「おまえだって無自覚だぞと、言ったんだ」
「何が?」
「自分がどれほど貴重で、大切で、それからなんだったか。……ああ、失えない存在か、だったな」
顔を上げると、愉しげに目を細めて自分を見るマイクロトフと目が合った。
聞き覚えのある台詞だと感じてすぐ、それが三ヶ月前に自分が口走った言葉だと思い出す。
「カミューは、自分自身の価値を分かっていないな。それがどれほど得がたいものか、少しも知らずに、不用意にそれを俺の前にぶら下げる」
「マイクロトフ…?」
「俺が、どれだけ『我慢』していたと思うんだ。それをおまえはあっさりと―――」
責めるような口調なのにマイクロトフの声は愉しそうで。いったい、なんなのだろう。マイクロトフは何をカミューに言おうとしているのだろう。
「贈り物は何だと聞いたな? 俺だけがおまえに贈るのは不公平だから、おまえも俺に寄越してくれるのなら、やっても良い」
「なに……?」
「俺は欲張りだ。一度手に入れたら絶対に手放せない。だから俺は友情だけで『我慢』していたのだがな。そんな俺の忍耐をおまえは何をトチ狂ったか、完全に無駄にしてくれた」
「何を言っているんだ?」
怒られているのだろうか、しかしいったい何に対して怒っているのか。考えようとするとわけのわからない感情が溢れそうになって、胸が苦しくなる。これは、どういう事態なのだろう。
「拒否すれば二度と手に入らない。だが受け入れたなら二度と手放せない。これはそういうものだ。得がたくて、大切で、決して失くせない」
マイクロトフは馬車の揺れの中、車輪の振動と音とが包む中で、驚くほど静かに―――けれど明瞭な声で告げた。
「俺の、愛情を。おまえの愛情と引き換えに、贈るといったら。カミュー、おまえはどうする」
返事など、決まっていた。
2006/12/23 青赤青