「異質性の際立つ一因」      ハノイ(ベトナム)  '95 . 8

「とっても暑そうだね」

 対面の中国人風のおじさんが話しかけてきた。ここは、半分屋台のようなPHO(ベトナム風ラーメン)の店。長い机の両側に長い椅子があるだけなので、相席が当り前だ。

 「本当に暑い。このソースはスパイシーすぎるよ!」

 私は、香辛料と知らずに、辛い汁を大さじのスプーンに入れ、そのまま飲んでしまったのだ。暑くなるに決まっていた。

 彼はすぐ近くに住んでいるビジネスマン。ハンバーガーやらサンドイッチやらを扱っているそうだ。名をDatという。3人いる子供のうち、8歳の長男を連れて夕食に来ていたのである。                                   

 「君は何才だい?」と聞くDat。

 「あなたには、何才に見えますか?」

 私はいつもそう聞くことにしているが、今回は最年少記録を塗りかえた。

 「うーん…17歳くらいだろう?」

 どうも私は年齢不詳である。昨日の物売りの少女の答えは27歳だった。同様に私が彼の年をあてることになった。

 「30代だろう。35歳だ。」

 彼は笑いだした。おかしくて仕方がなかったようだ。

 「私は45歳だよ。お互い、随分若く見えたもんだね。」

 お互い上機嫌で、狭い屋台に長く居座ってしまった。

 それにしても、なんでみんな英語がうまいんだろう。Datは、仏語は宗主国時代に習っているためペラペラだというが、英語は習い始めてまだ1年だそうだ。

 「君は何年勉強しているんだ?」

 「7年以上にはなる」 

 答えるのがとても恥ずかしかった。

 実際、中・高・浪人で、併せて7年もの長い間、勉強しているんだ。しかも、成績だって超トップクラスを自負している。それでも、彼よりも私の方が明らかに英語が下手だった。私は何度か聞き返さないと、彼の言っていることが完全に理解できなかった。

 私は弁解した。「日本では、いくら学校で勉強しても、英語をしゃべれるようにはならない。私は、英語を読めるし、書けるけれど、聞き取れないし、うまくしゃべれない。それに、日本では、日常生活において英語は必要ないんだ」

 Datには、よく意味がわからなかったんだろう。不思議そうな顔で私を見る。私には、『それなら、なんで学校なんて行くんだ』とでも言っているように見えて仕方がなかった。

 物売りの少女も、学校に行っていないのに、私よりも英語がうまかった。確かに私の方が、普段、滅多に使わないような単語は知っているかもしれない。イディオムも知っているだろう。しかし、実に簡単なことを言えなかったり、聞き取れないので、コミュニケーションに支障を来す。語学を学ぶ目的の第一はコミュニケーション能力を身につけることだ。私はそう思う。

 Datは親日家だった。「日本へは、是非とも行ってみたい。でも、日本は本当に高い。今の私には、とてもそんなお金はない」

 日本は本当に暮らしずらいし、旅行しずらい国だと思う。異常な物価高だし、旅行者から見れば、一般社会で英語があまり通じない。

 私が、国内外のユースホステルを旅して思うことは、日本には外国人観光客が少ないことだ。同じユースホステルでも、外国では様々な人種が入り乱れているのに対し、日本のユースは日本人専用の気配がある。日本人の海外旅行者は、年間1千万人を優に超しており、日本の出国者と入国者の割合は10:3。気候が良い国の割には、日本人の出超=外国情報の入超が激しい。一方、インターネットのアクセス件数でも、日本は大幅な情報の入超状態。

 世界中をチープに旅するバックパッカーが日本を避けるのは、まずコストの面から説明できよう。私が93年にニューヨーク、ワシントンを旅した時に泊まったユースは、一泊10ドル前後であった。場所は勿論、市内の一等地。ユースホステル研究会の知人によれば「欧米のユースの相場は、シーツ代などを入れても10ドル〜15ドル」だそうだ。

 しかし、日本のユースだけはそうはいかない。4千円くらいになってしまう。これよりも安く泊まることは、日本では不可能に近い。カプセルホテルでも大差はない。

 しかも、移動するとなれば、もう詐欺にでもあっているような破格の交通費をとられる。食費も高い。空港やレストランで、ジュース一杯3ドルもとるような国に、誰が好き好んで旅をするのだろう。3ドルと言えば、カンボジアでは1泊できてしまうし、襟着きシャツも買える。インターナショナルユースも、あるにはあるらしいが、数が少ない上に、そこには一般の日本人バックパッカーはあまりいかない。

 これでは、日本の生情報が外国に知れ渡る機会は少なくなるばかりである。

 日本の勘違い甚だしい英語教育、そして外国人に不便な国内体制の結果としての外国情報の入超。この2つが果たして、広範な意味での国益にどう影響してくるのか。少なくとも、日本の国際化を阻み、異質性を際立たせている要因の1つと見なして良いだろう。フェイスツーフェイスのコミュニケーション不足は、疑心暗鬼、囚人のジレンマを生み、日本の国益だけでなく、国際社会の安定をも阻害する可能性がある。実際、私はベトナム、カンボジアを旅する前と後で、そのイメージは全く違ったものになり、両国に親近感を持った。

 デジタル情報の行き交う現代において、相互のコミュニケーションは重要性を増すだろう。人の心は金で買えない。いくら円高になろうと、日本のことを理解する人間が増えるわけでもない。

 語学教育における会話(コミュニケーション能力)重視は、早急に取り入れるべきだ。欧米の場合、母国語がラテン語から派生したという共通点がある上に、多くのヨーロッパ人は小学生のころから英語を習う。だから母国語と英語がペラペラの人が多い。だからこそ欧米人は旅先でもコミュニケーションが簡単にとれる。語学は頭が柔らかい時から学ぶほどいい。日本語と全く共通点のない英語が、日本の小学校の科目にないのはおかしい。

 その他、留学生の徹底した受け入れ、そして外国人バックパッカー(エコノミー旅行者)特別優遇制度など、政策的な解決はいくらでも可能だ。外務省、文部省、政治家といった、バックパッカーとは無縁なエリートたちは、その必要性を肌で感じることはない。国益を考えるべき彼等が、水面下で進む深刻な事態に気付いていないのは憂慮すべきことである。

 Datは、勝手に私の分までお金を払ってしまった。よほど気分がいいらしい。FHOとサトウキビジュース2杯で8千ドン。日本円にすれば80円弱ではあるが、異国で知り合ったばかりの私に対してのこと。嬉しいものだ。果たして、こういった場面は日本で有り得るのだろうか。

 Datは、自分の住所を書き残し、「遊びに来てくれよ!」と告げて、帰っていった。

 一方、その店を気に入った私は、常連になって4回も食べにいったのであった。


※沢木耕太郎著「深夜特急」でも、似たような場面があった。アフガニスタンのカブールにて、筆者は、宿のマネージャー、カマル(21才)に話しかけられる。

「おまえは英語をどこで覚えた」

「日本の学校でだ」

「どのくらい習った」

 中学から大学までだから約10年になる。私がそう答えると、カマルは弾けるように笑い出した。

「それで10年か」

 


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