「LOVE&LOW」        オークランド(ニュージーランド) '94.3

 つたない英語で議論していた。相手の名は、ヘイドン・キングダム。数分前に、「ミッション・ベイ」に隣接する公園で出会ったばかりだ。ヘイドンは、長髪で十字架を首にかけており、一見ヒッピー風だが誠実な男だった。

「君はツーリストか?国籍は?何をしているんだ?名前は?」

 オークランドに着いて間もない私は、ごくありふれた会話でも現地人と話せるのが楽しかった。「あそこでウインドサーフィンをやっているから、それを見ているのさ」。

 一通りの会話が済むと、ヘイドンは切出した。「ところで、君は神を信じるかい?」

 なあーんだ。そういうことか。要するに、彼はキリスト教プロテスタントの信者で、布教活動中だったわけだ。

「あなたは、地球が神により造られたのではなくて、自然にエボルブしたものだと、本当に思っているのかい?」

「勿論。」

「じゃあ、人の魂は死んだ後、どこへいく?」

「どうにもならないよ。死んだら終わりだ。」

「どうして君は生きていられるんだ?」

「おれが生きていられるのも、神の力だっていうのかい?」

 当時の私の宗教に関するイメージといえば、うさん臭くてインチキっぽいのが多いけど、争いの耐えない世の中を平和に保つには有効な一つの手段だな、くらいに思っていた。何しろ、祈っているだけで幸せになれるのだから。

 小一時間ほど議論していると、日が暮れた。私はまだ今日の宿を決めていない。「ユースホステルはどこにあるの?」「それなら、うちに泊っていくといい」。結局、ヘイドンの家で続きをすることになった。宗教に関しては興味があったので、この男ともっと話してみたかった。私と同年齢で気も合った。

  ◇ ◇ ◇

 ヘイドンは、既に1年前に結婚していた。相手は一歳年下、当時19歳のプロテスタント信者で、名をダマリスといった。今は2人でヘイドン家の一階に住んでいる。私は、キャンピングカーの居住スペースをそのまま貸して貰えることになった。

「自分の家のようにくつろいでね。いつまでいてもいいのよ」。両親も家族ぐるみで迎えてくれた。特に消化しなければならぬ予定などなかった私は、遠慮なく、しばらくのあいだ、居させて貰うことにした。

 ある日、ヘイドンが「友達がたくさん来るから、一緒に行こう」というので、ついていった。10人ほどの若者が、誰かの家に集まり、ホームパーティーでも始まるのかと思いきや、それは聖書の輪読会だった。毎週木曜にやっているのだという。ギター片手にやってくる者もいて、何やら陽気な雰囲気だ。ギターで演奏できる宗教歌があるのかどうかは不明だが、それらしいものを歌っているようだった。

 輪読では、まず1人が、聖書のあるフレーズを読上げる。ほとんど暗記していると見えて、ものすごいスピードだ。その後に、皆が続けて読上げる。その繰返しだった。私はあっけにとられてその光景を眺めていた。皆が、満足そうだった。

 毎週土曜は、教会に行く日だった。その会場となっていたホールには若者ばかりが集まり、派手なバンド演奏などもやっていた。宗教の儀式的なものというより、お祭りに近かった。教会というのはもっと神妙なものだ、というイメージがあった私には何かおかしかったが、「こうやって若者の文化と融合しながら、生活に深く根差しているんだな」などと、妙に納得してしまった。自分の中のステレオタイプが打ち崩されるのが、新鮮だった。

 ヘイドンとダマリスは、工場で簡単な仕事を持ってはいたが、日常の大半を宗教活動に充てており、生活は質素で裕福なものではなかった。私の唯一の責務といえば、こうして彼らと行動を共にしながら、プロテスタントの教えを受けることだった。別に苦痛ではなく、私は、聖書の内容や彼ら自身の宗教心について、疑問に思ったことを質問しては、教えて貰う日々を送った。

「両親は反対したわ。ヘイドンは確かにお金持ちではないけど、信心深くて、心が優しいのよ。私はお金よりも、心を選んだの」。ある日、ダマリスは、自分に言い聞かせるように言った。別に私が突っ込んだ質問をしたつもりはなかったが、彼女にとってとても重要なことのようだった。また別の時には、私の質問に答えて「キリスト教とイスラム教の違いは、LOVE(愛)とLOW(法)なのよ。愛こそが、キリスト教の基本なの。イスラム教は、コーランという法律が全てで、それに反する者は罰するという考えなの」。

 右手にコーラン、左手に剣。イスラム教には、確かにそういう言葉があった。キリスト教は「愛」か…。皆が現実的になり現世の物質的利益ばかりを追い求める風潮の強い世の中で、確かにそれは大事なことに思えるし、ダマリスのような女性がいないと、世の物質的に貧しい男性には、救いがなくなってしまう。少なくともその意味では、キリスト教の教えは、重要な役割を担っているように思えた。