「戦争展示の意義」       プノンペン(カンボジア)   '95 . 9

<KILLING FIELD>

 牧歌的な、田園地帯が続く。プノンペン市内から30キロほどバイクタクシーで行ったところに、その「KILLING FIELD」はあった。その名の通りの、殺人原野である。ポルポト時代、ここで約2万人が処刑されたという。今でも生生しい現場はそのまま残されている。

 ガイドしてくれたのは、自称マンセル、24歳。「マンセル」と刺繍してある帽子を被っているから、CAPITOL-INNではそう呼ばれているのだそうだ。バックパッカー御用足しのガイドをしている1人である。

 彼自身、兄弟を3人殺されていることもあってか、身振り手振りで殺人シーンを再現しながらガイドする彼の姿は、真剣そのものだった。

 ここは、プノンペンで唯一の大量殺人場であったのだが、今や全く想像がつかないほど、のどかな原野である。異様なほど青い空と輝く太陽は、過去にここで行われていたことを想像しずらくしている。

 土には、歯や骨が一部そのままで生生しく残されている。全国民の1/3、約300万人が、理不尽にも殺されたのだ。その重すぎる歴史を肌で感じることは難しいが、この現場、そしてマンセルから、伝わってくるものは多かった。

 

 「私は、当時、幼かったから何が起きているのかわからなかった。でも、もし私が、あなたくらいの年齢だったら、間違いなく、自殺していただろう。」

 心に残る言葉である。

 

<ツールスレー博物館>

 ここでは、虐殺前の写真、殺人現場の写真、拷問場、監禁場、骸骨から殺人シーンの絵まで、生生しい限りの現場が残されている。博物館とは言っても、欧米のそれとは全く違う。外から見れば、小学校にしか見えない。以前は小学校であったが、ポルポト時代に、留置場、拷問場と化したのだ。

   

 カバーが一切ないので、写真に落書きしたり、ガイコツなどを盗むことも可能
だ。しかし、勿論そんなことをする者はいない。「そのまま」だからこそ、生生しいのである。

 絵は疑うことができても、写真や拷問道具などの動かぬ証拠品をこれだけ見せつけられると、疑いの余地もない。

 実際にここで行われていたことを考えると、言いようのない不気味さを覚える。同じ民族が、同じ言葉を話す同じ肌の色を持った人間に対し、なぜこんなにも悲惨な殺し方ができるのか。人間はどこまで残酷になれるのか。並べられたガイコツを見て、考えざるを得ない。

 

 校門付近では、片足のカンボジア人が寄付を求めて居座っていた。地雷を踏んだか、ポルポトにやられたのだろう。いたたまれない風景だ。

 その何気ない表情が、恐ろしさを増す。これがこの国では、ごくありふれた日常なのだ、という事実を見せつけるかのようだ。

 カンボジアには、今だ900万個の地雷が埋っているといわれ、さらに、世界全体で約1億個が埋っているというのに、対人地雷の規制強化の動きは鈍いというではないか。世の中、どうなっているのだ。政治家は何をやっているのだ。怒りが込み上げてくる。

 地雷は、戦争が終わってもそのまま残る。殺すより負傷を負わせる方が軍事的に有効だというのが、地雷の戦略的な理論だ。軍事的に有効であればあるほど、平時の日常生活にとっては苦痛が増す。ベトナムで撒かれた枯れ葉剤にしろ、日本に落とされた原爆にせよ、後遺症は死ぬまでつきまとう。

 人間というのは、どうしてこんなに最低の武器を考え出してしまうのだろう。人間の醜さ、悪の権化のような武器である。

 

<戦争と博物館の意義> 

 ハノイの戦争記念博物館を思い出す。そこでは、ベトナム戦争中に、いかにアメリカ軍が残虐な行為をベトナム人に対して行ったかが展示されており、枯れ葉剤の被害や、拷問の数々が写真や絵で展示されているのであった。枯れ葉剤の影響による奇形児のホルマリン漬けは、特に魂に直接訴えるものがある。

 こういった博物館は、世界中、至るところにある。広島の原爆博物館も同様だ。やられた方は、その苦い経験を忘れまいと、必死に残そうとする。朝鮮に行けば日本統治時代の残虐行為が展示されているし、おそらくはイスラエルに行けばナチスの残虐行為を展示しているのだろう。そして、その行為に対抗した英雄の足跡は確実に残される。ベトナムでは「ホー・チ・ミン博物館」があり、これはおそらく、韓国の安重根記念館、シンガポールの孫文記念館や抗日記念碑と同様の意味を持つのだろう。日本には占領されていないので、この種のものはない。

 こういった、国威を掲揚させるようなものについては、確かにその気持ちはわかる。しかし、問題の本質は「やった側」の子孫と「やられた側」の子孫で、その展示を見る割合に大きな開きがあることだ。やられた側の「やられた情報」が圧倒的に多いのである。私は広島には修学旅行で強制的に見に行かされたが、朝鮮には行っていない。アメリカ人で原爆ドームを見学した人はごくわずかだろう。自国民に都合の良い情報しか、子孫に伝わらない仕組なのだ。

 悲劇を2度と繰り返さないためには、やった方がより多く見なければならないのは明白。然るに現実は、やった方に情報が行きにくいような情報操作が成されている。国民は無意識のうちにイニシエーションを受け、潜在意識下に自国民の被害者意識だけを植え付けられる。

 この問題が解決に向かわない大きな理由は、圧力団体にあることもまた知られている。日本遺族会、アメリカの退役軍人の団体などのロビイングは大きな政治的圧力である。スミソニアン博物館の原爆展は中止になったし、日本遺族会会長の橋本総裁は、総裁選を優位に進めた。この政治的圧力は、教科書問題にも影響し、戦争に対する認識を歪ませる。

 マスコミがこういった問題を曖昧に扱っている以上、明確な意思を持つ圧力団体の思うがままだ。誰だって、戦争を繰り返したくないと願うし、そのためには自国が行った戦争の悲惨さを知るべきであるのに、この合理的な選択肢は政策として実現されていない。(ドイツではナチをどう展示して自国民に知らしめているのか、是非とも見に行きたいと思う)

 この合理的な選択肢の実現のためには、様々な方法が考えられる。

 フランスの核実験の中止を呼びかけて広島の被爆者団体が募金を募り、パリで原爆展を開こうとしているのは、1つの有効な手段であり、また市民1人1人の良心が生かせる民主的な方法だ。私はこの種の市民団体の活動をおおいに支持する。

 また、圧力団体に関しては、戦争当時、現実の政策決定に関わっていたのは、ごく少数のトップエリートであることを検証し、戦争の再発防止のため、改めて事実を広く知らしめ、徹底した政策決定過程の民主化に努めることが、名誉の回復であるとの認識を持つべきである。決して、過去の過ちを強引に正当化することが本来の名誉ではないはずだ。

 こういった理性的な思考ができないようでは、いつまでたっても、戦争認識のギャップは埋らず、国際関係の不安定化を招き、人々の願いとは裏腹に、再び平和を脅かすことに繋がる恐れがあるのである。


※以下は、関連する本多氏の見解である。(@は、私が「戦争展示情報をバランスよく」とする重要な理由で、私も賛同する。A、Bは、当時の日米両国の政策過程がどれだけ民主的かという事実を考えたとき、日米をごちゃ混ぜに論じているきらいが気になる。ベトナムにおける末端の米兵とアジアにおける末端の日本兵では、米兵の方が少し罪深いように思える。米兵は、良心の徴兵拒否が認められるケースもあるのだから。)

@「ベトナムで米兵がなにか良いことをやったとする。そのときは、米兵がいかにケシカランかということを強調したくても、やはり良いことは良いと書く方が良いのです。ルポにとって都合の悪いことは無視して、都合のいいことばかり集めると、そのルポはウソになり、説得力を失うでしょう…都合の悪い事実には意味のある重要なものが多い…」 

A「戦争だから仕方がない、異常事態だからお互い様だ、戦争をやめよう…。けれども、これも当り前に考えてみましょう。日本軍が中国へ攻め込まなかったら、その『戦争』も起こりようがないのです。悪の根源は『侵略』にあるのであって、『戦争』にあるのではない」

B「いかに個人的には立派な兵隊がいても、太平洋をはるばる越えて外国の国土を徹底的に侵略・破壊しているアメリカ合衆国政府の政策から無縁であることはできません。かつてベトナム人は、1度たりともカリフォルニア州に派兵したこともなければ、サンフランシスコを爆撃したこともない。偵察機やスパイを送り込んだことさえないのです。地球はじまって以来の大量の爆弾を、せまい国土に連日注ぎ込んできたのは、すべて合衆国であります。このことは、物理的、地理的に実にハッキリした事実です。こうした情況の中にあって、善良なアメリカ兵個人の行動がどういう免罪の意味を持つのでしょうか。」

(以上、本多勝一「事実とは何か」より)