「文学横浜の会」

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2001年12月2日


 「女宮、誕生」

 昨日、日体大での長距離記録会を見に行った。 その帰り道、号外が出ていて、女宮の御誕生とのニュースに接した。 暗いニュースばかりの昨今、明るいニュースである事には違いない。

御懐妊のニュースに接して、知人との間で、生まれる子供が男か女かについて言い合った。 もし男だったら問題にならないだろうが、女だとしたら女帝を認めるかどうかの議論だ。 言い合いになる程でもなく、女帝でもいいのではないか、と一致したのだが、 その後のマスコミ等での論調をみてみると、どうも自民党内に一部に強力な反対論者がいるらしい。 数は少なくとも、その反対の声が強力なのだそうだ。

皇室典範の改正は、国民総意の元に行いたい、と言う政府の意向もあって、 また男子が生まれる可能性が残っている状況で、そうした議論を先送りにしてきた。 しかしこの問題は国家の原則論でもあり、先送りで済まされる問題ではない。

諸外国、国王を元首としている国では、男女同権の原則から、男女を問わず第一子が王位を継承する、 と定めた国も多いと言う。無論男子がいない場合は女帝と定めた国もある。 わが国のように男子と定めた国は少ない。いや聞かない。

日本もかつては女帝が存在したし、今の皇室典範が出来たのは明治になってからだ。 三百諸侯といわれた徳川幕府の体制から、日本と言う国を近代的な国家として纏めるためには、 国権の最高権力者として天皇を位置付け、その力を背景に統治した方が良かったからだろう。

つまり女帝ではいけないと言う論者の根底には、 そうした思考が頭の隅に残っているからなのではないか。 男女同権を謳いながら、諸々の法律・慣習などに男優位の思想は厳然としてある。 そうした事は日本の良き伝統であり、秩序を保つためにこれからも維持していこうする。 そこに女帝を強力に反対する理由があるのではないか。

 世の中、男と女しかいないのだ。 男子でなければいけない等と言わずに、改めればいい。 男子が誕生しなかったら等と言うのではなく、この国の在り方、を考えて改正した方がいい。 国家権力の最高権力者ではなく、国の象徴なのだ。

(KK)


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