「文学横浜の会」
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2004年2月1日
「日本国憲法」 自衛隊のイラク派遣が今週にあると言う。 自衛隊の海外派遣は「憲法に違反している」と言う声と、 いや「憲法に違反していない」との声も聞くが、一体どう言う事なのだろう。 そもそも、自衛隊の存在そのものが憲法違反だとの考えもあるが、その声は最早小さな声になった。
そこで改めて日本国憲法をみてみる。 それで「憲法に違反していない」とする論拠としてあげる箇所は「前文」の最後、以下の部分だ。
「 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 そして、「自衛隊の海外派遣は憲法に違反している」との論拠は「第二章 戦争の放棄」だ。第二章は第九条のみからなる。
「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 反対側は、そもそも前文とは憲法そのものの思想なり考えを著したもので、条文とは違う。 しかも前文を拡大解釈して派遣を合憲とするとは全く話にならない、と言う意見だ。 考えてみれば、政治の世界で憲法に違反しているかどうかを、議論してきたように思う。 それでいいのか、と僕は疑問に思う。 民主主義の三権分立の考えから言えば、そうした議論は「司法」に任せるべきではないか。 憲法の「第六章 司法」第八十一条には以下のように書かれている。 「第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する 終審裁判所である。」 一面から言えば、日本の混乱は三権分立が正しく機能していないからだ、と言えなくもない。 そもそも「憲法」とは、時の権力者(或いは政権党)への歯止めの役割も持っている筈ではないか。 何でも思い通りに権力者(政党)が権力を振るったりしてはならないようにしているのが憲法ではないのか。 日本の混乱の一因は司法のだらしなさにあるように思えてならない。 憲法に違反しているかどうかの裁判が、何年も掛かって判決が下るなんて事がそもそもおかしい。 年数が経てばたつほど、変化の激しい現在、既成事実として定着してしまう。 社会の中で定着してから、違憲などと言い出しても戸惑うだけだろう。 それより司法がそれらの判断を避けてきた面も多々見受けられる。 何れにしても、今読むと「憲法」の条文そのものがどうも理解しにくく、 時代にそぐわない部分もある。 特に前文の文章など、ぴんとこない。現憲法の出来た社会状勢なり背景を物語っているのだろう。 前文の、あんな堅苦しい文言などいらない。 改正すればいいと思う。 しかし全面的に改正するには、多数(3分の2以上)の合意を得るには時間が掛かる。 それなら条文毎に改正すればいい。 * * * * * 早いもので、もう梅の蕾も膨らんで、今にも咲きそうな気配を感じていたが、 日当たりの良い枝に、今日、一輪咲いた。種苗店を覗いたらジャガイモの種芋が出ていて、 畑の土起こしをまだしてない事に気付いた。家に戻って、さっそく二時間程畑仕事をした。 毎年の事だが、何時も季節が僕をせかす。 <K.K> |
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