「文学横浜の会」

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2005年9月4日


「総選挙、大型ハリケーン、、」− アニミズムと生物 −

 あれよあれよと言う間に総選挙へ。

小泉劇場、刺客、新党設立、、と慌ただしかった。
この騒ぎで日本が少しでもよくなるのなら歓迎だが、なんとも心許ない。 一体、参議院で否決されたからと言って、何故衆議院が解散なのかと思うが、小泉首相の論理では矛盾はない。 総選挙をしてもう一度「郵政民営化法案」に対する国民の声を聞くというのだ。 仮に与党で過半数を獲って衆議院で審議可決して、同じ顔ぶれの参議院でどういう採決になるのか、 いささか心配になる。

小泉首相の論理では「与党で過半数をとれば国民が支持したから」参議院で否決するのはおかしいと言うのだろうが、 それなら「郵政問題」だけの総選挙にしてほしい。「郵政法案」の採決が終わったらまたすぐ解散して、 総選挙をすべきだ。そうでないと小泉首相の論理はおかしくなる。

 いずれにせよどんな結果になるのか、これはきっと国民が試されているのだと思う。

日本国民の良識を信じたいが、民意と言うのは振り返れば間違いも多くある。 先の大戦に突入したのも、報道機関がこぞって国民を煽った、との見方もあるが、民意がそう言う方向に向いたのだ。 無論軍部の暴走とそれを阻止出来なかった、当時の指導者の責任も大きい。

報道メディアの多様化が進んだ今、片寄った意見ばかりではないと思いたいが、果たしてそうだろうか。 よもやそんなことはないと思うが、目や耳にする内容はどれも似たようなものに思える。 劇場型と言われる所以だろうが、報道内容は偏りがちになる。 果たして何処まで真相を伝えているか、情報が多いからと言ってそれが真相という訳ではない。
つまり、国民の質が問われるているとぼくは思う。

 今回の選挙は違例ずくめで、自民党が多くの女性を担ぎ出したのも特徴と言える。 諸外国の国会議員の男女比率と比べると、日本における女性国会議員は少なすぎる。 パフォーマンスとの見方もあるが、これはこれでいいとぼくは思う。
要は選択する側の問題だ。

本当に日本の将来を考えている人物なのか。
言っていることとやっていることとで乖離はないか。
お題目だけのマニュフェストではないのか。

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 日本では総選挙で関心はそちらに向いているが、アメリカは大型ハリケーン「カテリーナ」被害で大騒ぎだ。 まだ被害状況を完全につかめていない状況でも、その被害の大きさは想像を絶する規模だという。 現代の科学では予測される災害なのに、何故これ程の大惨事になったのか。 アメリカと言う国が自然の力を軽視したとは思いたくないが、他国の事とは思えない。
いつ襲うかもしれないのが自然災害だ。日本にも、、、。

イラクの破壊・混乱はブッシュさん等によって人為的に起こされたもの。 ブッシュさん、自国の軍隊を派遣する前に、自国の安全をもう一度見直したらいかがですか。 そして日本の政治家にも、それを支持する方にも同じ事を問いたい。
本当の安全とはなんですか?

治安が悪化すると、略奪や盗みが横行するのは低開発国だけではないんですね。 拳銃で発砲したり、治安が悪化するのは、やはり身近に拳銃等の武器があるから。 日本ではそんな事態にはなってほしくない。

どんな自然災害に襲われても、日本人のモラルは遙かに勝っていると思いたいのだが、、、。

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 先日、ひょんなことから国会審議をインターネット中継で観た。 感想を言うと、呆れた。
野党の質問者が役人の無駄遣いを追求するという内容だが、 追求する内容が「これが国会で審議すること?」という内容なのだ。 追求する方は少しでも矛盾点を質して瑕瑾を見つけて点数を挙げたいのだろう。それが見え見え。

質問内容は専門的な事で、恐らく後ろに誰かがいて知恵をつけているのだろうが、いかにもお粗末だ。 たまたまぼくの専門分野だったので聞いていたが、まるでお門違いの質問をしている。 質問者がその分野の素人で、しかも応える役人も素人。 こんなのなにも国会で質問する内容ではないのではないかと思った。 それこそ本当の専門家に調べさせればいいこと。
もっともっと大きな問題があるだろ、と言いたくなる。

こんな下らない質問でも、役所では夜遅くまで(或いは徹夜をしてまで)回答例を作ると聞いたことがある。 つまり質問にたつ議員から質問内容を聞き出し、回答に立つ者に回答例を出すのだ。 質問に立つ議員も、秘書が色々と調べるのだそうだ。 何年も前の資料を出せと言われる方もたまったものではないだろう。 役人にとっては、考えてみれば余計な仕事だ。そんなのがつづくと本来の仕事はどうなるのか。 それとも専門の担当者がいるのかな? 
でもこれは情報公開で全てオープンにしておけばいいこと。

質問に立つ議員の中には、こう応えてくれと前もって言う者もいるそうだ。

なんとも国会とは情けない。
せめて自分の言葉で国家論を語り、国益を語り、議論する場であってほしい。 些末な言葉尻をつついたり、ちょっとしたミスをつついたり、 そんなのはその分野の専門家に任せればいいこと。

それには、やはり国会議員の数が多すぎる。せめて今の半分で充分。

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「反時代的密語」 ーアニミズムと生物ー(H17/08/23朝刊)梅原猛

 十九世紀のイギリスの人類学者、E・B・タイラーは
「アニマすなわち生霊が、人間ばかりかすべての動植物の中にも存在するという思想が原始民族の信仰である」 と論じた。

タイラーのいうように、アニミズムは農耕が発明される以前の狩猟採集時代においてほぼ世界共通の信仰であった、 といってよかろう。

農耕の伝来が遅く、縄文時代(すなわち狩猟採集時代)が1万年以上も続いた日本においては、 このアニミズムの思想が強く残っている。 六世紀に日本に移入した仏教は十一世紀において天台本覚論を生み出した。 天台本覚論はほとんどすべての日本仏教の前提になるが、その思想は「山川草木悉皆成仏」という言葉に示され、 まさにアニミズムそのものである。

 西洋の多くの思想家は、
「アニミズムから多神教が生まれ、多神教から一神教が生まれ、その一神教の精髄がキリスト教であり、 キリスト教の文明から西洋の科学技術文明が生まれた」と考える。
しかしこの一神教は、
「人間のみが神の似姿である理性をもつことによって他の動植物よりはるかにすぐれていて、 動植物に対する生殺与奪の権を与えられている」という考えをもつ。

近代文明の原理を提供したデカルトやベーコンなどは、 世界の中心に理性をもった人間をおき、この人間に対立する自然世界の法則を知ることによって 「自然を奴隷のごとく支配することこそ歴史の進歩である」と考えた。

「しかし現代人は、このような近代文明は環境を破壊し、 やがて人類の滅亡を招くのではないかという不安を感じ始めるようになり、 人間と動植物の共存を唱えるアニミズムの復権が囁かれるのであろう。」
と筆者はいう。

 また筆者は
「二十世紀後半からめざましく発展した遺伝子学はアニミズムの科学的正当性を証明するものである」 とも言う。
「遺伝子学は、動物・植物ばかりかすべての生物は、 二本の鎖がねじれ合った二重らせん構造をとるDNAによって支配される」 「ショウジョウバエの遺伝子の六十%が人間の遺伝子と相同性をもち、 また人間とチンパンジーとの遺伝子的な違いはわずか1.23%にすぎないことが数年前に発表された」 このような事実は人間中心思想への根本的反省を強いるものであろう、と筆者はいう。

 ユクスキュル著「生物から見た世界」(訳;日高敏隆、羽田節子)
ユクスキュルは「動物を機械としてみる生物機械論の説に反して、動物は機械ではなく機械操作係である」という。 動植物はそれぞれ発達した器官をもち、動植物はその操作係であるとともに、 それぞれその器官だけのゆがんだ抽象世界に生きている。

ユクスキュル;
「すべての動植物がそれぞれ独自の歪んだ世界を持っていることを発見すれば、 我々を取り巻く環世界は秘密に満ちた実に豊かな世界になる」

<K.K>


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