「文学横浜の会」
エッセー
INDEX 過去のエッセー
2006年 7月 2日
「団塊世代と風俗」
この時期になると「梅雨明けは何時か?」と待ち遠しくなる。
クールビズとやらで、我慢してスーツ着込む慣習から解き放たれたサラリーマンも多かろう。
何やら商戦の匂いも感じるが、暑苦しさから逃れられるのなら、クールビズも歓迎だ。
少子化問題と、所謂団塊世代の定年退職を控えて、日本の将来に暗雲を予感させる報道が多い。
確かに、急激な少子化や急激なリタイア人口の増加は大きな社会問題を齎すが、
なにもそれは今急に判明した事ではない。特に団塊世代の問題など、前々から判っていたことだ。
何を今更。
定年を65歳まで延ばそうという動きがあり、徐々に浸透している。
つまり年金が貰えるまで働いて貰おうと言うのである。団塊世代の親の世代の定年は55歳で、
60歳定年になったのはおよそ20年ぐらい前だろうか。その間、寿命は延びて、
今は女性で80歳を超えて、男にしてもそれぐらいは生きると言う。
ぼくは怠け者だから、できれば早くリタイアして、通勤電車に乗る生活からおさらばしたいのだが、
定年延長と聞いて、うんざりだ。それなら定年を待たずに早く辞めればいいのだが、
年金も怪しいと聞けば、元気がなくなる。でも、別に贅沢しなければいいのだし、
無駄遣いをしなければなんとかやっていけると思う。
そう言ったら「皆がそんなことをしたら、日本の経済が停滞する」と言われた。
お金が巡りめぐってこそ、経済が活性化するので、使って貰わなければいけないと。
だからと言ってサラキンから借りてでも使え、と言うのではない。
これから年金は保証できないから、働いて働いて、使え。と言っているようにぼくには思える。
団塊世代の親の世代は戦争で苦労した世代で、
世の中の変化も激しく、子供も多くいて、所謂、遊ぶという感覚はなかったろう。
多くの人達が戦争の犠牲になって、生き延びた者達が戦後の荒廃した中でただひたすら働くしかなかった。
生活に追われて遊びどころではなかった。
それに比べると団塊の世代はお金の使い方を知っている。
スキーの普及、旅行ブーム、海外旅行と団塊世代の収入増大とともに、
そうした「遊び」の範囲は広がり、様々なブームも起きた。
それは「遊んでばかりいる」と言われた団塊世代によるところが大きい。それで世の中は活性化した。
反面、風俗産業(デートクラブ、ビニ本、裏本、
ノゾキ部屋、トップレスヘルス、愛人バンク、ホテトル、テレクラ、デートクラブ等等)
といったいかがわしい様々な産業が起きたのも団塊世代によるところが大だ。
でも、団塊の世代にはもうそんな元気はない。(中には元気者もいるが、)
今は人生80年の時代だ。団塊世代がどんどん定年退職して、
彼等彼女等がその時間をどう使うか、大いに関心がある。
家に閉じ篭っていられる世代ではない。どんな「遊び」が出てくるか、楽しみだ。
どんな風俗産業が出てくるか、などとニヤけている元気な(いや、不謹慎な)老人もいる、
かも知れない。
絶えず人の中で揉まれ、会社ではリストラを潜り抜け、
家庭内では孤独に耐えて来た世代だ。団塊世代の定年退職問題は問題ではない。
少子化問題を放置している、今の政治の問題の方が問題だ。
<K.K>
|
[「文学横浜の会」]
禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000-2004 文学横浜