「文学横浜の会」

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2015年 9月 6日


「日本は本当にヤバイよ」

 隣国中国での「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念式典、取り分け近代兵器パレードニュース映像には、 聊か面白くないと言うか、何故こんな事をするのだろうかと思った。「対日勝利」と言う言葉を聞いただけで、 「日本は中国共産党軍と戦争をしたのか」と疑問をもつが、 世界平和を希求するといいながら軍事力を見せつける真意は何かと勘繰りたくなる。

真意はどうあれ、北朝鮮のように小さな貧しい国でも、弾道ミサイルや原子爆弾といった兵器をもつような今の時代、 一度全面戦争になれば勝ちも負けもなく、両国が致命的な打撃をうけるのは明らかだ。 つまりパレードで出てきた大量破壊兵器を使用すれば勝ちも負けもなく、絶対に戦争をしてはいけない時代なのだ。 そのような状況を作ってもいけない。

一方、何の備えもなくして平和は作れない、と言う人々もいる。確かにそう言う一面もある。 そう言う事もあり、軍隊を持たないと憲法で規定された日本は「自衛隊」と言うそれに代わる実力集団を持っている。 それさえ憲法違反だとする人たちがいる中で、現在参議院で審議されている「安全保障関連法案」について、 国民の賛否は割れている。

割れている要点は自衛権としての「自衛隊」は認めるにしても、集団的的自衛権が可能な法律は憲法で認められていないと言う点だ。 政府解釈ではそれは「出来ない」「しない」とは応えているが、解釈によってはそれが出来るとなれば、 時が経ち政権が代われば今の政権が応えている通りにはならない。それが問題なので、それで国論が二分されれてる。

「安全保障関連法案」の審議に先立って今まで「集団的的自衛権」は「できない」としてきた政府見解を、 「できる」とした変更した事も今回の法案に疑念を持つ国民も多い。 今回の「安全保障関連法案」では、政府が幾ら国会で釈明しても、集団的的自衛権を可能にする為の法律だと思われても仕方がない。

こう言う憲法の解釈問題は国会で審議するより裁判所ではっきりさせてほしいのだが、日本の裁判所には聊か疑念を持たざるを得ない。 つまり所謂、99%有罪と言う実態についてだ。 無罪であるのに有罪とされた過去の事案についての書物を読むにつけ、日本の裁判制度が正しく機能しているのかと疑わしくなる。

過去には検察官による資料改ざんが明るみに出て無罪になったケースもある。 資料改ざんが明るみに出たケースは問題外として、冤罪とされる事件や、所謂、「国策捜査」についての書物も多く出ている。 それらの書物・案件に対する裁判所側からなんの反応もないのを、どう解釈していいのか理解に苦しむ。

そう言う裁判所だから国会で決めた事でも、閣議決定された事でもはっきりNOと言えないのだろうか。 国会で憲法論議をしていたら、最高裁が「…ですよ」と言ってあげれば何も国会で憲法論議などしなくて済むのに…。

もし政権が憲法に違反しても、司法府が見て見ない振りをしていたら、 それこそ戦前のように、軍の独走を許してしまう国になってしまう。

 国会とは別に、2020年の東京オリンピックを前にした諸々の醜態にも現在の日本を見るようだ。 国立競技場の建設をめぐる数々の醜態。ロゴマークをめぐる醜態。何れも「〜審議会」と言うような委員会形式で、 あたかもそこで決められたかのような形で、何処まで何をするのかが明確でなく、誰が責任者なのかも曖昧で、 結局、明確になったのは多額のムダ金、これは全て税金なのだ。

政府や各省庁の「〜審議会」のような形式で進められる政策や物事の実態は、 政権や官僚が自分たちの意図に沿った委員を選び、それが恰も国民の意見であるかのようにして勧める。 それは責任を曖昧にして、官僚や政権の意図した方向に政策を進め、結局国民の要望とはかけ離れた、 あるグループの要望には叶ったものになって行く。

総理を経験した事もある森大会会長の新国立競技場建設に関して「国として2500億ぐらい出せるだろう」 「無駄と言うなら他にも色々ある」と言った発言には、 真意はどうあれ国の財政をどう思っているのかと不快感を持った。

今や1000兆円を超える財政赤字を抱える国のする事ではない。 このまま行くと日本は駄目になる。ハイパーインフレの心配も現実味を帯びてくる。
そんな事になれば「集団的自衛権」以前に、戦後のハイパーインフレの再現で、日本は2度目の敗戦だ。

日本は本当にヤをバイよ。

<K.K>


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