「文学横浜の会」
エッセー
INDEX 過去のエッセー
2018年 9月 7日
「自然災害大国からの発想」
台風21号の被害がまだ報道されている最中、北海道に大きな地震が起きた。
先に起きた瀬戸内地方を襲った大雨被害と併せて、正に日本は災害大国である。
余り自慢できる事ではないが、そんな土地に我々の祖先は暮らし、その生き残りが我々である、と言うのも確かだ。
それを思えば少しは自慢してもいい。
科学的知識もなく天気予報もなく、また日本全国からの救助や自衛隊等なかった時代から、
我々の祖先はこの土地で生きて伸びてきた。
それにしても大きな被害が起こる度に「ここでこんな事が起こるとは思ってもみなかった」との声を聴く。
つまりは日本の何処の土地にいても何らかの災害に見舞われると言うことなのだろう。
北海道の地震では、全島で電気の供給が出来なくなって停電した。
原因は全島の50%の発電量を供給していた火力発電所が停止した事によるらしい。
運休していた他の火力発電所や水力発電所を稼働させて、
地域的に少しづつ停電は解消しているようだが、停止した火力発電所の復旧には最低でも一週間はかかると言う。
原子力発電所が稼働されていなかったのは幸いだが、それでも核燃料プールに格納されている核燃料を冷却する電源が止まり、
予備電源で冷却していると言う。予備電源がどれだけの期間作動するのか判らないが、不安材料ではある。
今の時代、電気の供給が停止されれば生活に大きな支障をきたす。
ましてや原子力発電所の事故は、東日本大震災における福島原発事故のその後を見れば、
将来に亘って致命的なダメージを与えるのは自明の事だ。
と言う事はこれから起こるかも知れない大きな巨大な、想定外の災害が発生する事を考えれば、
できるだけ大きな発電所を運用しない方がいい。ましてや原子力発電所など即廃止した方がいい。
そんな事を言うと経済原理に反する、と言われるだろう。
安い電気を供給するには大きな発電所が必要で、最も安い電気は原子力発電を利用することだと。
福島原発事故の後始末の費用や稼働にいたる諸費用を勘案すれば必ずしも原発が安いとは言えないのに。
私の思う究極的な発電は、各町、或いは各家庭で使用するだけの電気を作る事だ。
つまりは安全に水素を貯蔵し水素発電装置を冷蔵庫の費用と同じ程度で各家庭に普及させる。
水素は太陽エネルギーや風力エネルギーから作り置き、或いは購入できる仕組みを作る。
水素は何処の地域でも作れる。地下資源のない低開発国でも、太陽と風さえあれば何処でも作れる。
低開発国から輸入すれば、少しは低開発国に所得の分配もできるだろう。
化石燃料を使用しないクリーンな発電なのだ。
それに何より、地下資源を持たない貧しい国でも水素を売る仕事が出来て収入につながり、
地下資源を持つ国と持たざる国の格差解消にもなるのではないだろうか。
<K.K>
|
[「文学横浜の会」]
禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000-2004 文学横浜