曲がり屋のある家


作  こいけ 志穂

 【その1】


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 激しい流れが電車の音を呑み込んでいく。磐悌山の雪解けの水は、小さな川までも支配しているかのようだ。それでも乗客の去った無人の駅舎は、家人を失った空き家のようにひっそりとしていた。すでに終わってしまった桜祭りのポスターが半分剥れかけ、引き戸から入る風に侘しく揺れている。側に貼ってある真新しい一枚のポスターが繭子の視界に入った。何気なく目に付いたそれは、何の感情もないのに、見てくれというように彼女の足を止めたのだった。

 殺風景な無人駅にしては、唯一カラーの華やかなポスターだった。年配の陶芸家の追悼展なのか、中央に追悼の二文字が見えた。鋭い目がカメラを通して繭子を睨んでいる。村井卓雄、聞かない名である。長い間故郷を離れていたことを、あらためて知らされたようだった。

 のんびりと眺めている場合ではなかった。繭子は駅舎を後にしてバス停へと向かった。父の入院の知らせが来なければここに立つこともなかったろう。そう思うと、繭子の心を懐かしさと重苦しさが複雑に交錯した。

 東京の大学へは行かせてもらったが、勝手に中退してしまった。何とか自分の工房は持てたものの、週に二度は窯元に行って勉強をさせてもらっている。少しづつ客は付いてきたが、窯元の田辺に言わせると、色に甘さがあるらしい。中途で帰ってきてしまったという気持ちが、繭子の心を重くしていた。

 なんで帰ってきたんだと、畑仕事でごつごつした手を握り締め、父は浅黒い顔に皺を寄せながら肩を振るわすだろう。けれど姉から脳梗塞で危ないと聞かされて、もともと小心な父に怒る気力が残っているだろうかと思った。思いっきり怒られてみたい気もするが、しかし姉からの電話の様子だと、医師の問いかけに反応がないという。近所の人が土手でうずくまっている父を見つけたらしいが、はたして父は、その場にどれくらいそうしていたのだろう。いずれはこんな日も来るかも知れないと漠然と思ったりもしたが、まだ他人事のような気がしていた。しかし父も六十八歳である。病気にならないという保障はどこにもない。繭子自身、一人前になって故郷に帰り、父の許しを得るのだと思っていただけに、父には元気でいてほしかった。それに、母の分も長生きしてもらいたかった。

 坂下行きのバスが遣ってくると、繭子はボストンバッグを肩に下げ、無造作に後ろで束ねた黒髪を手で払いのけた。茶のロングスカートは、三年前、仲間と旅行に行くのに買ったものだが、合わせて買ったセーターもどこか型が古い。流行にとらわれないしない生活ゆえに、さほど気にならないが、普段ジーパン姿の繭子は、時々おしゃれをしてみたくなる。窯元の工房へ行く日は、薄くファンデーションを塗り、口紅もさす。女の少ない世界がそうさせているとも言えるが、唯一おしゃれをするのは、真彦がいるからでもあった。

 バスに乗り合わせた客が珍しいものでも見るように、繭子を振り返った。彼女はコートに身を隠くし、後方の椅子に腰をかけた。数人の乗客を乗せて、バスはのろのろと坂下方面に走り出した。

 駅前の土産物店の様子は、昔と何も変わってはいない。所々にトタン屋根の家が建ってはいるが、まるであの日が逆戻りしているような感じだった。しだいに通り過ぎる景色は、彼女がこの町を去った日の記憶と重なった。

 十五年前、どんよりとした雲が広がる寒い日だった。父は縁側であぐらをかいて、農作業に使う道具を整理していた。時間をかけて説得を続けたものの、父は頑なに心を閉ざし、繭子に笑顔を向けることはなかった。重苦しい空気を断ち切ったのは繭子だった。

「行かせてもらいます」

 そう言うのがやっとだった。物音ひとつしない部屋で、道具が触れあうガサガサという音だけが今でも鮮明に残っている。説得出来なかった悔しさを撥ね除けるように、繭子はボストンバッグを掴み、表に飛び出した。

 繭子の心にブレーキをかけるかのようにバスは時々止まり、また走り出した。町並が途切れると、磐悌山の頂に、白い絵の具を塗り付けたような残雪が見えた。汚れのない雪景色を見ていると、明け方の姉からの電話が嘘のようであった。ひょっとしたら、父と私を近づけるための、姉の策略ではないだろうか。病院に着いたら案外けろっとして、ごめんねなんて言ったりして。

 七つ違いの姉の幸恵が山形にお嫁に行ったのは、繭子が十七歳の時だった。姉は高校を卒業すると、地元の観光センターに勤めた。山形の旅館組合のツアーに参加していた青年が姉に一目惚れしたのだ。大きな旅館の若旦那。反対すると思っていた父は、意外にも乗り気だった。叔父は後になって、いつまでも嫁にも出さず側においていたのでは、世間からよく思われないからさと言っていたが、無口な父の心の中は繭子にも分からなかった。

 磐悌山からの吹き下ろしの風は、肌を刺すほどの冷たさだ。けれどその厳しい寒さが、会津のねっとりとした粘土を作り、会津本郷焼きの文化を支えてきたのだ。そんな里土への思いが、繭子を焼物の虜にしたのだと思う。

 しばらくすると、四階建ての白い建物が見えた。繭子はバスを下りた。

 夜明け前に姉の幸恵から電話があった。父はもともと病気知らずの人だったから、幼い頃、ガンで母を亡くしてからも、町の検診など見向きもしなかった。風邪ぐらいで仕事を休む人ではなかったから、我慢をして畑に出ていたのだろう。早朝のうちにアパートを出ていたら、もっと早く着いていたろうに。しかし今日は窯元に行く日でもあった。やはり田辺に会って父の事を告げ、真彦にも会っておきたかった。電話で済ますべきことではないと思ったからだ。繭子は何時もより早めに家を出ると、窯元に行き、田辺が来るまでに一仕事を終えた。事情を聞いた田辺は繭子を叱りつけ、息子の車に乗せ駅まで行かせたのであった。

「なんだかこのまま君が帰ってこないような気がする」

「なぜ?」

 真彦は答えなかった。事がことだけに二人の間に会話は弾まなかった。ただハンドルを支えていた左手を繭子の手に重ねただけで、真彦の顔は正面を見ていた。色白の肌に四十七歳の柔らかな横顔が見える。保障された地位と、妻も子もいる安定が揺るぎない瞳の奥に見えた。それは情事を終えたあとも同じだった。

「このままずっとこうしていたい」と甘えるように彼女に言う。

 それは出来ないことぐらい彼が一番知っているくせに。そんな言葉の中にも、彼の家庭が想像できた。

 町会議員の娘だった真彦の妻の典子は、繭子より四つ上の四十歳であった。姑のお供で数度工房を訪ねてきたことがある。が、姑の側にぴったりと付いて、真彦に特別馴れ馴れしくすることもなかった。冷たいという訳ではないが、隙がないぶん近寄りがたい感じがした。

 繭子は窓の景色に目をやった。陽はすでに山肌を白く照らし、逆光の中に対向車のトラックが、クラクションを鳴らして通り過ぎた。ふと、真彦の手の存在が繭子の脳裏から消えた。彼の手はまだ繭子の手の上にあるのに、窓に顔を向け、彼が視界から消えた瞬間にそれは起こった。トラックの騒音が、真彦の存在を一瞬忘れさせたのだろうか。ちがう、この人はこれ以上何も言えない。そう言えないのだ。

 彼は「帰ってこないような気がする」と言ったから逆に繭子は「帰らなくてもいい」と思ったのかも知れない。一瞬ではあるが、それはここ数年味わったことのない、静かな安らぎだった。二年間の二人の生活に降って湧いたように入り込んだ、まったく別な感情でもあった。このまま故郷へ帰ろうか、そうしたらあの罪悪感から逃れられるかも知れない。私が戻ったなら、二人の仲がどうにかなるというのだろうか。もし師匠に知れたら繭子は今の生活を続けることはできない。真彦の妻に知れたら、古い伝統に押し流されるのは、多分自分一人。繭子だけ傷つくようになっている、たぶん。

 真彦を受け入れた後に起こる罪悪感。竈の炎のように気持ちは上昇し、歯止めがきかず、燃えつきるのを眺めているもう一人の自分がいる。姉の幸恵と違い、内気だった自分が真彦といると変貌していく。どちらも繭子自身なんだと思うと自分が怖かった。

 激しい炎が止んで、何時もの釉薬の匂いが戻る。躰に染みついた匂いが、抱かれたことによってよりいっそう増した。その匂いが途切れ途切れになって、別な匂いが鼻を突いた。ホルマリン、と同時に二〇三の数字の下に、父の懐かしい名前があった。

 ドアが開かれ、姉が目を真赤にして飛び出してきた。姉の顔は、憔悴し、大きな瞳の奥は心細く揺れ動き、繭子は思わず幸恵の肩を抱いた。昔ほど厚みのない背中に手をやりながら、繭子は何か大切なものが、崩れていく音を聞いたような気がした。

(続く)

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[「文学横浜」30号に掲載中]

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