「文学横浜の会」

 新植林を読む


2007年11月   


「新植林39号」

「巻頭言」

 日本政府の閣僚の不祥事をとりあげて、猛省を促してている。 それにしても世界は狭くなったものだ。

短歌「ブジニアの町」         パスカルこと子

 10作の中から、
 「聳え立つ岩山に添うハイウェイ幾曲がりしつ登りゆくなり」
 「車窓より見ゆる景色の荒涼と原野続きて雪山はるか」
 の2首で「ブジニアの町」から見える景色がなんとなく判ります。
 「ブジニア」という元「金鉱の町」の雰囲気が出ている歌が4首。

随筆「羅府文壇と広告情報社会」  津川国太郎

 前回に続いて「羅府新報」を中心とした彼の地における様々な文藝活動を書いている。 日本語への”内なる欲求”は、母国を離れて生活した者でなければ解らないのだろう。 それにしても「日本人社会にある本屋も経営困難」 「日本語の本……利用者も減っていくばかり」 等を目にするにつけ、日本における活字離れと同じですね。 これもインターネット普及の影響によるものでしょうか。

エッセー「おじゃまでしょうが(野鳥その二)」    中條喜美子

 作者の自宅から観察できる野鳥の様子が良くわかります。
MOURNING DOVE(鳩と呼ぶ)、ロードランナー、VIRDIN、HUMMING BIRD、CRAPE MYRTLES、MOCKING BIRD 等、鳥の名前がピンとこないので、想像するしかないのが残念!

短歌「砂漠の盆地」       中條喜美子

 自然を中心に作者の身の周りを歌った10作の中から3首
 「巣立ちたるばかりの鳩か小走りで薄の葉かげにそっと身を伏す」
 「ポキポキと折りて作りし首飾りあの曼珠沙華苦き指先」
 「冬の蜂力なく落ち吾が首に針を残して命尽きけり」  

随筆「偏屈筆名文士録(二)」     花見雅鳳

 「寺内大吉」、「石橋思案」、「佐賀潜」、「里見ク」、「なだいなだ」を取り上げ、 前号に続き、それぞれのペンネームの由来について書いている。

随筆「在米半世紀の回想録(その三)   井川齋

 作者の半世紀、渡米した直後の作者の生活が書かれています。
1950年代末のアメリカの日系人の様子とともに、 「呼び寄せ留学」として渡米した若者たちは懸命にそして賢明に、 米国社会の中で生きたんですね。これからどうなるのか楽しみです。

随筆「取材ノートを閉じてから(一)」  長島幸和

 副題として「和田勇さんとの時間」とあるように「和田フレンド勇」氏との交友が綴られている。 和田氏は「PANA(北・中・南米日系協会(パナ)」の名誉会長として日系人社会に貢献し、 東京オリンピックの開催にも尽力したとの事。こうした事実を知らない日本人も多いと思う。

随筆「MP3」       和山太郎

 「ジャズ、クラシック共々、作曲、演奏に高度な技術を必要とし、 それが為に聞く側もそれなりに心構えがないとつまらん音楽としてしか聞こえてこない」とある。 「音楽を楽しんで聞くには、聞く環境が大事」だと。

随筆「食べ物の話」  清水克子

 「食べることによって精神的に満たされるという要素も大事になってくるようである。 つまり子供の頃の食生活に郷愁を覚え、その食生活に戻る」とある。同感ですね。

随筆「コメディハウスの人生(一)」  黒田素子

 いやいや、これは参った、という感じです。
ここに書かれている「コメディハウスの登場人物」達はアメリカ社会の、 所謂、競争社会の影の部分とでも言うんでしょうかね。
日本もいずれこういう人達が社会(世の中)に出てくるんでしょうか?  なんでもでもお金の競争社会へ、過度に行き過ぎるのは違和感を感じます。

私小説「インディアン サマー(一)」 杉田広海

 私小説とありますから、多くは実体験に基づいた作品なのかな。
それにしてもこういう作品や先の井川齋さんや黒田素子さんの作品を読めるのは「新植林」ならではでしょう。 ひきつけられるように読みました。これからどんな展開になるのか、楽しみです。

連載物

SF小説「銀河の旅人」 (十)  桑波田百合

文芸誌 in USA 新植林
第39号・秋期・2007年10月
e-mail:shinshokurin@kdd.net
homepage: http://www.shinshokurin.com
定価:5ドル+TAX

<金田>


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