「文学横浜の会」
新植林を読む
2010年10月5日
「新植林45号」
「巻頭言」
犯罪報道に触れて「すぐ切れる人間」について、「短気は損気、金持ち喧嘩せず」とは判っていながら、癇癪を抑えられなかった人生だった、と筆者は言う。
随筆「幼児期と小学校時代」
筆者は昭和元年生まれだと言うから80歳を超えている方だ。「幼児期と小学校時代」を読んで、よくまあ昔の事を覚えているものだと感心する。
遙かに年下の私は恥ずかしながら幼少期の記憶はないし、断片的に脳裏に泛ぶのは小学生2・3年生頃の一瞬だけだ。
「私と本屋」では、その読書量に感心すると共に、「文藝春秋」を今に至る65年間愛読しているのには感服する。
読書は日本を離れた筆者の心のよりどころだったのではないかと推察する。
随筆「色あせて行く森」等六編 柳田煕彦
「色あせて行く森」「自然の枝の箸」「野草の知恵」「夏の花は紅い」「レッドネック」そして「言葉」と6つの短い随筆。
何れも筆者の周りからとった話題だろう。
創作「スキー」 シマダ・マサコ
或る家族が連休を利用して、スキーリフトの傍にある貸家に出掛ける。
やっとのことで貸家に辿り着くが、そこはスキーリフトの傍とはとても言えない山の中の一軒家だった。
翌日気づくと、車を含めて何もかもが深い雪の中に埋もれている事に気づく。怖い話。
随筆「ウイドウを生きる」 キッツ幸子
「私のウイドウ人生が始まった」とあるがどんな人生なのだろう。英語が堪能なら理解できるのでしょうか?
随筆「結婚、離婚について」 和山太郎
「同性婚は結婚制度を揺るがす」とあるが、「離婚はオーケーなの?」と筆者は疑問をぶつけている。
難しい世の中になったが、そういう人間がいるのは確かなのだ。
短歌「ちいさなしあわせ」 中條喜美子
毎回の事ながら作者の身の回りから詠んだ10首の中から、
エッセー「おじゃまでしょうが(続 柴犬 愛ちゃん)」 中條喜美子
柴犬、愛ちゃんを甘やかしている様が泛びます。
随想「文学の才能と開花の時期」 花見雅鳳
著名作家の代表作を書いた時期をもとに、才能開花の時期について考察している。
多分、当たっていると思うけど、創作意欲は、凡人を含めて、多分年齢には関係ないだろうな。
随筆「在米半世紀の回想録(その八) 井川齋
母親の死を知った頃から、LACCでの学生生活が終わりに近づいた頃まで。
作者は母親の死を知らされた頃を振り返ると共に、実家の宮守としての歴史を整理して、
後継ぎの自分が実家を捨ててしまったことを、負い目を感じながら、生家のその後を辿っている。
母親の死を知らされても「アメリカを自分の人生の場とする」と言う作者の信念にかわりはない。
苦学生としての作者の苦闘は続く。
ノンフィクション「ある国際結婚(その四)」 清水克子
今回は文通相手の韓国人と逢うために韓国に向かう。空港で待っていた文通相手がやさしそうなのにほっとする。
文通相手の家族をはじめ多くの人に紹介される様子が描かれている。
私小説「インディアン サマー(七)」 杉田廣海
好美やビバリーヒルズ邸のオーナーの身元は分からないが、田村からクックとして採用されてほっとする。
さっそく住み込むことになるが、翌日行くと、ポリスが3人いて、何かおかしな雰囲気だ。
文芸誌 in USA 新植林 <金田>
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