「文学横浜の会」
新植林を読む
2013年06月10日
「新植林50号」
「巻頭言」
米国の強権発動と銃社会の暗部を人種偏見とからめて述べている。
どの国家にもありそうなことだけど、移民国家の米国では特にそうなのだろう。
随筆「母の位牌と共にさすらう」 野本一平
放浪の俳人といわれた山頭火を生涯支援しつづけて大山澄太郎との交友から、
「山頭火か漂泊の旅をつづける時、母の位牌を笈摺の中にしのばせ、母と一緒に旅を続けた」事を知る。
それは「山頭火が生涯、生家を傾けたということと、母を自死させたという罪の意識を持ち続けた」
からではないかと筆者はいい、山頭火の数々の句を鑑賞する時、「山頭火とその母の深くて強い絆」を忘れてはいけないと。
小説「でけそこない(その五〜その七)」 入江健二
副題「それでも夢があったから」とあり、二郎の幼少年期が書かれている。太平洋戦争の終った頃だ。
東都高等師範附属小学校に入学した野呂二郎は「スローモー」とあだ名され、
その上裕福な友達と接して「ぼくの学校じゃない」と思うようになる。
創作「ジュリアンの記憶」 シマダ・マサコ
上海で生まれた夕子の良人、ジュリアンには十歳以前の記憶がないと言う。
短歌「柿の実を盛る」 中條喜美子
今回も十首の中から、3首を選ぶ。中々難しいが、最後は…。
エッセイ「お邪魔でしょうが(娘の結婚 その一)」 中條喜美子
娘の結婚に纏わる話。どこも女心は同じ、でも母親が娘のボーイフレンドには面食いがいいとは…。
そんな事を娘に言えるのも信頼関係があってこそ。素晴らしい娘さんだと、読む方には伝わってきます。
随筆「在米半世紀の回想録(その十三)」 井川齋
副題に「やっと曙光が見えた頃ー修士課程」とある。渡米七年近くなって、私は漸く「学卒」と言える身になったが、
まだ英語力不足で苦しんでいた。有名な大学の大学院入学基準には及ばない学力で、かろうじて「仮認可」の位置づけだった。
裕子との結婚生活にも慣れて、二人のアルバイトで生活は安定した。
米国では黒人問題が表面化していた時期で、
黒人暴動などを目にして私は四年前の野球部のチームメイトの安全を思ったりする。
随筆六編「毒草を食べた人の話、他」 柳田煕彦
表題「毒草を食べた人の話」、「鍵をかけない家」、「ふきのとう」、「チカディ」、「ロビン」、「体罰」の六編からなる随筆。
チカディは日本の四十雀に似ている小鳥、ロビンは日本ではこまつぐみと言う鳥だとあり、
それぞれこなれた文章で楽しく読ませる。
くわずいも存在さえしらなかったし、地方に行けばまだ日本にも鍵をかけない家もあるんだろうなぁ。
「体罰」での「男の子が髪を染めたり、」の件では「そういう高校生が多いんだよね」と思う。
随筆「新植林五十号を発刊するにあたって想うこと」 清水克子
長く続けるのはそれだけでも大変です。文中パスカル琴子さんの手紙には何故か懐かしい思いがします。
きっとお元気でいると信じています。
当方の件には只々恥じ入るのみです。
ノンフィクション「ある国際結婚(その九)」 清水克子
わたしはアメリカ社会でどう生きていいかわからないが、店番をしたり、日本人学校で教えたりしていた。
私小説「インディアン サマー(十二)」 杉田廣海
ベトナム戦争はベリーには世界観を変えてしまう程の極限状態の体験だっただろう。
文芸誌 in USA 新植林 <金田>
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