「文学横浜の会」

 新植林を読む


2016年 5月28日


「新植林56号」



「巻頭言」

日本経済の衰退に伴い、アメリカ社会での日系社会の縮小を嘆いている。 同時にそれは日本語活字媒体の購読者の減少を招く事でもあり、日本語メディアの存続にも関わる。
続ける、と言う事は本当に大変だ!

随筆「望郷と文学」   野本一平

 1907年のアメリカ移民、翁久允によって「移民文学」は提唱され、 その後「日本語文学」と名を変えた文芸活動は、現在まで続いていて、無数の作品が発表されている。 異国の地で生きる作者が、日本語で表現したものは何であったのかで始まる。

 様々作品の中から、特に「望郷」をテーマにした作品は多いが、日本にあっても「望郷」をテーマとした作品もあり、 それを対比して、郷愁文学について書いているように思う。

初めて知る「日系文学」作者の存在を知り、凡そ百年に及ぶ歴史の重みを思う。 どんなに交通機関の発達しても望郷の想いは無くならない、と作者は言う。

短歌「朝日歌壇の入選歌」               中條喜美子

 ずっと前から、朝日新聞の「朝日歌壇」にアメリカ在住の方の入選作が幾つか載っていて、 「新植林」を読むようになり、その中に同じ名前があると気づき、もしやと思っておりましたが、同じ方だと知りました。

1998年に投稿されてから、今年で77作が入選との事、素晴らしいですね。 これからそれらを載せるとの事で、楽しみにしています。

エッセイ「おじゃまでしょうが(鯛の生き作り)」   中條喜美子

 踊り食いや生き作りなど、筆者は残酷な料理は如何に高級料理と言われようと苦手だと言う。 背中に針の刺された蝶やトンボの標本を見るのさえ可哀想と思うのだから、 生き物を愛でる心は、もう筋金入りなのだろう。

他人が処理した肉などを平気に食べるのに「身勝手じゃないか」と非難されても一言もない、 とも言うから作者は残酷な事が生理的に大嫌いなのに違いない。

小説「ふるさと(三)」         シマダ・マサコ

 彼が予約したセーヌ川の左岸にあった老舗のホテルは、彼の父親が昔、十八歳だった彼の為に取ってくれたホテルだった。 父親は十年振りに訪ねてきた彼を一人残して自分の家に戻ったと言う。 従姉には「あなたのお父さんは、あの頃、別のおんなの人と住んでいた」と言われる。

彼は父親に対して複雑な感情を抱いている。

一泊しただけで予約を取り消し、翌日から別のホテルに移る。 裕子は彼と共に、彼が昔住んでいた建物を訪ねる。彼は父親と和解する気持ちになっている。

数日後、パリを去り、汽車に乗って、 今は他人に渡っているが、父の建てた家のあるノルマンディーの海岸に向かった。

小説「でけそこない(その二十一〜その二十三)」    入江健二

副題「それでも夢があった」

「その二十一 「夢」への死刑判決」「その二十二 逆転無罪」「その二十三 エピローグ」サブタイトルで、 東都大学入学後の理科二類から医学部合格までの事が書かれている。

 浪人して理科二類に合格したものの二年後の医学部への進学は厳しい競争があると二郎は知る。 そんなに厳しい試験があるとは知らなかった二郎は、愕然とする。例年150名の希望者に対して40名程しか進学出来ないのだ。 一年次の二郎の学力では合格には遥かに及ばない。それでも懸命に努力して、なんとか医学部への入学を果たした。

医学部への入学を果たしたが、医者になれると保証された訳ではなく、ましてや二郎が十六歳頃に抱き始めた、 生きることへの疑問が解決された訳でもなかった。 二郎なりの生き方を見つけるまではまだまだ時間がかかりそうだ、で終わっている。

ノンフィクション「私の原点」      柳田煕彦

 作者がアメリカで生きてきた上での原点だという、五十数年前の事が書かれている。 どうやら作者は日本庭園を造る技師のようだが、南カリフォルニア・アナハイムの日系・植木会社の世話になり、 技術を覚え、磨き、一人立ちしてフロリダでの大きな仕事に誘われる。

フロリダに行くにはそれまで世話になった日系の方たちと別れ、仕事も辞めなければなければならないが、 快く送り出してくれた。

作者がこれまで書いた作品はとても日本にいる者には書けない作品で、面白い。色々な体験をしての作風だと思うが、 これからも読みたい作者の一人だ。

随筆「砂漠のブランコ(五)」      ケリー・晴代

 副題<1年生のクラス>で主に1年生ミミの学校の様子が書かれている。 妹の友達が家に遊びに来ると、JJも年下だと気が楽なせいか、家では一緒に遊んだ。

ミミの学校生活はスムーズにスタートしたようだ。  

随筆「在米半世紀の回想録(その十九稿)」   井川齋

  オレゴン大学・大学院在籍時代(三)

 大学院へ移るため、単身での準備期間から、妻・裕子を連れて本格的にオレゴンに移り、研究所の研究助手に採用されるまでを、 次のサブタイトルで記述している。  「はじめに」「六十八〜六十九学年へ向っての準備」 「三か月ぶりの羅府」「レイマート(ロサンゼルス)からの引っ越し」 「ユージーンでの暮らしの始まり」「やっと、ロバート・アガー教授と会う」 「研究助手として採用される」

 「私は、いろいろな事象に関し、基本的な知識すら有せず、因って、明確な政治プロセスに関しての問題意識等は有して無く、 文献を読むことだけが学問追及の在り方と思っていたのである。」

 また、研究所に採用されたが 「「研究所」が何を研究対象としているのか、助手として私が何を為すのか等々、基本的な情報は何も持っていなかった。」

等の記述があり、作者が冷静に当時を振り返っているのが窺えます。

「同研究所がてがけていたのは、五か国における同級サイズのコミュニティにおける外部からの特定事象に関する介入に対しての コミュニティ側の反応を時間的な間隔を置いて観察する行動比較研究プロジェクトで、〜」 と言う記述があり、具体的に何をしているのか、門外漢には判りませんでした。専門的な領域なのかな?

随筆「葉蘭の思い出」        太田清登

 写真が載っていた、これが「葉蘭」なのか、何処かで見た事がある、と感じた。 植物の名前に疎い者でも、若葉や花は、いいものです。

ノンフィクション「早川雪夫さんとの出会い(一)」   清水克子

 日本では知られていないが、アメリカの日系社会では知られた方のようだ。 作者に大きな契機を与えた方のようで、これから人となりを読む者にみせてくれるだろう。

小説「インディアン サマー(十八)」     杉田廣海

 四月二十九日、昼過ぎ小池智子の店舗に顔を出す。前に私の所へ来るときに事故に遭い、 破損した彼女の小型トラックの損害を支える意味で私の車を提供する事を伝えるためだ。

帰り道、ハーバー・フリーウェイでパトカーが十台以上縦列に連なっているのに出くわす。 その異常な雰囲気を感じ、白人警官の無罪判決ニュースを思い出す。 判決に反発する黒人たちの暴動に備えるパトカーを予感する。 

文芸誌 in USA 新植林
第56号・2016年 春期
e-mail:shinshokurin@aol.com
homepage: http://www.shinshokurin.com
定価:7ドル+TAX


<金田>


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