「文学横浜の会」
随筆(城井友治)
2003年02月15日[掲載]
〔 風の便り67 〕 たびたび『たそがれ清兵衛』のことで恐縮ですが、ロケ地の湯田川温泉の「久兵ヱ旅館」のご主人から手紙を頂いた。それによると、庄内でも鶴岡の人口の半分の5万人が観たそうです。庄内でのあいさつ。
「たそがれ観た?」 「まだ……」 お分かりになると思うが、「ちゃちゃっと」は、「早く」とか「すぐに」と言う庄内弁です。 ご主人は4回観たらしい。ご本人がエキストラで出演していたからと告白していましたが、それは良く分かります。昔、私もエキストラで、映画に出させて貰い、あっという間に消えるシーンでも気になって何回も見ました。そういうものなんだろう。
「お父さん、どこさ行った?」 こんなことがあったかも知れませんな。 1月26日は、藤沢周平さんの命日で『寒梅忌』だった。 ◆ ◆ 映画の話が出たついでに、野毛の地区センターで行われている『シネマトークの会』のご案内を頂いたので参加した。映画は永遠の処女とうたわれた原節子主演の「東京の女性」原作は丹羽文雄の新聞小説。昭和14年(1939)の東宝映画だった。支那事変の勃発2年後だが、戦争によって軍需産業が息を吹き返し、不景気から抜け出た頃の映画なんだろう。戦時下なんて風潮の全然ない映画だった。家庭の事情で、車のセールスマンになる女性の話。職業婦人という言葉があったくらいで、女性が働くことが異端視された時代。車もまだ国産車がなく、すべて輸入の外車だった。仕事には成功するが、愛を失うという筋立て。 原節子のきりりっとした美女が売り物の映画で、褒められた作品ではない。なんで「東京の女性」なのか良く分からないが、今の若い人が見たらカンカンになって怒りそうな面白いシーンもあった。それは、働きもしないでなにかにつけて暴力を振るう父親に、娘たちは怒り、母親に離婚を進めるが、くずぐずしてはっきりしない。それならばと、母親をアパートに隠すが、母親は専制君主のような夫につくすことが生き甲斐になっているから、事があるたびに夫のところに行こうとする。 私たちの時代の母親の姿を見るようだった。そういう点では甚だ懐かしい映画と言えるかも知れない。当時としたら、男に伍して働く凛々しい女性の感覚が「東京」なのか。生粋の江戸っ子は意外と保守的なのに、あの頃の東京の女性はこういうものかと感慨を新たにした。 それと、この会には映画通の人が多く、トークが楽しい。今回も、岡謙造さんのお話がとても面白かった。原節子ファンの夢を砕くようで申し訳ないが、彼女は酒飲みで、いつも楽屋にはビールが何本もおいてあって、酔っ払ったせいだろうが、口調はべらんめぇでびっくりしたとか。楽屋落ちの話はいつ聞いても面白いが、そういう話ばかりでなく、彼女には三つの転換期があったと分析もされて参考になった。マニアの方もいた。当時のチラシや主題歌の楽譜までも蒐集していて、皆さんから「松田集コレクション」とあがめられていた。主題歌は双葉あき子と淡谷のり子が吹き込んでいる。A面は双葉で、B面が淡谷だったが、B面の彼女の澄んだ声が魅力的だった。 思いがけない人も出ていた。鉄火場の女でならした、あの江波杏子のおかぁさんが共演している。さらに驚いたのは、鎌倉アカデミア演劇科で一緒だった竹中弘祐の親父、竹井諒さんが製作とタイトルにあった。 「俺の名は竹井でね、親父は映画を作っているんだ」 と言っていたのは本当だった。身体をゆらして、ホッホッホと笑う竹中はどうしているのだろう。 原節子さんは1920年生まれだから、83才になられて鎌倉にお住まいとか。どんなおばあちゃんになっていることやら。生まれたのは、横浜市保土ヶ谷区月見台。わが家の2階からその月見台は見える。 ◆ ◆ 遂にインフェルエンザが大流行。ワクチンが間に合わない状態となった。絶対に風邪を引かないという人がいるそうだ。外出から帰ったら、ウガイと手洗いをしなさいと言われている。それ以外に方法があるのか。あるんだ。その人は、塩水を鼻から注入してウガイをしている。
「エッ、鼻から!? どういう風にやるの」 タクシーの運ちゃんが教えてくれた話です。 ◆ ◆ わが畏友に広瀬一浄という人物がいる。今、ブラジルで本願寺の布教師になって仏教の教えを説いて何年にもなる。元々坊さんなのではない。海軍兵学校78期生で、戦後一橋を出ると商社マンになった。赴任先がブラジルから始まって、西アフリカのザイール共和国。そこで仕事をしているうちに、正義漢の彼に大統領がすっかり惚れ込んでしまい、信頼を得た。他の商社が売り込みに来ても、まずミスター広瀬に訊いてからという具合になった。日本文化や柔道などを教えていたが、いくら信頼されても、商社の禄をはんでいれば限界がある。すぱっと辞めて、日本に帰り、足利の学校でフランス語の先生になった。しかしながらザイールへの思いは深く、『やさしいリンガラ語』−アフリカと日本を結ぶ心の掛け橋−という辞書を出した。 それが今から16年も前の1987年の末のことだ。 クリスマスカードを貰って、そこに『ブラジル都市名・山河名などに残る原住民の言葉 ツピー・グワラニー語−より深くブラジルを知り愛するために−』という小冊子を出したと書いてあった。寺の修復資金捻出のためとあったのを忘れて、なにもせずに頂いたのは気がひけるが、彼の本を手元においておくと、不思議な活力が乗り移ってくるような気がする。その一浄師が、近頃は目がかすみ、坊主が先にサヨナラしそうだ、なんて手紙を寄越した。冗談じゃない、中学の同級生のみんなに引導渡す約束じゃないか、と返事を出したが、お互いそろそろという実感がしないでもない。でも彼は、『土語・ツピー・グワラニー語大辞典』『原住民日常会話読本』などを作成中と言うから、まだまだ元気でいて欲しい。私だけでなく仲間はみんなそう思っているに違いない。 ◆ ◆ 高齢者講習会の結果。判決を先に述べると、70才としては普通。30から59才との比較では、注意とある。恥を忍んで添え書きをご披露すると、 〈 結果は普通ですが、若い人と比べるとかなり機能が低下しています。若い頃と同じようにはいきません。安全確認は十分に行い、無理はしないようにしてください。〉 そりゃそうだろうと思うが、前号で紹介した坂本氏の結果は素晴らしいことなる。 奥さんよ、当分安心して車に乗ってやって下さい。 紅葉マーク(俗称、枯れ葉マークのこと)はつける義務があるのか、と質問した人がいた。別に義務はないが、それを見ることによって、相手のドライバーが注意してくれることはあります。と検査官は答えていた。 シミュレーションも日常の動作と反対で、一時停止のマークが出ると、ずうっと踏んでいるアクセルを放す。消えるとすぐ元に戻して、アクセルを踏み続ける。ブレーキとアクセルがあるが、私たちの場合は、アクセルだけの動作だった。とっさの反応検査なんだろうが、慌てたね。それだけでお終いと思ったら、路上運転をさせられた。自動車学校のコースを回るだけだが、何番を左に、何番を直進したら一時停止して右折。と一通り運転して見せて、はい、どうぞと来た。まさか一番最初と思っていなかったから、いい加減に聞いていた。それで注意力散漫のチエックをされた。 この結果が悪くても、免許証の交付には関係ないと言うが、自尊心が傷つけられたな。 ◆ ◆ 2月5日から3日間、白馬に行っていた。いつものバードウォッチングの仲間と一緒で、泊まるところも毎年同じの『にほめの一歩』。経営者と仲間が懇意にしているので、私はわがままを許して貰っている。今度も午前中の雪の中の散策は付き合ったが、午後は一人居残って、風呂に入り、ぼんやりと風に舞う雪景色を眺めていた。積雪は2b以上あって、宿の入り口は雪の回廊の中を歩くことになる。スノーシューの履き方が下手で、いつも外してずぼっと雪にはまり込み、仲間に助けられている。もう参加もほどほどにしないと迷惑ばかりかけると思う。しかし、年に一度大自然のふところに抱かれて過ごす時間が欲しいと、誘いがあるとのこのこ付いて行く。 いろいろと忘れることが多い。デジカメには雪景色という設定があるが、銀塩カメラでは補正をしないと露出が適正にならない。そんなことも忘れて、ただバシャバシャと撮ったから、山の青空がまるでペンキ絵になってしまった。 ◆ ◆ どういうことか分からないことも多い。同潤会アパートの保存運動はなんの為にやっているのだろうか。建築物としての価値があるとは思えない。日本で始めてのマンションという歴史的価値をうんぬんするのだったら、整理した跡地にそういうものがあったと碑をたてるだけで十分ではないのか。 テレビや新聞で知るかぎりでは、老朽化もすすみ危険に見える。どういう風に保存するつもりなのか。石造りの建物の復元と訳が違うだろうに……。 それと国立のマンション。景観を損なうから、上の三階部分を撤去しろという判決が出た。勝った、勝ったと騒いでいる人たちがいたが、紙細工じゃあるまいし、壊せという判決を出した裁判官も常識を疑う。不動産屋の肩を持つ訳ではないけど、上を削れるような構造になっているのだろうか。何故不動産屋がマンションを建てたのか。無許可であれだけのものを建てる筈はないから、許可を取っての上のことだろう。建てる前に許可を誰が出したのか。東京都と国立市との間でどういうやりとりがあったのか。 事情も知らずになんだとお叱りを頂くだろうが、一般庶民の感情を述べただけである。 車で通り過ぎただけだが、そんなに景観とミスマッチとは思えなかった。街路樹の上に出るのがいけないのなら、樹が育つまで待つのか。それとも大木でも植えるのか。 ◆ ◆ 世の中だいぶきな臭くなって来た。自分の生まれ育った時代を思い浮かべ気が重くなる。一途に信じ込んで、鉄砲を担いで進軍する少年の姿を映像で見せつけられると、胸が痛む。いつの時代でも犠牲になるのは民衆である。 03/02.11 城井友治 |
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