「文学横浜の会」

 随筆(城井友治)

これまでの随筆

2003年05月11日[掲載]


〔 風の便り70 〕

 「脳ドック」の続きです。この「便り」をお読み頂いているのは、同世代の方が多いので、どういう結果が出たのか気になさっているようです。

 若い方は、また病気の話かとうんざりするかも知れませんが、いずれあなたの身にも起こることと観念して読んで下さい。

 10日ぐらいたったら、詳しい診断結果を郵送しますと帰りしなに言われたが、いっこうに来ない。彼女からの手紙を待つ心境で郵便受けを行ったり来たりした。結果が心配でいるとみたのか、カミさんは、

「そうやって元気でいるんだから心配ないでしょ。そのうち来るわよ」
 便りを書くのに必要なのが全然分っていない。

 さらに4日後になって診断結果のファイルが届いた。
  MR検査・胸部レントゲン・頸動脈超音波検査・心電図・
  眼底カメラから血液検査の細かい所見が書かれてある。
  いちいちこれを書いても当事者以外興味のある筈はないから、
  総合判定を報告します。

  <総合判定>
  血圧は本日は高めでした。
  動脈硬化は、心電図、頸動脈超音波検査、
  MRIで認められています。
  これは、高血圧、糖尿病に基づくものと考えられます。
  眼底検査(両眼に眼底出血)でも糖尿病によるものと
  考えられる変化が認められています。
  脂質検査でも動脈硬化にかたむく傾向が認められます。

 と、いうような結果でした。すべてが動脈硬化に向かっているようです。

 問題のめまいについては、こんなアドバイスが書いてありました。私と同様にめまいが起こって心配なさっている方は参考にして下さい。

  まず、めまいについてですが、あなたの場合MRIで
  は脳梗塞を示す所見は認められておりません。
  原因として、耳の内耳機能異常なのか否かを判断す
  るためには平衡機能などの検査が必要です。
  この検査の可能な耳鼻科への受診をお勧めします。

 検査の可能な耳鼻科というのは、神経耳鼻科というジャンルがあるらしく、この病院では神経内科に受診して、その旨を告げるとその耳鼻科に回されるそうです。

 フーッと気が遠くなるのは、貧血から起こるのかも知れない。血液検査で、軽度の貧血があると書いてあったから……。

 この結果を持って家の近くの主治医に見せると、蛋白が3プラスなのは腎臓に障害が起こりつつある。腎性貧血だろう。なにしろすべては糖尿病から発生している。糖尿病の数値を適切にしないと、いずれ人工透析をする羽目になり、失明することになる。そうなってからでは遅いのです。食事療法をもっときちんとしないといけないね。奥さんを連れて来て下さい。あんたにいくら言っても、食事を作るのは奥さんだから……。

 糖尿病にかかっていても、どこが痛い訳でもないから甘くみてしまう。分っているんだが、お刺身なんか三切れですなんて言われると、素直になれない。

 最後の心理検査のレポートだが、用紙にお名前と日付を記入なさって下さいと、理知的な顔立ちの女性の検査官が言う。名前を書き、日を書き、今日は何曜日でしたっけとお伺いを立てたら、思った通り書いて下さいと突っ放された。もうテストは始まっていた。

 まず紙に書いてあるマル、サンカク、シカクなどの図形を見せられて、それを見たまま書くことを指示される。見て書くのだから、誰にでも書ける。なんだこんな物、とバカにしたが、立体図形が書けなくなる人がいるんだそうだ。これはパスした。次はカナ拾いテスト。長い文章の中に、アイウエオだかイロハだか忘れたが、それの入っているのを丸で囲む。これもまずまずと思っていたら、

「何が書いてありましたか?」 「えッ!」思わず絶句。丸で囲むことに夢中になって、内容については全然考えていなかった。言われたことも忘れていた。  なんという始末。許されるものならギブアップしたくなった。

 これはテストなんだ、テストなんだと言いきかせながら先生の口許を見詰める。 すると先生は、先程の図形を思い出して、書いて下さいと言う。えッと、またまた驚く。 マル、バツ、サンカク、リッタイはすらすら書けたが、なにか抜けている。 その抜けているのが思い出せない。その次は、五つ金属の単語を言ってみろと言う。 いきなりではなにを言ったらいいのかと、ぐっと詰まる。 なんとか五つを並べたが、これは平均値の最低。さらに数字を順序正しく言うのと逆から言うテスト。 これは上の方の結果。

まずまずと思いながら、検査官の胸元をなに気なしに覗くと、肌が滑らかで美しかった。 次のテストは、さっきの五つの単語を言って見て下さい。 うッ、綺麗な肌ばかりが頭にこびりついて、ナイフとコインしか浮かんでこない。 邪心を持ったばっかりに、哀れ見るも無残な結果だった。動物の名前を1分間に言うテスト。 これはいいですねぇと褒められた。平均値をずうっと上回っている。 それもその筈、牛豚鳥から始まって、バードウォッチングで知った鳥の名前をすらすら言ったからだ。

 全部終ってドクターからの講評を受けるのは午後だった。外へ食事に行く気力は失せてしまっている。病院内に気のきいた食堂があった。そこで昼食をとることにした。運ばれて来た食事のお盆を見て、あッ、これ、これだ。どうにも思い出せなかった図形はシカクだった。後の祭りである。

 この検査官の所見。 「やや、見聞きしたことを覚えにくい傾向があるようです。生活の中で、大切なことは聞き返して確認したり、メモを取る等を心がけていただければと思います」 (はい、よく分りました)

 一年に一度は検査を受けるようにとコメントがついていたが、この心理検査はよくなることは考えにくい。みじめな思いをするのが分っていて行くのは嫌だなぁ。

◆      ◆

 前号には旅の話がありませんでしたねぇ、と言われた。あんまり方々に出かけていることを書くと気がひける時もある。それでやめたのだが、実は、3月の半ばに沖縄の久米島に行っていた。久米島は、那覇から飛行機の乗り継ぎで30分ほどのところ。船で行くと4時間かかるのだそうだ。この島は那覇に近いのに空襲を受けていない。近すぎて通過してしまったのだろう。去年行った北部の伊江島と好対照だ。伊江島は沖縄本島を攻める足掛かりに選ばれたから、多くの村民が亡くなった。その記念碑に刻まれた人の名が痛ましかった。

 一緒に旅する仲間は5、6人で、免許証を持っているのは3人。この中には私も入るのだが、余程のことがない限り運転は免除されている。老齢でもあるし、自分では危険な運転をしている積もりはないが、不安を与えているのかも知れない。

 知らない土地の道を走るのは疲れるものだ。運転しなれた自分の車でなくレンタカーだから余計である。いつも若い2人の人に運転して貰って助かっている。

 飛行機の到着遅れもあって、久米島空港についたのは7時を過ぎていた。日航のホテルは地図で見ると、島のはずれにある。暮れた島の道には灯が少なく、標識も見当たらない。リゾート地のホテルなんだから、すぐ分るだろうと走るが、それらしい建物はなかった。「あれ、この道、さっき通ったわよ」

 いつの間にか、同じ道を回っていたのだった。素晴らしい珊瑚礁の取り巻く島も、暗闇には勝てない。探し当ててホテルについたのは、8時近かった。ホテルのフロアでは、今夜の催しなのだろう、和太鼓が並べられ若い奏者たちがバチを手に調子を合わせていた。そのせいか、本日のレストランは8時半でオーダーストップとのこと。

「外に食事に行きましょう。前の『南島食楽園』が遅くまでやってるらしいわ」

 食後にゆっくり和太鼓の演奏を聞くのなら分るが、空きっ腹に和太鼓の響きはこたえる。 レストランは居酒屋風で、地元の料理から、寿司、焼き鳥や中華まで取り揃えている。どうなることかと心配したが、味はなかなかのもの。ことに地元でとれたラッキョウのテンプラは秀逸だった。

 まだ沖縄が占領地で、渡るのにパスポートが必要だった時代のこと。仕事を終えて、沖縄料理店に入った。好奇心からだったが、匂いがきつくて退散したことがあった。それから50年、ゴーヤーチャンプルーは健康食の代表として全国籍を得ている。時代とともに味付けが変わったのだろうか。それとも我々が慣れてきたのか。いずれにしても、旅は景色もさることながら、食う楽しみがなくては意味がない。

 グルクンの唐揚げ。宮古島に行った時に味を覚えた仲間がメニューを見て、すぐ注文した。私は不参加だったので、どんなものが出てくるのか興味深々。グルクンは白身の魚で、あっさりしているところはホッケよりもカマスに似ている。あとで調べたら、グルクンはタカサゴという魚の沖縄での呼び名らしい。沖縄の県魚と書いてあった。だからこの海域で昔から多く捕れる魚なのだろう。

 満足してホテルに帰ったら、和太鼓のグループはせっせと片付けていた。

 朝、イソヒヨドリの鳴き声で目が覚めた。夕べも遅くまで鳴いていたから、ここのイソヒヨは元気いっぱいとみえる。

 ホテルのそばを流れる銭田川で、目敏い仲間がシマアジを見つけた。私にはなにを見ても同じに見えるが、仲間は皆すごい眼力を持っている。夕方近くホテルに戻ってやれやれとベッドにごろりと横になっていると、隣の部屋のベランダから、ヤツガシラが下にいるわよと報せが入る。ホテルの庭の一角がショートコースのゴルフ場になっている。そこに変な頭の格好をした鳥が一羽、芝生を突っついていた。始めて見る鳥だった。

 しかしどうも鳥の名前がなじまない。どういう人がつけたのだろう。昔先生に伺ったら即座に、「いい加減なんですよ」と言われたが、まさにその通りだ。シマアジなんて魚の名前のようだし、ヤツガシラは里芋の親分と混同しそうだ。

 天気がもう一つはっきりしない。そのせいか海の色も鮮やかさが出ていなかった。空襲を受けていないから、古い民家が残っている。だが、屋根に沖縄特有のシーサー(獅子頭)がない。魔除けや守り神のためのものだから、あって当然と思っていた。公開している重要文化財の「上江洲家住宅」を見学した時に訊いてみようと、海が真下に見える高台の住宅を訪れたが、見学料を入れる箱がおいてあるだけで、管理人も誰もいなかった。

 沖縄は台風の通り道、時の流れとともに、家造りも変わって、鉄筋二階建の家が増えている。昔風の建物は、年々少なくなっているようだ。

 たまには観光もいいだろうと、泡盛の醸造元を訪ねたり、久米島絣の工場に足を運んだ。しかし一番驚いたのは、亀甲模様の天然の畳石だった。自然の作り出した不思議さ、巨大な亀の上に乗っているようで、そのまま海の中へ連れて行かれるような錯覚を覚えた。

 玉手箱をあけて真っ白になった髪。白さだけは私も同様だ。爺さんが乙姫様に逢いに行く、「その後の浦島太郎」を書くとしたら、どう書いたらいいのだろうか?

 ホテルで紹介して貰った食べ物屋は、どこも美味しく食べさせる店だった。ことに再現したい一品料理は、モズクのかき揚げ。モズクのほかになにが入っていたか、調べる間もなく箸が乱れ飛んでなくなってしまった。余所でも食べられると多寡をくくっていたが、メニューに載っていたのは、「亀吉」という店だけだった。

 旅にでたら病気は忘れよう。しばらくは島への旅をしてみたい。

03/5.10

 城井友治


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